いざ書き上がったら、いてもたってもいられなくて、もう何度伺って失敗していてもこりなくって、ノートを掴むと自転車にのって、真緒さん達の家に向かった。
 なんで来たのか、と疎まれても、どうしても、これだけは伝えたかった。どうしてもはやく、見せたかった。見て欲しかった。
 力を入れてペダルを漕ぐ。
 初めてちゃんと、二人と話をした河原を通りかかった、その時。
「しーばやまー」
 目の前に人が飛び出して来て、慌ててブレーキをかけた。
「あ……」
 目の前に立つ三人の男の子。
 いつだったか、澪に怒鳴られていた、三人組の、クラスメイト。
「……なに」
 正直、怖くてどきどきしたけれども、それを悟られないように、強気の口調で問いかける。
「相変わらずお高くとまってんなー」
 真ん中のが、笑う。
「急いでいるの、どいて」
 そう言って、ペダルを踏み出そうとするのを、
「まあまあ」
 自転車のカゴを押して、止められた。
 男子の視線が、カゴの中に無造作にいれていたノートに止まる。
 やばい、と思って反射的に手を伸ばしたが、遅かった。
「これなーんだ」
 ノートを奪われる。
「返して」
 慌てて自転車を降りて手を伸ばすが、背が高いそいつが上にあげてしまっては、私には届かない。
 支えを失った自転車が、かしゃんっと音をたてて倒れた。
「なーんだ」
「見ないで!」
 制止の声も空しく、ぺらぺらとページがめくられていく。
「なんだこれー、絵本?」
「返して!」
 それはあんたらなんかに、見せるために書いたものじゃない!
「へー、澄ました顔して、こんなもの書いてたんだー」
「絵本とか、ちょーおこちゃまじゃんか、うける」
「やべー」
 返して! と叫ぶ私を気にせず、私の頭上でノートが次々にまわされていく。
 絵本は幼稚なんかじゃない。大人が子どもために作った最高にハッピーな娯楽だ。私は、まだまだ大人じゃないけれども……。
 そんなこともわからないなら、それに触らないで。返して!
「俺さ」
 一番背の高いやつが頭上にかかげながら、続ける。
「あんたのこと、嫌いなんだよね」
 そんなこと知っている。
 あんたになんか嫌われたところで、痛くも痒くもない。
 だから、それを、返して。
 どうせ、異質なものが嫌いなだけなんでしょう? そんなこと、わかっているのだから!
「なんかさ、澪の従妹かなんだか知らないけど、澪に庇われてさ」
「……は?」
 予想に反して、言われた言葉は予想外のものだった。
 澪が、私を、庇っていた? なんの話をしているの?
「あんたに嫌がらせしてたことバレてさー、センセにちくられるしさ」
「……貴方達がやってたの?」
「は? うけるしー、気づいてなかったわけ?」
「ま、俺らだけじゃないけどな。あとは女子も何人か」
「……そう」
 犯行の暴露をすごく冷静に、聞ける自分がいた。
 誰にされていたかなんて、もうどうでもよかった。
 ただ少し、澪が加担していないことがわかって、改めて安心しただけで。
「センセには超怒られるしさー、やってらんねー」
 先生、怒ってくれたんだ? あのときは、あんなにそっけない態度だったけど。怒ってくれたときも、あるのか。
「しかも、あんた全然泣かないし」
「だったら、何」
「だーかーら」
 そこで男子は、にやりと笑った。嫌な、笑い方。
 背筋がぞっとする。
 頭上でノートを広げる。
 嫌な、予感がする。
「返して!」
 慌てて、飛び上がりながら、手を伸ばすのを、
「はいはい、大人しくして」
 別の男子に肩を押さえつけられる。
「お、やっぱりこれあたり?」
「っぽいな」
「ま、一回ぐらいさ、泣き顔見とかないと、割にあわないだろ?」
 そんなことを言われる。
「返して返して返して!!」
 手は届かない、全然届かない。
「いま、返すよー」
 言ってぐっと、男子の手に力がはいる。
 両手が、それぞれ外側に力をかけたのがわかった。
「こうしてからね」
 びりっと、音がした。
 やだ、やだ。
 背表紙が裂ける。
「返して!」
「動くなって」
 押さえつけられる。動けない。
 私の目の前で、見せつけるように、ゆっくりとノートが破かれていく。
 細かく、細かく。
 目の前で、猫の顔が、裂けた。
「やめてっ!!」
 びりびりに破かれて、小さくなった絵本が宙を舞う。
 かぁぁっと頭に血が上った。
 手足が震える。
 こんなこと。こんなことが、あっていいの!?
「はーい、残念でした」
 肩を押さえていた手が外される。
「じゃあ、これにこりたら、大人しくしていろよ」
 そんな捨て台詞を残して、三人は連れ立って去っていく。
 大人しく? していたじゃない、ずっと!
 それなのにどうして、まだ私から何かを奪うというの?
「返してよっ!」
 気づいたら、つかみかかっていた。
「うわっ」
「おい、やめろよ」
「返してよ!」
 両手を握りこぶしにして、殴る。効いてなんて、いないだろうけれども。
「やめろよ」
 どんっと肩を押されて、尻餅をつく。
「んだよ、本当」
「返してよ」
 立ち上がって、その手を掴む。
「いい加減にしろよ、お前」
「返しただろうが」
「元に戻して!」
「できるわけないだろうが!」
 もうほっといて行こうぜ、なんて一人が言う。
「返して」
 もう一度言うと、
「いい加減にしろ!」
 一人が手をあげた。
 振り下ろされる。
 ばしんっと勢いのいい音がした。
 じんわりと、頬に痛みがゆっくりと広がっていく。
 泣きそうになるのを耐えながら、睨みつける。
 こんなことで、折れたりしない。
「なんだよ!」
 何かに苛立ったかのように、もう一度声をあげ、手をあげたところで、
「ちょっと、何やってんのっ!」
 大声がした。
 聞き慣れた、声だった。
「佐緒里さん!」
 後ろから駆け寄ってきた真緒さんが、私を庇うように前に立つ。
 まるで正義のヒーローのようなタイミングだ。
「真緒さん……」
「何、あんたら? なんだか知らないけど、男三人で女の子によってたかって! 恥ずかしくないの!」
 突然、現れた真緒さんに、男子達はたじろいだようだった。
 それでも、怒りをおさめる場所が、見つからなかったらしい。
「邪魔すんなっ!」
 そう言って、再び、振り上げられた拳。
「真緒さんっ!」
 殴られてしまう、このままじゃっ! 真緒さんまで!
 慌てて彼女の腕を引く。後ろに。避けられないのはわかっていたけれども。
「いってっ」
 ごっという鈍い音の後、聞こえたのは男性の声だった。思わず閉じていた目を恐る恐るあける。
「隆二さんっ」
 真緒さんの頭を庇うように抱きしめて、隆二さんが立っていた。
「くっそ、すっげー微妙なとこにあたったな、おい」
 ぶつくさいいながら、首筋を押さえている。
 突然現れた大人の男性の出現に、男子達は驚いているようだった。固まっている。
 隆二さんは、男子の方を振り返ると、
「だせぇことしてんなよ、だせぇ」
 人をいさめているとは思えない、低いテンションでそう言った。
 それが逆に、ちょっと怖い。
「あの……、隆二?」
 真緒さんが小さく名前を呼ぶ。
 心配して、ではなかった。おっかなびっくり、と言った感じで。
 隆二さんは真緒さんを抱えていた腕を離すと、その肩に手を置き、優しく微笑んだ。怖いぐらい、優しく。
 見ている私も、なんだか危機感を覚えるような優しさ。
「真緒、怪我はないか?」
「な、ないです。大丈夫です、平気です、元気です」
 直接その笑顔を向けられている真緒さんは、更に怖かったようだ。やけに早口でそう言うと、それはよかったと、隆二さんは優しく笑い、
「なあ、真緒」
 がしっと真緒さんの頭を片手で掴んだ。バスケットボールを、ドリブルする前に片手でつかんだ感じで。
「いっ、痛い、隆二、痛いっ」
「痛くてけっこう!! 危ないこと勝手にするなって何度言えばわかるんだよっ。頭の中つるつるなのか、脳味噌にしわないのかっ! いい加減、学習しろっ!」
 真緒さんの抗議の声を無視して、大声で叱りつける。
 ああ、この人も大声で怒鳴ることってあるんだ。
 予想外の展開に、間抜けにも大きな口をあけてそれを見てしまう。
「だって」
「口答えしない!」
 だけど、大声で怒鳴っているのに、愛情があるのがわかって、いいな、と思った。
 そんな二人をあっけにとられて見ている間に、
「あっ」
 男子三人が、遠くに走って逃げて行くところだった。我にかえったのは向こうの方が先だったらしい。
 悔しい……。逃げられた。
 そう思っていると、
「佐緒里っ!」
 背後から声をかけられた。
「……澪」
 通りかかったのか。澪が走ってくる。
「大丈夫? あいつらに、何かされたのっ!?」
 走ってきた澪は、いきおいよく、たずねてきた。
 なんでもないよ、と言うよりも早く、
「あんたっ! 顔っ、どうしたの!」
 私の顔を見ると、ぐっと肩をつかんで問いかけてきた。
「えっと、」
 地面に散らばった、絵本を見る。
 ごまかし方とか、もうよくわからなかった。それに嘘つかないって、約束したし。
「……ちょっと、ノートが破られて、それにいらっとしてつっかかっていったら殴られた、けど、大丈夫」
 小声で答える。
 澪見て、もう一度だけはっきりと言った。
「大丈夫」
「そう」
 澪がほっとしたように息を吐いた。それから、
「あんたも、ちゃんと怒ったりするのね」
 しみじみと呟く。
 さっきの男子といい、人のことなんだと思っているのか。
「つーかあいつら、人の顔見た途端逃げやがって」
 そして舌打ちする。
 そうか、あの三人が逃げたのは、澪の姿が見えたからか。
「……ありがとう」
 小さな声でいうと、澪は気味の悪いものを見るようにこちらをみて、
「別に?」
 バカにするような言い方でそう言った。
 そして、ひととおりお説教は終わったのか。おでこの辺りを押さえる真緒さんと、手は離したもののまだ怒ったような顔をした隆二さんを見る。
「この人達は?」
 怪しい者を見るかのような言い方に、びくりとする。
 そうだ、澪は私が真緒さん達と一緒にいることを、快く思っていなかった。
 どう説明しようかと思っていると、
「ただのおせっかいな通りすがりです」
 先に、隆二さんがそう言った。
 そうして流れるように、
「じゃあ」
 と手を上げて、来た道を去って行く。
「え? え? あ、ちょっと、隆二、まってよー」
 事態を理解できていないのか。私と隆二さんの顔を二、三回見比べてから、真緒さんが小走りで後に続いた。
 二人の姿がゆっくりと遠ざかっていく。
 通りすがり。
 隆二さんのその言葉が、私を庇ってくれたものだということは、よくわかっていた。だけれども、それで距離をとられたような気分になった。
 このまま見送れば澪に真緒さんたちのこと、何一つ知られないで済む。
 だけど、そんなことしたらもう二度と、真緒さんたちに会えない。隆二さんに会わせてもらえなくなる。
 どうするかは自分で決めろ。そう言われた。そんな気がした。
 会えなくなるなんて、そんなのは、嫌だ。
「待ってっ!」
 叫ぶ。
 隆二さんの足がぴたり、と止まった。だけれども、振り向かない。
 真緒さんだけが、心配そうにこちらを振り返った。
「ごめん、澪。あの人達は」
 怒ったような顔をした澪に告げるのは、勇気がいった。
 それでも、いわないわけにはいかなかった。
 唇をしめらせると、自信を持って、一言告げる。
「友達なの」
 澪の表情が少し動いた。
「だから、ごめん」
 それだけ言って、真緒さんたちの方へ走り出す。
 私の友達発言を聞いて、真緒さんの顔がぱああっと華やいだことを、私の方こそ嬉しく思う。
「あのっ」
 追いつくと、隆二さんも振り返った。
「いいのか?」
「はい、大丈夫です」
 しっかりと頷く。
 せっかく手に入れたものを、自分から手放すようなことはできなかった。
 隆二さんが、ふっとやわらかく笑う。
 よくできました、とでも言いたげに。
「あの、ありがとうございました」
 ぺこり、と頭を下げる。
「助けてくれて」
「あたしは結局なんにもしてないからー」
 真緒さんがはたはたと手をふり、
「俺はこのアホを助けただけだから」
 隆二さんがそんな真緒さんの頭を、ぐぐっと押した。
「……うー、まだ怒ってるぅ」
 真緒さんが小さく唇を尖らせる。
 それでも。
「嬉しかったです」
 重ねて私が言うと、真緒さんが小首を傾げて笑った。
「佐緒里さん、帰ったらほっぺた冷やした方がいいよー」
 それからちょっと心配そうな顔になって、私の頬を指差す。
 じんじんとしている。
 触れると熱を持っているのがわかった。
「その顔で帰ったら、叔母さんに隠し事できないな」
 隆二さんが揶揄するように言う。
 あ、そういえばそうだった。
 庇うように頬に手を当てる。
 どうしたものかと迷っていると、ふっと空気が抜けるような笑い声がした。隆二さんが呆れた、とでも言いたげな顔でこちらを見ていた。
「もうバレてるだろうから、諦めてちゃんと頼れよ」
 言って、くいっと、顎で私の背後をさししめす。
 ちらりと振り返ると、怒ったような顔をした澪が、私の自転車をちゃんと立たせようとしているところだった。
 私が見ていることに気づくと、射抜きそうな目で睨んでくる。
 怖くてくるっと前を向いた。
「あれが噂の従姉だろ? いい子そうじゃないか」
 え、どこが。
 そう思って隆二さんを見ると、よっぽど顔に出ていたのか、更に笑われた。
「心配してんだよ、あんたのこと。さっきだってちゃんと、助けにきてくれたじゃないか」
「それは、そうですけど……」
 そういえば、男子達は澪が先生にちくったとか言っていた。
 言っていたけれども、
「居候が厄介ごとに巻き込まれると迷惑だから、じゃないですか」
 隆二さんがあまりにも澪を庇うからなんだか面白くなくて、そういう。
「そりゃあ、建前だろ」
 あっさりとそう言われた。
「素直じゃないんだよ。素直に心配してるって言えないんだ」
「隆二と一緒だね」
 隆二さんの隣で、真緒さんがにっこりと微笑む。
 隆二さんは一瞬、言葉に詰まったが、すぐに、
「あーそうだな、一緒だ」
 諦めたように息を吐いた。
「一緒?」
「俺もこいつと過ごすようになった最初のころは、素直に心配しているとか言えなかったわけ」
 べしべしと真緒さんの頭を軽く叩きながら、隆二さんが言う。
「だって恥ずかしいじゃん、そういうの」
「……恥ずかしい」
「いい人っぽくて、恥ずかしいんだよ」
 やれやれと首筋に手をあてて呟く。
「あの子もきっとそうだよ。素直じゃなくて、不器用なんだ」
「ツンデレさんだね」
 真緒さんも付け加える。
 ツンデレ……。
「そんな……」
 心配しているなら、心配しているって言ってくれればよかったのに。
 僅かに恨みがましく思っていると、
「言っとくけど、あんたも対外意地っぱりだからな」
 指をつきつけられた。
「え?」
「頼らなかっただろ、誰にも」
「それはっ」
「心配してても、あんな風に頑な態度とられたら、心配してるっていえねーよ、ふつうはな」
 反論しようと口を開きかけて、結局何も言えなかった。
 頼らなかったのは本当だからだ。
「頼らせてやれって、心配させてやれって。頼りになる人が、心配してくれる人が、いるっていうのは、とってもレアな状態なんだから。恵まれているんだから」
 言われた言葉に、きっとこの人は誰にも頼れず、心配してくれる人もいなかった時があったのだろうな、と思えて、それぐらい真剣な言い方で、私はまた黙り込む。
 意地をはっていたのだろうか。
「ね、隆二」
 真緒さんが隆二さんの袖を引っ張る。
「何」
 うんざりしたようにそちらをみた隆二さんに、真緒さんはとびっきりの、可愛らしい笑顔で尋ねた。
「今は心配? あたしのこと?」
 甘えるような声色。
 うっと隆二さんがうめき声を漏らした。
 ねーどうなのーなんて真緒さんが笑いながら袖をひっぱる。
 ああ、これはからかっているんだろうな。
 心配していることなんて、さっきのあのお説教を見ていれば、私にだってわかるんだもの。
 隆二さんが口ごもっているのが珍しくて、思わず笑みがこぼれる。
 笑った私に気づいたのか、隆二さんはまた顔を強張らせてから、
「心配、してるよ」
 到底心配しているとは思えない、吐きすてるような言い方をした。
 それでも真緒さんは嬉しそうに笑う。えへへっと笑うその顔に、
「お前の頭がばかすぎて」
 隆二さんが皮肉っぽく笑いながらつけたした。
「もー!」
 真緒さんが一転して、怒ったような顔になり、隆二さんを睨みつける。
 堪え切れなくなって、くすくす笑った。
 ああ、いいな。
 この二人のこの距離感が私は大好きだ。
 私も、こういう距離感をとれる人に、この後の人生で出会いたい。
 そう思えた。
 ひゅっと一際強い風がふく。
「あ」
 ふわり、と地面におちていたノートがまきあげられた。
 目の前をひらひら舞うそれを、そっと掴みとる。
 猫の片目が、私を睨んでいた。
 真緒さんが私の手の中の切れ端を見て、
「……絵本?」
 ためらいがちに問いかけてきた。
 それに一つ、頷く。
 せっかく書いた私の絵本。
 はじめて書いたのに。
 真緒さんに、見て欲しかったのに。
 それを思い出したら、急に涙が浮かんできた。
 深呼吸して、それを慌てて堪える。
 そっと慈しむように、切れ端に触れる真緒さんに視線を移す。
「私」
「ん?」
 出来るだけ笑いながら、真緒さんに言った。
「私、また書きます」
 真緒さんの瞳が、ぱちぱちと、二、三度瞬いた。
「今度はもっと、もっと面白いものを書きます」
 そこで一呼吸置いて、深呼吸。
 だから、と続ける。
「見てもらえますか? できたら、お宅にもっていきますんで」
 勇気をだして尋ねた言葉に、真緒さんの顔が一気に綻んで、
「うん!」
 と答えたのを、
「いや悪いけど、うちにはもう来ないで」
 早口の隆二さんの声が遮った。
「え……」
 突然言われた言葉に打ちのめされる。
 もう、会いにいったら駄目っていうこと? やっぱり迷惑だった?
 ずんっと胸の辺りが重くなって、泣きそうになる。
「ちょっと隆二」
 真緒さんが慌てたように、腕をひっぱるのを、
「だからさ」
 うっとうしそうに片手ではらい、つまらなさそうに続ける。
「絵本なら見るよ。なんだったら、読書感想文を書いたっていい。だけど、うちにはもう来るな。もう会わない」
 そこでふっと表情を緩めた。
「本屋で買うからさ」
 なんでもないことのように、そう言葉を続けた。
 付け足された言葉に、口をぽかんっとあけた間抜け面を返してしまう。
 本屋で買うから?
 なんて。……なんてむちゃなことを言う人だろう。
 だって、それは……。
「え、本屋にならぶの?」
 真緒さんが驚いたように隆二さんを見て、次いで私を見た。
 それに隆二さんは、
「プロになったらそうなるだろう?」
 更になんでもないことのように続けてしまう。
 なれるかどうかなんて、わからないのに。
「え、本当に? すっごーい!」
 なれるかどうかわからない話なのに、真緒さんが手を叩いて喜ぶ。
「そしたら、絶対買うね!」
 そして大きな笑顔をで告げた。
 ああ、そんな顔をされたら、無理ですなんて言えないじゃないか。
 真緒さんの顔に圧倒された私を見て、隆二さんが悪戯っぽく笑った。
「がんばる気に、なっただろう? 佐緒里」
 くらくら目眩がしそうななか、かろうじて頷いた。
 絵本を書いたら見せる。その約束を守るためには、本当に絵本作家になるしかなくなったじゃないか。
 というか、なんでここで、この局面で名前を呼んできたりするのだろうか。諦めの悪い私の心臓は、とくんっと跳ねた。
 こんな風に言われたら、本当に絵本を描くまで会えないじゃないか。ずるい、人。
 隆二さんはそんな私を見て満足そうに頷くと、
「じゃ、帰るか。気をつけてな」
 いつもの調子で片手をあげると、歩き出した。
「え、ちょっと」
 真緒さんが慌ててその背中を追いかけようとして、
「っと」
 やめて私の前に立つと、微笑んだ。
「隆二はああ言ったけど、遠慮しないでまた来てね。あの家は隆二の家でもあるけど、あたしの家でもあるんだから、あたしに会いに来るなら大歓迎だよ」
 そう言って屈託なく笑う。
 それに小さく頷いた。
「それからね、あんな言い方しているけれども、あれで隆二、心配しているの」
「心配?」
「あたしたちなんかとずっと一緒にいたら、同年代の友達が出来なくって、ますます孤立しちゃうんじゃないかって」
 決してこちらは振り向かないけれども、少し行った先で黙って立ち止まって、真緒さんを待っている。そんな隆二さんの後ろ姿を見る。
「そんなこと、言っていたんですか?」
 確かにそのことを心配してくれていた時もあったけれども、今のは、とてもそうは思えない口ぶりだったけれども。
 私の言葉に、真緒さんは小さく笑って首を横に振ると、
「言ってないけど、わかるよ」
 ずっと一緒にいるから、と羨ましくてしかたのないことを告げた。
「それじゃあ、またね」
 そうして片手をふると、ぱたぱたと駆け足で隆二さんの所に走って行く。真緒さんが隆二さんの横に立つと、隆二さんはまた歩き出した。決してこちらは振り返らない。
 真緒さんは振り返ると一度、綺麗な笑顔を見せて、二人連れ立って歩いて行ってしまった。
 その姿を見送り、軽く溜息をつく。
 さて、帰ろう、と思い振り返ると、
「っ、澪」
 澪が相変わらず、仏頂面で、腕を組んで、こちらを睨んでいた。
「あ、あの、えっと……」
「友達?」
「へ?」
「さっきの人達」
「あ、えっとそうです」
 こくこく頷く。勢いに呑まれて。
「自転車のパンクのお礼におせんべい渡したのも、アイス食べてたのも、あの人達と?」
「そ、そう」
「図書館で会ったっていうのは、本当のことなの?」
「それは、うん」
「そう」
 はーっと、澪は大きく息を吐いた。
「あ、あの、澪?」
 ゆっくり声をかけると、澪がきっと顔をあげて私を睨む。
「友達ならちゃんと、友達だって言いなさいよ!」
「なっ」
 なんて理不尽なことを言うのだろう。最初に、知らない人がどうたらっていいだしたのは、澪の方じゃないか。
 反論しようと口をひらいて、
「心配するじゃないのっ!!」
 怒鳴るように言われた言葉に、口をつぐんだ。
 ……心配?
「あんたぼさっとしてるし、笑わないし、なんか怪しい人に騙されているんじゃないかって心配するじゃないのっ!」
「……なら、そう言ってよ」
「言ったじゃないっ!」
 確かに騙されているんじゃないかって言っていたけれども、あれで心配していると受け止めるなんて無理だよ。
「問いつめればますます、あんたは隠し出すし!」
 それだけじゃなくって! と澪が声をさらに荒げる。
「上履きが明らかに悪戯されていたときだって、何でもないみたいな顔して、なんでもないわけないのにっ!」
「……わかってたの?」
 あの時、上手くごまかせたと思ったのに。
「あんなのでごまかされるバカ、この世にいると思ってんのっ!」
 噛み付くように言われた。
「あたしはずっと、心配していたのに。あんたはずっとなんでもない、なんでもないって、言い張って」
 なんでっ! と叫んだ澪の声は、なんだか少し、掠れていた。
 泣く手前みたいに。
「助けてって言ってくれなきゃ、助けてあげられないじゃないっ!」
 絶叫。
 それがぐさりと、胸につきささった。
 私が、頼らなかったから、いけなかったの? 隆二さんの言うとおりに。
 澪はなんだか真っ赤な目で、言葉をさらに続ける。
「大体、佐緒里が悪いのよ! あんな風につんっと澄ましてたら、みんなだってやりにくいじゃない! そりゃあ、うちらはみんな、前々からの知り合いだから、どうしたらいいかわかんなくって、悪いなって思うけれども、それでも最初はみんな、仲良くしようと思ってたんだから! それなのに、佐緒里が、あんなふうにつんっと澄ましているから、ああじゃあ仲良くしたくないんだなって、思っちゃったんじゃない!」
 苛立ったように地面を踏みならす。
「あたしがどれだけ! やきもきしたかわかってんのっ!」
 ツンデレさんだね、という真緒さんの言葉を思い出す。
 ああ、そうなんだ。
 澪は澪なりに、仲良くしたいと思っていてくれたのに。
「何笑ってるのっ!」
 私の顔を見て、澪が怒鳴る。
 口元が緩んでしまうの、許して欲しい。
「……澪、可愛い」
 思ったままを口にすると、
「……はぁっ!?」
 澪の声が、いっとうおおきくなった。
「あんたねっ! この局面でなんでそんなことっ!」
 さらに叫び出す澪に、笑う。
 素直じゃないんだ。澪も。
 こんなに不器用で、可愛い子だなんて知らなかった。
 なんとなく、キャラが合わなくて嫌だな、って思っていた。
 ごめんね。
「ありがとう」
 感謝の言葉は、思っていたよりも素直に口からこぼれ落ちた。
 それを聞いて、きゃんきゃん吠えていた澪が、ぴたりと黙る。
「ごめんなさい、素直じゃなくって」
 今ならわかる。
 表立った嫌がらせが急になくなったのも、澪が裏でどうにかしてくれたんだ、ってことが。
 ちゃんと言ってくれればよかったのに、とは思うけれども、言えなくさせていたのは、素直じゃない私だ。
「……わかったならいいけど」
 照れたのか、そっぽを向いて澪が口の中で転がすようにして言う。
「うん」
 今日助けてくれたことも、全部全部ありがとう。
 居場所がないと拗ねていたけれども、私が悪かったんだなって思えた。
 ……まあ、排他的な場所だなっていう思いはそれでも変わらないけれども。
 それでも、もうちょっとだけ、私が努力していれば、かわるなにかがあったのかもしれないな、そう思った。
「……帰る」
 そっぽを向いたまま、澪が言う。
「うん、帰ろう」
 私はそれに素直に頷いた。