午後からは、婚礼の儀の衣装合わせをした。 フリルとレースを沢山使用した、それでいてどこかクラシカルなデザインの真っ白なドレス。ウェディングドレス。うっとりしてしまうぐらい、素敵なドレス。 素敵な、死に装束。 鏡の向こうのわたしに微笑む。 「やだ、わたしってば、とっても似合っているわね」 言うと、メイド頭のバーバラが皺だらけの顔を歪めた。 「ね、バーバラ。わたし、綺麗よね」 微笑む。 「綺麗ですよ、シャーロットお嬢様」 俯いて肩を震わせたバーバラの代わりに、ヴィクターが答えた。 「そうでしょう?」 わたしは満足そうに頷く。 「これで化粧もしたら、見違えてしまうわね」 「……それはもう、きっととてもお美しいです、シャーロットお嬢様」 かすれた声でバーバラが答える。 「ありがとう、バーバラ」 わたしは彼女の肩を抱いた。ぎゅっと力を入れる。 優しいバーバラ。優しいヴィクター。みんな優しい。 みんな、わたしを、「シャーロットお嬢様」として扱ってくれる。すべてを知っているのに。 これは家族ごっこ? いいえ違うわ、ボグスワフ。 ごっこじゃないわ。 「いいや、家族ごっこだね」 部屋に戻るなり、ボグスワフが言った。 「家族は、家族を生贄に差し出したりしないさ」 「貴方になにがわかるの、ボグスワフ」 わたしは露骨にバカにするような笑みを浮かべてみせる。 「愛を知らない悪魔に、何がわかるの。ボグスワフ」 言うとボグスワフは押し黙った。 「愚かなボグスワフ、貴方には何もわからないわ。わたしたちのことなんて」 そして、わたしのことも。 わたしは黙ったままのボグスワフの横を通り抜け、机の上においた日記を手に取る。 「可哀想なシャーロット」 「何かしら?」 「必要ならば、俺が逃がしてやろうか? 一緒に逃げようか?」 ボグスワフが言う。真顔だった。 ここにきて、そんな真剣な顔はやめて。 「愚かなボグスワフ。何を言うの?」 覚悟は決まっているの。かき乱さないで。 「そんなことして、主様を怒らせたらどうするの」 そんなことはできない。 ボグスワフは肩をすくめた。 「言ってみただけだ」 「そう。気持ちだけありがたく受け取っておくわ。そしてさよなら、ボグスワフ」 できるかぎり微笑んでみせる。 ボグスワフが首を傾げる。 「今日はわたし、屋敷の方で寝るの。我が侭言って、お養父さまと同じ部屋にして頂いたの」 アンジェラはよく、眠れないと駄々をこね、お養父さまとお養母さまの部屋で眠っていた。それを密かに羨ましいと思っていた。 親子だ、と。 「だからもう、ここには戻らないわ」 ボグスワフは答えない。 「さよなら、愚かなボグスワフ。三年間、楽しかったわ」 「……そうか、さよなら、可哀想なシャーロット」 わたしは微笑んだまま片手をふり、部屋を後にした。 お養父さまとお養母さまの部屋は、白を基調にしたシックなデザインだった。 「はじめてはいりました」 わたしの言葉に、お養父さまが一つ頷く。 お養母さまのベッドに腰掛ける。 「あとで、怒られないかしら? 勝手にお養母さまのベッド使って」 「了解は、とってある」 「ならよかった」 わたしは微笑んで、そのふかふかのベッドに体を横たえる。 「……シャーロット」 「お養父さま」 お養父さまの言葉を遮り、天井を見上げたまま、わたしは呟く。 「わたし、三年間とても幸せでした」 お養父さまは答えない。 「とてもとても、幸せでした」 寝返りをうち、寝転んだままお養父さまの方を向く。はしたないこと。でも今日だけは許してください。 「本当はね、お養父さま、わたし、アンジェラを殺そうとしたことがあるの」 お養父さまはいつもの少し厳しい顔をしたまま、何も答えない。 「憎くて。可愛いけれども、愛おしいけれども、とても憎くて。アンジェラさえいなければって思ったの」 おかしいわよね、と笑う。 「アンジェラがいなければいないで、わたしはさらに必要となるのに」 「シャーロット、それは」 「でもね、お養父様。やっぱりわたしにはできなかった。こっそり当日、アンジェラを騙して入れ替わろうなんて考えたこともあったのだけれども、できなかった」 だってわたしね、お養父様。 「アンジェラのこと、好きだから」 視界が滲む。慌てて一つ息を大きく吸った。 笑っていなければ。 「アンジェラのことも、お養父さまのことも、お養母さまのことも、ヴィクターも、サイモンも、バーバラも」 指を折って、一つずつ、この屋敷にいる人の名前を挙げる。 それから、ボグスワフ。愚かな悪魔。小さく唇だけでその名前を呟く。 「わたし、みんなのことが好きなの。大好きなの。本当は、どこの馬の骨ともわからないわたしに対して、みんなとても良くしてくれた。優しくしてくれた。愛してくれた」 お養父さまの顔が、いつもよりも少し厳しく、険しく見える。 「本当ならお養父さま、わたし、今頃は孤児院を追い出される年齢になって、職もなく、飢えているころだったのに。お養父さまは、わたしに十分過ぎる住環境と、家族をくださった」 ゆっくりと上体を起こす。 「ねえ、お養父様わたし本当に」 微笑む。 「感謝してもしきれません」 ぽろり、と頬を伝ったしずくの感触に慌てる。 「あ、れ。やだ、わたしったら」 それを拭うわたしの手を 「シャーロット」 小さく名前を呼んで、お養父さまが止めた。 「すまない、シャーロット。すまない」 「あ、謝らないでください。わたしは、本当に、平気なんです」 「私が平気ではないよ、シャーロット」 お養父さまの震えた声。 「すまない」 そっと伸びた大きな手が、わたしの頭を抱え込んだ。 「私の娘」 小さな声に、きつく目を閉じる。涙が止まらない。 「おとうさま」 小さい声で呟くと、頭を撫でられた。 「わたしが戻らなかったら、アンジェラ、たぶん、泣くと思うから」 「ああ」 「だから、そしたら、なぐさめてくださいね。わたし、アンジェラのこと大好きだったって、言ってくださいね」 「ああ」 「アンジェラには、ほんとうのこと、言わないでくださいね」 「ああ」 「あの子は、ちいさいから。でももし、大きくなったアンジェラが知ってしまったら」 わたしは、お養父さまの手から抜け出し、持ってきた日記を手に取る。 それをもって、お養父さまの隣に座った。 「これを。よかったら、見せてあげてください」 「これは?」 「わたしの日記です。孤児院にいたころからずっと書いてきたんです。毎日じゃないけど、ちょっとずつだけど。字、下手だけど」 ぼろぼろになった装丁を撫でる。 「アンジェラが負い目に感じないように。わたしが、どれだけアンジェラのこと、好きだったか、書いてありますから」 微笑む。 「みんな大好きです」 お養父さまが頭を撫でてくれる。 嬉しい。幸せだ。 「一人っ子待遇で、嬉しいです」 小さく微笑んだ。 お養父さまがその厳しい顔の中、少しだけ口元を緩めた。 本当に、平気なのだ。 わたしは幸せだった。幸せだ。 好きな人達のために、生贄になるのならばそんなことなんでもない。身代わりにだって、なれる。なんだってできる。 ただ、もし心残りがあるとするならば。 その夜は、お養父さまと昔の話をしたまま、気づいたら眠っていた。 お養父さまはずっと、手を握っていてくださった。 目覚めて、それに気づいて、幸せにまた少し泣いた。 お養父さまがまだ眠っているのを確認すると、早朝、わたしは部屋を抜け出した。 そっと塔の階段をのぼる。 三年間、使っていたドアを開ける。 「ボグスワフ?」 小さく名前を呼んでみる。返事はない。 ドアを開け放つ。 「……あきれた」 ボグスワフは、わたしのベッドで気持ち良さそうに大の字になって寝ていた。 「悪魔も寝るのね」 結局、彼がなんなのかは、わからなかった。 毎日毎日顔をあせて、お互いを可哀想なシャーロット、愚かなボグスワフと罵り合っていたけれども。結局、ボグスワフが何者なのかわからなかった。 わたしのことを、どう思っているのかも。本当に、可哀想なシャーロットと思っているのかも。彼が本当に、愚かなボグスワフなのかも。 その髪をそっと撫でる。 初めて触った。アンジェラの髪質と、よく似ていた。柔らかい白髪。 「ボグスワフ」 名前を呼ぶ。 「ボグスワフ、ボグスワフ」 心残りがあるとするならば、 「あなたがいてくれたから三年間、この塔の中でも寂しくなかった。悲観したりもしなかった。あなたは冷たくて意地っ張りで唐変木で悪魔だったけれども、わたしの話相手になってくれた。気まぐれで、口を開けば可哀想なシャーロットなんて言ってたけれども、あなたはわたしを不安に陥らせようとしていたけれども、あなたがいたからわたし、寂しくもなかったし不安でもなかったのよ。ボグスワフ。愚かなボグスワフ」 心残りがあるとするならば、 「わたしは、ボグスワフ、あなたが大好きだった」 この気持ちだけ。 「大好き」 そっと囁く。 ボグスワフは目覚めない。 その頬に、そっと口付けた。 「愛している」 この感情は、お養父さまに対するものでも、お養母さまに対するものでも、アンジェラに対するものでも、ない。ボグスワフだけに向ける感情。 「愛などわからない悪魔に、何を言っても仕方がないわね」 苦笑する。 なんて報われない恋だったのだろう。 もう一度、ボグスワフの寝顔を眺め、部屋を後にした。 さよなら、三年間幸せをくれた部屋。 さよなら、愚かなボグスワフ。 さよなら、愛しいボグスワフ。 |