「まあ、もう、百歩譲ってお菊さんの言うとおり、忍び込んだのはいいとしてさ」
 夜の部室、持って来た毛布にくるまって暖をとりながら呟く。
「なんで肝心のお菊さんがいねーんだよ!」
 大声をだしたらまずいので、小声で怒鳴るという器用な芸当をする。
「仕方ないよー。お菊部長の家、門限厳しいらしいし」
 隣で同じように毛布にくるまりながらのんびり呟いたのは弥生だ。
「なんかもうそういうことじゃないだろう」
 溜息。溜息をついたら幸せが逃げるというが、それならば自分の幸せは逃げまくりだ。
「っていうか、俺は男だからいいけど、葉月さんの家、平気なの?」
「え、あ、うん。友達のところに泊まるって言ったから」
「……ならいいけど」
 放課後、家に一度帰り、荷物を持って来てから、ずっと部室に隠れていた。ただでさえ、校舎の端っこ、陸の孤島の文芸部の部室は下校時の警備チェックは甘い。本なんかもたくさんあって隠れるところには事欠かないし。二人、じっと時が経つのを部室で待っていた。
 夜ご飯としてコンビニで買って来たサンドイッチと、菊に渡されたお菓子を広げて、ちまちま食べながら小声で話を続ける。
 明かりは小さな懐中電灯だけだ。
「あたしは……、お菊部長いなくてよかったけどな」
「なんで? うるさいから?」
 弥生の言葉に思わず常日頃から思っていたことを言うと、
「違うよぉ」
 弥生が少し膨れる。じっと横顔を見られて、視線をそちらに移すと、思ったよりも真面目な顔の弥生がそこに居た。
「……石居くんと二人っきりだから」
 囁くように言われた言葉に、思わず動きを止める。
 ごくり、と喉がなった。
 そうだ。イレギュラーなシチュエーションにかき消されていたが、二人きりなのか。
 言ってから恥ずかしくなったのか、てへへと弥生が笑う。
 憎からず思っている異性と夜の学校で二人っきり。意識すると急に、どうしたらいいかわからなくなった。
 やばいこれどうしたらいいんだ。
 さっきとは別の意味で菊を恨む。
 というか、もしかして菊はこれを狙っていたのかもしれない。お互い憎からず思いながらも、別段距離感を縮めることもない後輩二人に、密かに菊が苛立っていたのも知っている。
 いやいやだからといって学校ですし。
 なんだかよくわからなくなって、食べかけだったサンドイッチを、一気に口に押し込む。
「ぐっ」
 喉に詰まった。
「わっ、大丈夫」
 隣で弥生が慌てたような声をあげて、ペットボトルのお茶を差し出してくれる。素直にそれを受け取り、流し込む。
「げほ、死ぬかと思った……。葉月さん、ありがとう」
 それを笑いながら返そうとして気づく。あ、これさっきまで弥生が飲んでいたやつか。
 ……いやべつに、高校生にもなって関節キスがどうこう言う気はありませんが。ありませんけれども、あるよ!? とかなんとか思っていると、
「あのっ」
 声をかけられる。弥生がじっとこちらをみてくる。真剣な眼差しに少したじろぐ。へたれだから。
「あのねっ」
 弥生は少し頬を赤くして、一瞬躊躇うようなそぶりをみせてから、
「透史くんって呼んでもいいっ!?」
 早口で尋ねてきた。
「へ?」
 思わぬ言葉に間抜けな声をだしてしまう。
「ち、違うのっ」
 それをどう受け取ったのか、弥生がさらに顔を赤くして、両手を無意味にばたばたさせながら続ける。
「お菊部長のことはお菊さんって呼ぶでしょう!? で、お菊部長も、あたしたちのこと名前で呼ぶでしょう!? だから統一したほうがいいかなって、それだけなのっ!」
 そのばたばたした動作を見ていたら、少し気持ちが落ち着いた。
「だめかなぁ」
 呟いて俯く。
 寧ろ、でれでれしてしまう。なにその動き、可愛いなぁ。
「いいよ」
 そう言うと、ぱっと弥生が顔をあげた。
「俺も、弥生って呼んでいい?」
 ちょっと照れながらそう言うと、ぱぁぁぁっと弥生の顔が明るくなった。ぶんぶんと首が飛んでいきそうな勢いで頷かれる。
「ありがとう、透史くん!」
 ああ、この子はやっぱり、すごく可愛い。
 改めてそんなことを思って、また気恥ずかしくなる。
 ついつい視線をそらしてしまうと、
「あ、やっぱり、ダメだった?」
 小さな声で呟かれる。
「や、そうじゃなくて」
 慌てて再び視線を向けると、泣きそうな顔。ああもう、そうじゃなくて。
「恥ずかしいなって思っただけ」
 言うと、弥生の顔も赤くなった。
「うん……、あたしも」
 てへへ、と笑う。照れ隠しのように。
 なんとなく、お互い微妙な笑みを浮かべながら見つめあってると、
「わっ」
 ぶーぶーとポケットのケータイが震えた。
 なんだよ、誰だよ、びっくりするだろ。今、ちょっといいところだったのに!
 弥生に謝りながら取り出したケータイには、メールが届いていた。
「お菊さんだ」
 開く前にわかる。絶対、ロクでもない用件だ。
 それでも渋々開封すると、
「どうせいちゃついてんじゃないのー? むっつりすけべめ! そろそろ体育館へゴー!」
 ふざけた文章が書いてあった。
 っていうか、見てんのか? どっかに監視カメラでもあるのか?!
「お菊部長、なんだって?」
 覗き込もうとした弥生から、さりげなく画面を隠す。いやだって、いちゃついてるとか書かれてるとさぁ!
「体育館行けって。いないくせに、偉そうに」
「あ、もうそんな時間?」
 確かに、そろそろ日付が変わる。
「お菊さんじゃないけど、何か起きるなら0時だろうなー」
 言いながら立ち上がる。命令には素直に従う、悲しい習性。
「そーだね」
 言いながら、弥生も立ち上がろうとするのを、
「あ、葉月……じゃない、今のなし」
 苗字で呼ぼうとしたら、弥生が悲しそうな顔をしたから慌てて言い直す。
「弥生、はここにいて」
「え、でも……」
「万が一、出歩いているところを誰かに見られたらまずいじゃん? ここにいた方が、隠れられるし安全だと思うから」
 まあ、部室に一人にするのも心配っていえば、心配だけど、怒られるなら自分だけの方がいい。
「いいよ、ついてくよ? 怒られるなら一緒に怒られるよ?」
「いやー、男女二人で学校残ってたってばれた方がややこしそうだし」
 一人で忍び込んでたよりも、すっげー怒られそう。
「どうせなんでもないだろうからさ、すぐ戻ってくるよ。そしたら、また話の続きしよう?」
 弥生は考えるようにしばらく透史の顔を見ていたが、
「ん、わかった。気をつけてね」
 やがてちいさく頷いた。