身に纏うは白い衣裳。婚礼衣裳。
 今日のために長く伸ばしていた黒髪を結い上げる。
 赤い紅。
「シャーロット」
「お養父さま、わたし、綺麗?」
 わたしの言葉に、お養父さまはいつもの厳しい顔で一つ頷いた。
「今まで、ありがとうございました」
 わたしは微笑んで頭を下げる。
 お養父さまは何も言わない。
 何も言わなくて良い。
 わたしは、しきたりどおり古い馬車に乗り込む。
 ベールを顔の前に。
「大丈夫。きちんと、決められたとおりに行います」
 微笑む。口に出してさよならは言わない。
「みんな、ありがとう」
 小さく呟くと、馬車が動き出した。
 お養父さまがじっとこちらを見つめている。
 両手で顔を覆うバーバラの肩を、そっとヴィクターが抱いていた。ヴィクターの奥様は数年前になくなった。再婚すればいいのに、あの二人。言っておけばよかったな。
 お屋敷を見る。
 三年間過ごした屋敷。今までありがとう。
 そして、その隣に建つ、高い塔を見上げる。
 わたしの城。
 さよなら、三年間幸せだったシャーロット。幸福なシャーロット。
 目を凝らしても、上の方にわたしの部屋は見えなかった。でもきっと、彼は窓からこちらを見下ろしているだろう。
 さよなら。愚かなボグスワフ。

 白き龍が、主様が、住んでいるというお社。山奥の、洞穴。
 馬車はしきたりどおり、わたしをおろし去って行く。
 振り返らない。
 決められたとおりに動くだけ。
 まっすぐに、洞穴の奥に進む。
 まっすぐ歩き、少し広い場所へ出た。明るい。
 小さく息を飲んだ。
 真っ白い、真っ白い、龍。大きな、龍。
 心臓が痛い程脈を打つ。深呼吸。
「主様、シャーロットと申します。どうぞ、よろしくおねがいします」
 しぼりだすようにそう言うと、頭を下げる。
 目を閉じる。
「どうぞ、領土に発展を」
 きつく、目を閉じる。
「可哀想なシャーロット」
 歌うように、主様が言った。
 その言い方に、聞き覚えがあった。
「え?」
 顔を上げる。
 真っ白い大きな龍が、主様が、その赤い瞳でわたしを見下ろしていた。
「のこのこココまでやってきて、どっちが愚かなんだ? 可哀想なシャーロット、愚かなシャーロット」
 ほんの一日前にも聞いた、だけれども懐かしい声。三年間ずっと聞いてきた、言い方。
「……ボグスワフ?」
 あの小さくて、少年のような、そんな悪魔の名前を呼ぶ。
 白髪で、赤い瞳の、悪魔。
 主様が口を開く。赤い舌が、ちらりとのぞく。笑うように。
「え、どうして。あなた、ボグスワフなの?」
「気づかないものだな、愚かなシャーロット」
「だ、え、なんで?」
 何度も何度も頭の中で確認してきた流れは、ふっとんでしまう。
 わたしは間抜けにも口をぽかりとあけて、白き龍を、主様を、ボグスワフを見上げる。
「あの塔は、花嫁が婚礼の儀までを過ごすための塔だ。その塔に住み着く悪魔が、無関係だと思ったのか? 可哀想で愚かなシャーロット」
 バカにしたような言い方。間違いなく、ボグスワフ。
「なんで、あなた、そんな」
 言葉にならない。聞きたいことは沢山あるのに、何も言えない。
「見極めたくてな。花嫁に値するか」
 ボグスワフは構わず、続ける。
「最初の娘はよかった。些か愚かで短絡的だったが、わざわざ俺のところにくる娘なんていないからな。楽しかった。だから、喰わずに一緒に暮らした」
「暮らした?」
「花嫁だからな」
「楽しかったから領土に実りをもたらしたの?」
 だとしたら、随分と優しい。
「実り? ああ、あれは偶然だ。俺にそんな力はない」
 こともなげにいう。
「なんていうこと……」
 それじゃあ、わたしはなんのために。
 ボグスワフは、わたしに構わず続ける。
「次の娘は、つまらなかった。始終びくびくして、めそめそ泣いていた。五月蝿かったんで、喰った。だが、不味かった」
 わたしを見下ろす赤い瞳。
「大体の娘はつまらなかった。五月蝿かったしな。別に、俺が生贄を望んでいたわけではないんだが、くれるというならばもらうつもりだった。だからって、あれはない。あいつらは邪魔だった」
 ため息のようなものをつく。
「だから、来る娘を最初に見極めようと思ってな。五月蝿そうだったら、ここに来る前にお引き取り願おうと思っていた。喰ってもまずいし」
「……だから、塔にいたの?」
「ああ。可哀想なシャーロット」
 そして、ボグスワフは瞳を一度閉じた。次の瞬間には、あの小さい少年の姿になっていた。どうなっているのか、まったくわからない。
「お前は面白かった、シャーロット。俺がどんなに可哀想だ可哀想だと言っても、お前は本気で自分のことを可哀想だと思っていなかっただろう?」
「当たり前だわ。わたしは、幸せだったもの。愚かで愛を知らぬボグスワフにはわからないでしょうね」
 揶揄するように唇を歪めてみせる。
 ボグスワフは楽しそうに笑った。
「俺を愚かだという人間も、お前がはじめてだ。愉快だ。実に愉快だ」
 ボグスワフが近づいてくる。
 わたしのベールをあげる。
「俺を愛しているという人間もな」
「なっ」
 真顔で言われて、顔に血が上る。
「あ、あなた! 起きていたのっ?
 悲鳴のような声が漏れる。
「ああ、愚かなシャーロット」
 楽しそうにボグスワフが笑う。
「愛を知らぬと罵った相手を、愛しているとは。お前は本当に、可哀想で、愚かだな」
 嫌なやつ。本当に、嫌なやつ。
 だけれども、とても愛おしい。
 どうしよう。困ってしまう。
「だからお前は合格だ。喰わない」
 そして、わたしをつま先から頭まで眺め、
「意外と似合うな、馬子にも衣装か」
 なんて言う。
 嫌なやつ。
「喰わないわたしを、どうするの?」
「花嫁なんだろう?」
 なんのための格好だよ、これ、と小馬鹿にしたようにボグスワフは言った。
「花嫁?」
「幸せだなー、シャーロット。愛していると告げた相手の花嫁になって」
 嫌なやつ。顔をしかめる。
「卑怯だわ」
「何が」
「何がかはわからないけれども」
 少し唇を尖らせる。ボグスワフは楽しそうに笑う。赤い瞳を細めて。
「ああ、それから、生活の本拠はここじゃないから安心したらいい。まあ、元の場所には戻れないけれども。それから」
 わたしの頬にそっと手をあてる。
「可哀想なシャーロット。もしも、もしもお前が望むのならば、お前をこちらの眷属にしてもいい。人間には戻れぬが、長寿をあたえよう」
 真剣な赤い瞳がわたしを真っすぐ捉える。
「永遠に、ともにいよう」
「……どうせまた、五十年後に新しい花嫁を呼ぶのでしょう?」
「なんだ、ヤキモチか」
「違う」
「お前が俺とともにいてくれるのならば、新たな花嫁を要求することはやめるよ。別に、もともと必要だったわけじゃないし。別に俺なにもしてないし」
 つまらなさそうにボグスワフが言う。
 その赤い瞳をそっと覗き込む。
 何を考えているのかわからない。
 でも、わたしと一緒にいてもいいと考えてくれている。
「わかったわ」
 わたしは一つ頷いた。
「じゃあ」
 少し嬉しそうに笑うボグスワフに
「でも、条件があるの」
 わたしは微笑む。
「愛しているって言って」
 途端にボグスワフは、つまらなさそうな顔になった。
「そうしたら、わたしはあなたとずっと一緒にいる」
「愛を知らぬと言ったのはお前だろう、シャーロット。言う訳がない」
「じゃあ、無理だわ」
「ならば、五十年後に新しい花嫁を要求するまでだ。今度は最後までともにいてくれる花嫁をな」
 吐き捨てるようにボグスワフが言う。いつものような口喧嘩。
 ああでも、ボグスワフ。あなた、結局、寂しいだけじゃないの。永遠に一緒にいてくれる相手が欲しいだけじゃないの。
 愚かなボグスワフ。愛おしいボグスワフ。あなたが望むのならば、わたしはあなたと永久に一緒にいるのに。
 望むのならば。
「そう。じゃあ、この話は一旦保留にしましょう?」
 わたしは首を傾げる。
「これから先、時間はたっぷりあるんですもの、わたしがあなたに愛を教えてあげる。愚かで愛を知らぬボグスワフ?」
 ボグスワフが怪訝な顔をする。
「そして、愛していると言わせてやるわ」
 わたしがわざとらしくそういうと、ボグスワフは「おお怖い」と肩を竦めてみせた。
 わたしは薄く微笑んだ。
「愚かなボグスワフ。わたしはあなたを愛しているわ」
 そうしてわたしは、ボグスワフに向かって左手を伸ばし、頬に添える。そして、
「ごめんなさい」
 隠し持っていた剣を、右手に持ち、
「シャーロット?」
 ボグスワフの腹部に突き刺した。抱き合うようにして。
「っ!」
 短い悲鳴をあげたボグスワフに突き飛ばされる。
「いまだ!」
 背後から聞こえる男の声。足音。 
「ごめんなさい」
 突き飛ばされた姿勢のまま、地面に倒れ込んだままつぶやく。
 私の横を騎士様が駆け抜け、最近見つかったという伝説の剣で、
「滅びろ、魔獣!」
 ボグスワフを、
「……ああ、なるほど」
 斬り裂いた。
 倒したぞ! お嬢様大丈夫ですか? かけられる声に返事をせず、ボグスワフに近づく。
 まだ少し、開かれた赤い瞳。
「そう、だったのか」
 かすれた声が聞こえた。
 私は泣きそうになるのをこらえながらボグスワフに一度頭を下げた。ごめんなさい。
「だまされた、な」
 私がもらわれてきたのは生け贄にされるためだけじゃなかった。できれば主様を殺すこと。主様がいなくなっても、領土の発展を約束する新しいパトロンを見つけたから。主様はもう、いらなかった。
 ボグスワフが何か言った。それはもう、言葉にはなっていなかった。
 それでも、私には彼が最期になんと呟いたのかわかった。
「可哀想な、シャーロット」
 代わりに自分でそう呟くと、しゃがみ込んだ。
 顔を覆う。
「大丈夫ですか、お嬢様」
 返事はできない。嗚咽が漏れる。
「怖かったですよね、もう大丈夫ですよ」

 愚かなボグスワフ、可哀想なボグスワフ。
 主様があなただと知っていたら、こんな役目、引き受けたりしなかったのに。
 主様を倒すことを要求されていた。たとえ、命と引き替えにしても。それが今まで可愛がってもらった恩返しだと思っていたから、引き受けることに異論はなかった。
 それでも、ああ、可哀想なボグスワフ。
 万が一、無事に戻れたら、まっさきにあなたに会いに行くつもりだったのに。
 あなたが永遠に一緒にいようと言ってくれたこと、うれしかったのに。
 なんて愚かなシャーロット。
 こんなことなら、あの時あなたの手を取って逃げれば良かった。いいえ、本当はあなたを刺さずに逃げればよかった。逃げることができたはずなのに。もっと他の道を選ぶことができたはずなのに、なにもできなかった。
 家族を、裏切れなかった。
 ああ、わかっていたはずなのに。
 ウマい話には裏があるということを。
 可哀想な、シャーロット。
 愚かな、シャーロット。