あの時の僕の記憶にあるのは、まぶしいぐらい白い足首。遠くから聞こえてくる蝉の声。ただ、それだけだ。

 十五年前の夏、僕は誘拐、監禁されていた。らしい。
 当時、小学生になったばりの僕は、細かいことは何も覚えていない。
 ただ、ひかるように白い細い、足首。それだけは鮮明に覚えている。
 床に小さく座っていた僕の目の前を、忙しげに行き来する、白い足首。
 親や先生や、周りの人間は皆、僕を可哀想だという。この十五年間ずっと気にかけてもらっている。腫れ物の様に扱われている。
 でも、何も覚えていない僕は、自分の事を可哀想だと思えない。つらかったとも思えない。
 実際、行方不明になってから十八日後に僕が助け出された時、僕は血色もよく、にこにこしていたらしい。そして、
「おねーさん、優しかったよ」
 と、笑っていたらしい。
 それはそれで、親の反感を買ったらしいけれども、僕に言われても困る。
 その「おねーさん」は今も見つかっていない。
 僕はその記憶を、周りの期待とは反対に、ひと夏の思い出というフォルダにしまっている。

 僕は今年二十歳になった。
 今でも目を閉じると、あの白い足首が浮かんでくる。
 きっと、僕はまだ、ひと夏の思い出に、とらわれている。監禁されていたあのときよりも、強く、しっかりと。
 
「おまたせ」
 やってきたカノジョに笑いかける。本を読むためにかけていたメガネを外した。少しだけ残ったコーヒーを飲み干す。
「行こうか」
 そういって、暑い真夏の日差しの中、喫茶店をカノジョの手をとって歩き出した。
 カノジョの足首で細いチェーンが光る。僕がカノジョに一番最初にあげたプレゼント、アンクレット。
 僕がカノジョに惚れたのは、その白い足首が「おねーさん」のものにそっくりだったからだ。
 「おねーさん」の影を追っていた。
 それは、年を取る毎に年々強くなっていく。
 あの、僕を支配する足首に会いたかった。
 でも会えない。出会うのはそっくりでもみんな偽物だ。偽物なんだ。

 最近、一つだけ思い出した事がある。
 「おねーさん」はあの時、僕に謝っていた。
「ごめんね、育ててあげられなくて」
 と。
 そうして、僕の頭を、足首と同じぐらい白くて細い腕で撫でてくれたことを。その指に金色の指輪がついていたことを。
 今思うと、あの足首や腕の細さは異常だった。細すぎた。
「儀式を成功させるためには、子供がいちゃいけないって言われたのよ」
 そういって、はらはらと泣いていた。
 顔は思い出せないけど。

 僕は囚われている。
 あの、ひと夏の思い出に。
 儀式とはなんだったのか? 「おねーさん」は誰だったのか? 
 もしかして、僕の本当の母親だったりするのだろうか?

 目を閉じると、蝉の声と白い足首が僕を責め立てる。早く探して、と。

「ぼーっとして、どうしたの?」
 横からカノジョに言われる。
「ん、暑いなーと思って」
 そういって僕は微笑む。
 カノジョは偽物だ。最初は彼女の白い足首に惚れたんだ。
 蝉の声と白い足首が僕をいつまでも責め立てている。
 それでも、
「どっか涼しいところ行こうか」
 僕は言いながら、カノジョの手をぎゅっと握った。

   それでも、僕はカノジョを本気で好きだと思っている。
 カノジョは十五年前のことを知っても、僕を可哀想だとは言わなかった。
 僕を哀れまなかった。
 それで、十分だ。
 カノジョとなら、「おねーさん」の呪縛から逃れられるかもしれない、と本気で思っている。

「そういえば」
 カノジョが微笑む。
「最近、何でもあてる占い師っていうのがいるらしいよ? 行ってみない?」
「そういうの、混んでない?」
「大丈夫。私、会員だから。センセイもあなたに会ってみたいって言ってたし」
 ね? って可愛く小首を傾げられた。
 そのまま、引きずられるようにして向かって行く。
「あなたを連れて行ったら、私次の儀式にすすめるしね」
 歌う様にカノジョはそう言った。
 抱えられた右腕に、指輪の感触が痛かった。