ウマい話には裏がある。

「おはようございます、お養父さま」
 わたしの言葉に、お養父さまは渋い顔をしたまま一つ頷いた。
「おはようございます、お養母さま」
「おはよう、シャーロット」
 お養母さまは優しく微笑んだ。
「おはようございます、シャーロットおねえさま!」
 明るい声でアンジェラが言う。とん、っとわたしの腰に体当たりし、しがみつく。
「おはよう、アンジェラ」
 言いながら、アンジェラの頭を撫でた。アンジェラは明るい蜂蜜色の髪を揺らし、満足そうに微笑む。
 朝食の席につく。パンとスープ、サラダ、紅茶。お養父さまの趣味。
 リネンの部屋着は着心地がいい。これはお養母さまの趣味。
「アンジェラ、野菜を残しては駄目ですよ」
 お養母さまに窘められて、頬を膨らませるアンジェラ。五歳年下の可愛い妹。
 黙々と食事を続ける養父さま。
 部屋の隅で微笑んだまま、優しげにわたしたちを見つめる執事のヴィクター。
 美味しい食事。暖かい部屋、洋服。優しい家族。足りないものは何もない。
 血のつながり以外は。

 わたしがこの屋敷にきたのは、今から三年前。小さいけれども立派な領土を持つお養父さまが、孤児のわたしを引き取ってくださった。
 孤児院の先生からその話を最初聞いた時、住み込みの小間使いなのだろうと思った。それで構わなかった。それでも十分だった。
 けれども、実際のところ、わたしは家族として受け入れられた。
 お養母さまは、アンジェラを産んだ際に生死の境を彷徨い、二度と跡継ぎが産めない体になった。けれども、アンジェラが一人っ子では可哀想だと、兄弟が居た方が良いと、わたしがもらわれた。幼いアンジェラの面倒を見るために、少し年上の子どもがもらわれた。
 料理長のサイモンをはじめ、料理人のみんなが作るご飯はどれもとても美味しい。お養父さまの方針で、貴族にしてはとても質素な食事だけれども、孤児院での堅いパンに慣れたわたしにとっては、なにものにも代え難いご馳走だ。
 お養母さまの趣味で少し質素な洋服は、着心地が重視されている。なにより、繕う必要がない。
 部屋で凍えることもない。
 お養父さまは素っ気ないけれども、見た目怖いけれども、それはただぶっきらぼうな性格なだけ。実はとても、わたしやアンジェラのことを気にかけてくださっている。
 お養母さまはとても優しくて、たまに少し厳しい。それでも、わたしとアンジェラを区別することなく、接してくださる。
 アンジェラは、可愛い妹。まるで天使のような子だ。わたしのことを本当の姉だと思っている。彼女はなにも知らない。ねえさま、ねえさま、とあとをついてくるのが、とても愛おしい。
 執事のヴィクターはいつも優しく微笑んで、やはりわたしのことも、アンジェラやお養父さまたちの家族として扱ってくれている。
 これ以上、何を望めば良いのか。このうえなく幸せな話だ。
 だから、三年前、この屋敷にきた当初は怖かったのだ。これから何が起きるのかと。どうやって、わたしは不幸のどん底に落ちるのかと。
 ウマい話には裏がある。
 きっとそうだと信じていたし、実際、そうだった。

「おねえさまは、おばあさまの別荘にいかないのー?」
 アンジェラが柔らかい髪を揺らして首を傾げる。
 アンジェラの後ろで、お養母さまが困った顔をしている。
 わたしは、お養母さまを安心させるために笑顔を作る。
「おねえさまは駄目よ。おねえさまが塔から出られないのを、アンジェラだって知っているでしょう?」
「まだ、お体悪いの?」
 心配そうな顔をする、アンジェラ。
 その髪を、そっと撫でる。
「ええ、ごめんね」
「うー、わかったー、お土産買ってくるねー」
 アンジェラが笑う。可愛い妹。
 お養母さまが安心と後ろめたさの混在したような顔でわたしを見る。わたしはただ、微笑む。

 ウマい話には裏がある。
 自室としてあてがわれている、塔の一番上へと向かう。
 わたしは、屋敷とこの塔から出ることは出来ない。
 そういう、約束なのだ。

「よう、おかえり。あと、おはよう」
 部屋のドアを開けると、窓辺に腰掛けた少年が笑う。白髪に赤い瞳。小柄な、十代に見える少年。今日もいつもと同じ、黒い衣服に身を包んでいる。
「ボグスワフ、おはよう」
 後ろ手でドアを閉めながら、わたしは微笑んだ。
 彼は、ボグスワフ。この塔に住み着いている。
 ボグスワフが一つ伸びをすると、尻尾がちらりと現れる。黒い、長い、爬虫類のような尻尾。
 それから、背中に生えた、蝙蝠のような羽根。
 彼は、ボグスワフ。この塔に住み着いている、自称悪魔だ。
 どうみても、ただの少年だけど。
「家族ごっこは楽しいかい?」
 ボグスワフが笑う。嫌な笑い方。こちらを見透かすような、バカにするような。
「家族ごっこなどした覚えはないわ」
 ふかふかのソファーに身を沈める。
 塔の一室といえども、最高の住環境を保っている。
「へぇ」
 ボグスワフが笑う。本当に、嫌な笑い方。
 彼は窓の外を見下ろす。
「本物のお嬢様はお出かけのようだが」
 きっと、窓の外ではアンジェラとお養母さまを乗せた馬車が出て行ったところなのだろう。
「おばあさまの別荘にいくらしいわよ」
「へー、じゃあ」
 ボグスワフが笑う。大きくて赤い唇を歪める。
「今生の別れだ、可愛い妹ちゃんとの」
 わたしはうんざりして、わざとらしくため息をついてみせた。
「ボグスワフ、くだらないことを言わないで」
「違うのか?」
「違わないけれども」
 ソファーの上で膝を抱える。
 可愛いアンジェラ。さよならも言えなかった、なんて。
 可愛いアンジェラ。せっかくお土産を買ってきてくれても、わたしはここにはいない。
 可愛いアンジェラ、可哀想なアンジェラ。帰ってきて、わたしが居なかったら、あなたはきっと泣くでしょう。可愛いアンジェラ、可哀想なアンジェラ。
 可愛いアンジェラ。それから、
「可哀想なシャーロット」
 ボグスワフが揶揄するように言った。
 本当に、嫌なやつ。

 次の満月の晩、わたしは花嫁となる。
 この領地は本来、白き龍の持ち物だった。それを人間が勝手に荒らした。
 白き龍は怒り、領地は飢饉、疫病などに苦しむことになった。
 それを当時の領主の娘が、「私が主様を鎮めます」と言い、白き龍の花嫁となった。おそらくは、殺されたのだろう。
 けれども、それっきり領地は平和になり、寧ろ実り豊になった。
 それ以来、領主は五十年に一度、白き龍に、主様に、花嫁を差し出している。
 そして今が、その五十年目だ。
 婚礼の儀は、次の満月の晩。わたしは花嫁となる。生贄となる。その為に、孤児院からもらわれてきた。生贄となるために。
 アンジェラの代わりとなるために。

「ま、貴族様の考えそうなことだよなー」
 許可もなく、わたしのベッドに倒れ込み、ボグスワフが言う。
 いつも思うのだけれども、仰向けになってその尻尾と羽根は邪魔ではないのかしら?
「跡継ぎの身代わりなんて」
「血筋が絶えてしまったら大変ですもの。もうお養父さまとお養母さまとの間に、新しい跡継ぎは見込めないし」
「別に、この国一夫多妻制なんだから、新しい嫁、手にいれればいいのに」
「ボグスワフ」
 窘めるように名前を呼ぶ。
「お養父さまは、お養母さまを愛していらっしゃるのよ」
 だからもう、新しい妻を望んだりはしない。
 仮に新しい妻が嫁いできたとしても、自分と血の繋がった娘を、生贄にするはずがない。
 事実は揺らがない。
「愛、ねぇ」
「ボグスワフ。それ以上、わたしの家族を愚弄するのならば出て行って頂戴」
 ボグスワフが上体を起こす。少し不満そうな顔をして、
「もともとここは俺の塔だ」
「知らないわ」
 睨み合う。
 先に視線を逸らしたのは、ボグスワフの方だった。
「そうだな」
 皮肉っぽく唇を歪める。
「どうせ、もう少しでまた俺のものだ」
 わたしは、小さく唇を噛む。
「……そうね」
「可哀想なシャーロット」
 わたしから視線を逸らしたまま、ボヴスワフが小さく呟いた。
 本当に、嫌なやつ。
 人の気も、知らないで。

 可哀想なシャーロット。
 それはここにもらわれてきてすぐに、耳にするようになった言葉だ。
 ここにもらわれてきて、半年後にお養父さまは全てを話してくださった。でも、その前からわたしは知っていた。
 皆が、かげでわたしの話をしていたから。こどもだからわからないと、思って。
 そして、一部わからない部分を、この悪魔が補足してくれたのだ。ありがたくもない、けども。

 可哀想なシャーロット。
 初めて訪れた新しい家は、暖かくて、美味しくて、優しくて、幸せで。だから不安だった。いつ、この幸せが終わるのかと。
 ウマい話には裏があるのだから。
 屋敷を案内してもらった。その時、わたしはこの塔と屋敷から出てはいけないと言われた。
 そこで不安になった。そこに何の意味があるのかと。
 そして、この塔には先客がいた。
 ボグスワフ。
 自分を悪魔と名乗る、人ではない何か。
 わたしを不安に陥らせようと、あることないこと吹き込んできた悪魔。愚かなボグスワフ。
 ウマい話には裏がある。
 そんなこと、わかっていた。裏がなにかさえわかってしまえば、わたしがそれ以上不安に陥ることなんてなかったのに。
 そんなことも、わからなかったなんて。愚かなボグスワフ。

「ボグスワフ」
 名前を呼ぶと、再びベッドに倒れ込んでいたボグスワフは、視線だけをこちらに向けた。
「貴方は、この塔に住んでいるのよね?」
「ああ」
「じゃあ、わたしがいなくなったら貴方はここに一人になるの?」
 わたしの言葉にボグスワフは一瞬黙り、次に鼻で笑った。
「一人では可哀想と、俺を憐れむのか? 可哀想なシャーロット。一人の方が、せいせいするさ」
 彼は言った。
 その時は、すでに顔をこちらに向けていなかった。彼の表情はよくわからなかった。
「そう」
 人の気も知らないで。
 次の満月の晩は、明日なのだ。わかっているのかしら、ボグスワフ、貴方は。