どれだけそうしていだのだろうか。
「三島さん」
 ゆっくりとドアがあく音がして、声をかけられた。振り返ると、案の定、美作さんが立っていた。
「美作さん」
 しゃがんだまま顔をあげて、自分でも驚くぐらい情けない、弱々しい声で彼の名前を呼んだ。
「喧嘩、したんだって」
 美作さんが困ったように笑いながら、言った。
 その言葉に、首を横にふる。
「喧嘩なんていいものじゃ、ないです」
 ただ一方的に傷つけた。峯岸を。あれはやつあたりだ。わかっているのに、傷つけてしまった。
 ふふっと美作さんが笑って、それに少し驚く。この局面で、なんで笑うの?
「峯岸さんも言ってたよ、喧嘩じゃないって。今まで三島さんの好意にただのりしていたツケがまわってきたんだって」
「……峯岸が、美作さんに相談したんですか?」
 まっさきにこぼれ落ちた言葉はそんなもので、自分で自分に嫌気がさす。なんで峯岸の心配の前に、そんなことを気にしてしまうんだろうか。
「MIMIMIの今後についてだからね、あたりまえだよ」
 だけれども、そんな私には構わず、美作さんは当たり前のように笑った。
 まだ、MIMIMIだと思ってくれているのか。あんなこと言ったのに。
「峯岸さん、気にしていたよ。三島さんがそんなこと思っているなんてまったく気がつかないで、振り回して迷惑をかけてしまったって」
 とりあえず座ろうか、と促されて、テーブルにつく。
「正直、俺もちょっと驚いた。三島さんがそんなこと言うなんて、って」
「……ごめんなさい」
「でもまあ、俺は三島さんが言ったことも、わかるよ。わかるっていうか、考えなかったこと、悪かったなって思って」
 美作さんが困ったような顔をしたまま、続ける。
「三島さんからみたら、そう見えるときもあるよね。俺ら、三島さんの才能にずっとあやかってきたわけだし」
「……才能?」
 私の、才能? 何を縁遠い言葉を言うのだろうか。
「才能でしょ? 台紙作ろうって言ってくれたことも、ブースのことも、折り紙のことも、全部」
 才能だよ、と念を押すように美作さんが言った。
「なんかさ、俺がいうのもどうかと思うけど。……三島さん、そういうところ、自己評価が低いよね?」
「え?」
「自分に才能なんてない、って思っているでしょう?」
 図星をつかれて口ごもる。
 だって、事実そのとおりじゃないか。私に才能なんてない。
「だけどさ、俺や峯岸さんからしてみたら、あのブースとか、三島さんの才能の賜物なわけ。……間違っていたらごめん。だけど、多分だけど、三島さん、無から有を生み出すことっていうか、何かの形を作り上げることが、何かを作り出すことだと思っているでしょう?」
 だって、そのとおりじゃないか。
 小さく頷く。
 何もないキャンバスに絵を描く峯岸。ただの折り紙をアクセアリーにしてしまう美作さん。そういうのが、何かを生み出すことではないのか。
「俺に言わせればさ、三島さんが作ってくれたブース。あれはもう、作品だよ」
「作品?」
「そう。俺たちの作品を使った、三島さんの作品。俺は、そういう風に思っているよ」
「だけど」
「だってさ、俺や峯岸さんじゃあのブースはできない。あのブースができるのは、世界でただ一人、三島さんだけだよ。それって、作品じゃないの?」
 にっこり、と美作さんが微笑む。
 そんなこと、考えたことなかった。そう、思っても、いいのだろうか。
「準備しているとき、ブースのこと考えているときの三島さん、すっごく真剣な顔していたよ。Insulo de Triの陳列しているときもそうだけどね」
「私が?」
「うん。似ていたよね、あれ」
「……なにに?」
「峯岸さんに」
「え?」
「絵を描いている時の、峯岸さんに」
 その言葉に、心臓がぎゅっとなった。何かを生み出すときの、真剣な顔の峯岸に似ている?
 じゃあそれは、美作さんとも似ているんだろうか。私が好きになった、美作さんの真剣な横顔に。
 だとしたら、とても嬉しい。
「まあ、峯岸さん、絵描いているとこ見られるの嫌だとか言うからさ、お遊び程度の絵の時しか見たことないけどさ。だけど、似ていたよ。真剣にとりくんでいて、だけど楽しいとかわくわくするとか、そういう感情がにじみ出ている顔」
 似ていたんだよ、と美作さんは優しく続けてくれた。
「……ありがとうございます」
 少しは、私は、私のことを誇ってもいいのだろうか。ただの凡人だと、才能のある二人とは違うと、卑屈にならなくてもいいのだろうか。
 耐えられなくなって、俯く。ぽたぽたと、涙がこぼれ落ちる。
 美作さんがそっとハンカチを差し出してくれるから、素直にそれを受け取った。
「すみません」
「ううん」
 だからね、三島さん、と彼は話を再び戻した。
「なんだかんだで俺たちは、やっぱり三島さんの才能にただ乗りしてたんだと思うんだ。それって、やっぱり、よくないよね。三島さんが、おいしいところだけ持っていって、って言うのも、やっぱりわかるよ」
 甘えていたんだよな、と優しい声は言葉を続ける。
「才能をただノリされるのが嫌なこと、俺もわかっていたはずなのに」
「え?」
「アクセサリーを作る人間なら誰だって一度は言われたはずだよ。知り合いとかに、私にも作って、友達なんだからただで! とか、知りあいからお金をとるのか、とか」
「……そんなことが?」
「今度、他の作家さんにも聞いてみなよ。あるあるだよ、これ。多分、峯岸さんも同じようなこと言われたことがあるはずだよ。絵を描いているって知られたから、ちょっとこのチラシに絵を描いてよ、なによ、ただじゃないの、けちけちしないでよ、さっさっとでいいからさ、とかね」
 戯けたように美作さんが言う。
「技術は目に見えないから、ただだと思っている人、結構いるよ」
「……そんな」
 自分にはない技術だから、お金を払ってでもやってもらうんじゃないの?
「うん、三島さんは絶対、そこをわきまえているよね。そういうところが、俺は好きだよ」
 さらりといわれて、また違った意味で、浮かれて心臓が跳ねる。落ち着きなさい、私。これはただの、人間として好き、の意味なんだから。
「試作品じゃないともらってくれなかったし、実費でいいって言っているのにちょっと多めに払ってくれたり。三島さんが、技術に敬意を払ってくれているのは知っていた。なのに、ごめんね」
 美作さんが頭をさげる。
「なのに俺らは、そんな三島さんの技術に敬意を払うことを忘れていた。やってもらって当たり前、だと思っていた。本当に、悪かったと思っている」
「……いえ、そんな」
「だからさ、これからは、仕事として引き受けてくれないかな?」
「え?」
「才能に対する敬意を払って、手伝ってくれた分の報酬は支払う。なんだかんだで、俺と峯岸さんには三島さんが必要だから、これから先何も頼まない、という選択肢は見えなくってさ」
 だめかな? と美作さんが恐る恐る首を傾げた。
「……駄目じゃないです」
 もう一度あふれてきた涙を拭うと、首を横に振った。
「ありがとうございます」
 私だって、二人と一緒にいるのは楽しかった。これをこれから先、なくすなんてこと、できない。
「……一つ、お願いしてもいいですか」
「どうぞ?」
「報酬は、現物でいただけますか」
 だけど、この間に金銭のやりとりを発生させたいとも思えなかった。だからそう、尋ねる。
「現物?」
「二人の作品」
 涙でにじむ視界で、それでもそうやって微笑むと、美作さんはくしゃりと嬉しそうに笑って、
「もちろん」
 しっかりと頷いた。

 掃除ぐらいなら俺やっとくし、戸締まりにくるまでここにいるからさ、行ってきなよ。そんな美作さんの言葉に甘えて、途中だった閉店作業をそのままに、二階の峯岸の部屋に向かう。
 どきどきしながら、震える手でチャイムを押すと、ばたばたと峯岸が飛び出して来た。
「三島っ!」
 その目元が赤く腫れていて、ああ泣かせてしまったのか、と申し訳なく思った。色が白いから、余計目立つ。
「ごめんね、三島っ」
 すがりつくように言ってくる峯岸に、軽く頭を振る。
「ううん、私こそ。ごめん、峯岸」
 謝罪のことばはすんなりとでてきた。
 私達以外は誰も来ないとはいえ、玄関で話し続けるのも難だったので、峯岸の家の中に入る。
「峯岸、さっきは本当にごめんね。言い過ぎた」
「ううん、あたしこそごめん。三島があんなこと思っているなんて、知らなかった」
「あれはちょっと、言い過ぎたんだよ。多少思うことはあっても、あそこまで思っていたわけじゃない」
「だけど、少しは思っていたのでしょう? なのになんにも考えずに、のほほんとしていて、本当に悪いなって思ったの」
 ごめんね、と峯岸が呟くから、私もごめんと言葉を返す。
 ごめんの応酬に、二人してちょっと笑った。から、きっともう大丈夫。
「美作に相談したらね、三島はあたしたちの技術に敬意を払ってくれているのに、あたしたちは三島の技術にただのりしていることは事実だって言われて、ああそうだったな、って思ったの」
「うん、聞いた。二人がそうやって言ってくれたことが、嬉しい。私には、才能とか技術とか、ないと思ってたから」
「何いってんのっ」
 思わず、といった調子で声をあらげた峯岸は、いつもの峯岸だった。怒られているのに、その様子に安心する。やっぱり峯岸はこうじゃないと。
「何笑ってるの!」
「ごめんごめん」
「大体ね、ずぅっと思っていたことだけどね。三島はなんで、そんなに自己評価が低いの! うじうじしてさ!」
「ごめん」
 ああそれ、美作さんにも言われたな、と思う。私は端から見ていて、そんなに自己評価の低い人間だったのだろうか。
「その若さでさ、伯母さんからもらったとはいえ、立派に雑貨屋やっててさ! 評判もいいしさ! 陳列のセンスとか申し分ないしさ! あたしなんて全然だめな子なのに見捨てないで置いててくれるし、たまにご飯だって作ってくれるし、お母さんじゃないんだからなんて言いながら、ボタンつけてくれるしさ!」
 途中から、才能関係なくなってきてない?
「三島のブース作りは、すごい才能だと思うよ。だけど、そんな才能なんかなくったって、三島にはいいところたくさんあるよ! 優しいし、親切だし」
 感情が高ぶったのか、峯岸が涙声になっていく。
「そういうのだって立派な才能だって思うよ。だって、あたしには出来ないもんっ」
「……峯岸」
 意地っ張りな彼女が、珍しく本音で話してくれる。それも、褒めて、評価してくれている。その事実に胸がじんわりと、あたたかくなる。
「もうそんな、自分を低く見積もるようなこと、言わないでよ。三島、自信もって。あたし、三島のこと大好きだよ!」
 言い終わると、すんっと峯岸が鼻をすすった。私も、なんだか泣きそうになる。
 ああ、峯岸と知り合うことが出来て、本当によかった。
「ありがとう。私も、峯岸のこと……」
 正面から彼女の顔を捉える。散々泣いたからか、峯岸の頬が紅潮している。
「大親友だと思っているよ」
 この年になって、大親友なんていう言葉を使うことになるとは思わなかった。なんだか気恥ずかしい。だけれども、どうしてもいいたかったのだ。
「……うん、そりゃどーも」
 けど、私の一世一代の大告白をきいて、峯岸はなんだか唇を尖らせた。
 え、なんでそんなテンションになっちゃうわけ?
「……まあ、そうだよね。期待したあたしがバカだったわ」
 とかなんとかぶつぶつと呟く。何か、ご不満だっただろうか。
 怪訝な顔をする私を余所に、峯岸は自分のなかでなんだかわからないけれども、何かに折り合いをつけたらしい。
「うん、でも、ありがとう」
 顔をあげて、そう笑って微笑んだ。
「うん。峯岸、今日はごめんね。ありがとう」
「ううん、こちらこそ」
「これからもよろしくね」
「うん!」
 満面の笑顔で頷く峯岸は、可愛かった。
 から、ちょっと意地悪してみた。
「これからもよろしくするために、新しいバイト探してね」
「……うん」
 露骨にテンションが落ちて行くところも、意外と素直で可愛い。