大切な貴方へ。

 三月末日。私は今日、この街を出て行きます。
 今は業者の方が引越しの作業をしてくれています。細かい指示などは、引越し屋のバイトもしたことがある彼がやってくれているので私はすることがありません。だからこうして、ふらふらと街を歩いています。
 ねぇ、桜が綺麗です。
 懐かしいですね。この桜並木を二人で歩いたこと。初デート……、とも言えなかったけれども。私は覚えています。
 桜が綺麗です。まるで雪のようにひらひら、と。でも、雪と違うのは地面に落ちても溶けないことですね。
 ああ、貴方の心も、この桜のようだったら良かったのに。雪みたいにすぐに解けてしまわなければ良かったのに。
 ねぇ、大切な貴方。
 私は今日、この街を出て行きます。
 今の恋人と結婚することになりました。彼の仕事の都合で、東京に行きます。ここから東京は、同じ関東だけれども……、遠いですね。
 ねぇ、大切な貴方。
 貴方のことは忘れません。私の最初の恋人。すぐに心変わりしてしまった、酷い人。
 ねぇ、大切な貴方。
 私の心は雪ではなくて、桜なのです。今でも溶けていません。でも、散ってしまいました。今の恋人のこともとても好きです。大切です。でもそれよりも、冷たい貴方を、私はまだ愛しているのです。
 
 寒い寒いと思っていたら、雪が降ってきました。もう三月も終わりなのに。この地域に雪が降るなんて珍しいですね。
 ひらひら、と。そんなにたくさんは降りませんね。当たり前かもしれません、この地域では。
 ああ、やっぱり雪は、私の手のひらで溶けていきます。寂しい。同じようにひらひらと落ちてくる桜は、溶けはしないのに……。
 少し、強くなってきましたね。
 桜と雪が入り乱れて散って、もうどちらがどちらだかわかりません。
 私は貴方と、貴方の気持ちとこうなりたかった。同じところに居たかった。桜と雪ですら一緒にいられるのに、どうして私は貴方と一緒にいられないのでしょうか?
 このままここに立っていたら、桜と雪が私をここに埋めてくれるかもしれません。引き止めてくれるかもしれない。道を隠してくれるかもしれない。
 いつまでもここに立っていたいけれども、そうはいきません。本当は、貴方が来てくれることを望んでいたんだけれども……。

 ねぇ、大切な貴方。酷い人。私の愛しい人。
 私は今日、この街を出て行きます。貴方のことは忘れません。
 雪、積もるといいですね。貴方は雪が好きだから。

 それでは、さようなら。