第一章 窃盗罪で起訴します 法科大学院生。 それは、司法制度改革の罠にはめられ、合格率八割の幻に踊らされ、学部よりもはるかに高い学費を支払いながら、三振しても終わり五年経っても終わり、下位ローなら合格しても就職難な世界へ飛び込むために、貴重な二年乃至三年を棒にふることを選んだ、かなりギャンブラーでアホーな集団のことである。 まあ、あたしもそのアホーの一人なんだけど。 西園寺杏子。二十二歳。法科大学院二年次生。ただし、入学一年目。 法科大学院制度は基本三年間で法律知識をいれることになっている。でも、学部でみっちりやってきた人を前提とする二年間の既修者コースというのがある。入学試験で法律科目をうけることで、一年次分の必修科目が免除になる、まあ飛び級みたいなもの。学校の半分が飛び級していることになるけど。 既修の二年生とは、入学一年目の人のことをさす。 そんな、なんだかつかみどころのないこの制度。今となっては見直しが検討されているし、最下層、落ちこぼれぎりぎりのあたしは、素直に就職していた方が絶対に自分のためになった、と信じて疑っていない。 大体そもそも、既修で受かったことがおかしい。学部でみっちり法律の勉強をしてきた気がしない。 既修なのに未修で受かった人を隠れ未修とかいうらしいけど、それならあたしは隠れ既修だ。 そんなあたしが、この中よりちょっと上ぐらいの学校に入れたのもなにかのミラクルだし、そんな人間が合格率三割とも二割ともいわれる試験をくぐりぬけられるわけがない。年々合格率下がって来ているわけだし。 「サクちゃんくらい頭が良ければ話は別だけどね」 「別にそんなに地頭がいいわけじゃないよ。ただ、どうしても検事になりたくてあきらめられないから、なだけで」 そういって目の前のサクちゃんは笑った。設楽桜子。二十二歳。あたしと同じ法科大学院二年生。既修。ただし、彼女は学費全額免除。秀才め。 頭がいいだけじゃない。スタイルもいいし、漆黒のショートの髪の毛は、耳元で光るダイヤのピアスと相まって、とても大人っぽい。 あたしは少しだけため息をついて、自分の茶色い髪をひっぱった。明るい色が好きだから染めた長い髪は少し毛先が痛んで、どうしても蓮っ葉な印象になる。 同い年で同じように法曹目指して同じ学校に通っているのに、どうしてこんなに違うんだろう。 「それよりも、相談があるんでしょう?」 なに? とサクちゃんが首を傾げる。それすらもなんだか色っぽくて、神様って超不公平だと思う。 「うん、あのね」 手元のサーモカップを指ではじきながら、 「ヒロ君のこと、どう思う?」 「櫻井君のこと?」 サクちゃんの言葉に一つ頷いた。 櫻井洋之。同じく法科大学院既修二年生、二十六歳。 「どうって? まあ、頭いいなーって思うけど」 サクちゃんをして頭いいなんて言わせるなんて、やっぱりすごいんだなー。そうじゃなくて。 「んー、違くて!」 思ったより大きな声がでて慌てて声を潜める。午後三時、ラウンジにはそんなに人はいないけれども、あんまり話を聞かれたくない。 「かっこ良くない?」 「あ、そういう話ね」 言ってサクちゃんは微笑んだ。 「そうね、背も高いしね」 「でしょ? それにね!」 それに、ヒロ君はなんだか可愛いのだ。 例えば、すれ違い様、あたしは軽く片手を上げる。彼は、片手を勢い良く振ってくれる。 同じクラスの子で食べた余ったお菓子をあげたら、次の日には机の上に「ありがとう、うまかったです」のメモ。おそらく熊だと思われるもののイラスト付き。 毎日の手作りのお弁当。世界的に有名な鼠のお弁当箱、同じく黄色い熊の箸箱。 自習室内では、みんなスリッパとかクロックスに履き替えているけれども、そこでチョイスされた昔ながらの上履き。 なんていうか、もう可愛すぎるだろう、二十六歳の男! 「ローに来るまで、四つも年上の人と話す機会とかあんまりなかったし、もっとこう大人なのかと思ってたんだけど。思っていたよりもちょっと抜けてて、可愛い!」 年上なのに、見た目はものすごくかっこ良くて、背も高いのに、あんなに可愛いなんてなんか反則! 黙って話を聞いていたサクちゃんは、 「あー、なんかわかるかも」 いって小さく頷いた。 「でしょー」 きゃーきゃー盛り上がる。サクちゃんには彼氏がいるからライバルにはなり得ない。だからこんなに盛り上がれるのだ、と思いながら。 「杏子ちゃん、うるさくねー?」 いいながら現れたのは、同じクラスの前田治君。二十六歳で、彼は未修。 学校によって同じクラスになるかは異なるらしいけれども、うちの学校では既修二年生と未修二年生は同じ二十人程度のクラスで演習の授業を受ける。治君達未修は、あたしたち既修よりも一年はやく入学している。既修七期生と未修六期生が一緒に授業をうけるといえば、わかるだろうか。 「前田君、どうしたの?」 サクちゃんが尋ねる。 「会社法演習の発表のはなしあいー」 彼は手頃な円形のテーブルの上に、六法などを置きながら答える。 講義タイプの授業もあるにはあるけれども、それ以外の少人数生の演習の授業では対外、生徒が数人でグループを組んで問題の答案を作り、発表する。 「あれ、次、治君達? じゃあ、そろそろ準備しなきゃ」 治君たちの次なのだ。あー、めんどー。民法演習の発表もあるのに。前から三人ずつ一組で順番に回しているから発表の週が被るのだ。もうちょっと、最初の班わけのときに考えるべきだったと思う。後期は気をつけよう。 「で、杏子ちゃん達はなんの話してたわけ? 声でかかったけど」 「ひみつー」 言うと肩をすくめられた。 「邪魔がはいったから、サクちゃん帰ろー」 いいながら立ち上がる。 「はいはい。また今度ゆっくりね」 言いながらサクちゃんも立ち上がる。 治君に片手をふり、ラウンジを出る。 「サクちゃんは、いつも通り自習室で勉強して行くの?」 ロー生には一人一つずつ、自習室に机が与えられている。これも学校によっては固定席ではないらしいよく有る予備校の自習室みたいに左右をパーテションで区切られているだけの机だけど、荷物を置きっぱなしでいいというのは、ありがたいことだ。 机はそれぞれ個性があって見ていて楽しい。サクちゃんは机の上に小さいぬいぐるみを一つ置いている。意外性があってちょっと可愛い。他には壁際の席なのをいいことにアイドルのポスターを貼っているやつとか、棚を持ち込んでいる人とかもいる。 あと、某週刊少年漫画誌は結構見かける。 「ううん、今日は用事があるから」 「あ、デートだ!」 言うとサクちゃんは小さく微笑んだ。大学時代からの同い年の彼氏、いいなー。 それじゃあね、とサクちゃんが帰る後ろ姿を見送ると、カードリーダーに学生証を通して自習室のドアをあける。なんで無駄に厳重なセキュリティになっているんだろう。 夕飯は家で食べたいし、電車が混む前に帰りたいから、あたしもそろそろ帰ろう。そう思いながらとりあえず荷物をとりに自分の机に向かうと 「おつかれ」 ヒロ君とすれ違う。ヒロ君は自習室がしまる11時まで勉強しているらしい。えらいなー。 「おつかれさま!」 あたしも微笑みながら返す。 うーん、やっぱりかっこいい!! |