第一幕 ミスミミミと呪いのピアノ


 今日も、黒い。
 教室にその姿を見つけると同時に、石居透史はそう思った。
 窓際の一番後ろの席。文庫本を片手に頬杖をついている、その姿。高校一年の十月なんて、中途半端な時期に転校してきた、女生徒。
「おはよー」
 自分の机につくと、前の席の友人が片手をあげた。
「おはよ、今井」
 言いながらも、ちらりと視線を後ろに向ける。
 やはり黒い。
「なんだ、またミス?」
 揶揄するように小声で問われて肩をすくめる。
 三隅美実。転校初日、黒板の前で早口で名乗った彼女の声が、ミス・ミミミに聞こえて以来、影ではミスと呼ばれている。
「いや、今日も黒いなぁと思って」
 制服の準備が間に合わなかったと言って、彼女は一人だけ前の学校のセーラー服を着ている。黒いセーラー服。タイも真っ黒。わずかに襟にはいった二本線だけが白い。この学校の制服は茶色のブレザーに緑のタータンチェックのスカートなので、よりいっそう、その黒さが目立つ。
 それに、
「肌白いから余計思うよな」
 友人も同調した。
 透けるように白い肌がよけい黒さを際だたせる。この学校のスカートに比べてひだの多いスカート。規定通り膝丈の長さのそれから、白い膝小僧だけが見えている。膝より下は黒いソックスが覆っている。
「髪も黒いしね」
 小声で付け加えた。
 細い黒髪は胸の辺りまでの長さがある。唯一残された白線を拒むかのように、肩の辺りでゆれている。
「ミスは絶対笑ったらかわいいと思うんだが、しかしまあ笑わないなぁ」
「笑わないな」
 初日、印象に残ったのは、常識的な目鼻立ちを無視するような、大きくて黒目がちの瞳だった。その下の小さな口は、何かを拒むかのように必要最小限にしかあけられることはない。
「笑わないっていうか、しゃべんないもんな」
 色々気になる部分があるからか、つい目で追ってしまう。
「いや、だが石居。よく考えろ」
「なんだよ」
 急に今井が真面目な顔をするから、そちらに視線を移す。
「ミスになんか浮気してていいのか。おまえにはかわいいかわいい弥生ちゃんがいるじゃないか」
 だが、真面目な顔からでてきた、からかうような口調に心の底からため息をつく。
「あれはそういうんじゃないって何回言えば」
「幼なじみの腐れ縁とかいうんじゃないだろうな」
「いわねーよ。つーか、なにそれ」
 なぜ急に幼なじみ?
「最近、とある幼なじみマンガに再はまりしてな」
「ふーん」
 心底どうでもよかったので、あっさり無視すると、またちらりとミスに視線をうつす。
 まつげが頬に影を落とす。
「うわぁ、超興味なさそー」
「ないよー」
「もてよ」
「つーか」
 あんまり見るのもよくないな、と我にかえると、再び友人の方を見た。
「幼なじみどころか、葉月さんって高校ではじめてあったんだけど」
「あれ、そーなん? てっきり中学とか一緒だったんだと思ってた」
「違うよ。ってか、葉月さんってなに中?」
「ん? そういや知らないな。おまえも知らないのか未来の嫁の中学を」
「おまえもう黙れ」
 何がどうしても嫁にしたいってことだけはよくわかった。
「いっしいくーん、おっはよぉー!」
 わけのわからない会話を、底抜けに明るい声が遮った。膝上十五センチに折り曲げられたスカートを翻し、かけよってくる彼女をさっと交わす。彼女の手は宙を抱いた。
「んもう、おはようのハグぅー」
 拗ねた顔をするのは、噂のクラスメイト、葉月弥生だ。
「葉月さん知ってる? ここって日本で、日本にはそういう文化ってないんだよ」
「あたしと石居くんの仲じゃない」
「同級生っていうね」
「んもう、照れ屋さんなんだからぁ」
 もう、分からず屋なんだからぁーと唇を尖らせる。
 葉月弥生。入学式の日の、あたし、一目惚れしちゃったかも! の言葉を皮切りに、透史のまわりをうろちょろしている。どこまで本気で言っているのかわからないので明確な返事をしたことはないが、別にそんなに悪い気もしないというか、むしろ割と好感を抱いているので、なんとなく毎朝、お決まりのようにくだらないやりとりを続けている。今井は勝手に石居の嫁とか言いやがる。
「弥生ちゃん、おはよー」
「あ、今井くんいたんだ、おはよ」
「ひどっ」
 薄情な台詞に透史が思わず呟くと、
「いやいや、弥生ちゃんは石居しか見えてないよな、わかるわかる」
「何がわかるというのだお前は」
「さすが今井くん、わかってるぅー」
「あ、今さー、弥生ちゃんの話してたんだけど」
「俺は無視か」
「おお、だからさっきからくしゃみがとまらないのね」
 わざとらしく鼻の下をこする。
「弥生ちゃんってどこ中?」
「中学……、は県外だったんだよぉ? 言わなかったっけ?」
「あれ、そうだったっけ?」
「あ、っていうか! 今日、放課後取材だよん!」
 ぽんっと両手を合わせて弥生が言う。肩までの長さの、パーマをかけた髪が一緒に揺れる。ふわふわとしたその茶色の髪の毛は、少し犬を連想させる。
「なにそれ、聞いてない。本当なら休みだよね? なんでお菊さんは、俺には連絡してこねーんだよ」
 一応ケータイを取り出すが、メールもなにも来ていない。
「メールじゃないよ、さっき、昇降口でお菊部長に会って聞いたの」
「なるほど」
 よくわかった。
「思いつきか」
 いっつもそれだ、あの人は。
「なに、部活?」
 黙って見ていた今井が尋ねてくる。
「そう」
「今はなに調べてるの?」
「次は、七不思議シリーズ第三弾、第二音楽室の呪いのピアノだよ!」
 歌うように弥生が答えた。
「七不思議なー」
 何が悲しいかって、これが第三弾なことだ。