2月14日。バレンタインである。 お正月があけた途端、世間はバレンタインバレンタインバレンタインって馬鹿の一つ覚えみたいに言い張る。その前がクリスマスだったのだから、世間は独り身によっぽど厳しいらしい。これだけ独り身に厳しいのはきっと、少子化現象を食い止めるためだろう。きっとそうだ。そう、信じたい。 バレンタインである。 別にバレンタインは祝日ではない。大体、祝祭日に年末年始だって休みならない犯罪稼業。クリスマスやバレンタインが休みになるわけではない。したがって、私は今日も仕事である。以上、Q.E.D。 バレンタインである。 義理の平均的予算は500円前後。デパ地下は大賑わい。お菓子会社はもとより、そこをテレビで映し出すマスコミだって視聴率取れてバンバンザイ。もしかしたら、こういうイベントごとがあるのは不況を乗り切るためかもしれない。 そんなさめた目でみていたのに、手に握られているのは綺麗にラッピングされたゴディバのチョコ。どうして? 30も過ぎて片想い相手に、それも年下にチョコを片手に告白なんておかしい。チョコだけに。……寒いなぁ。 自分の愚かさをつくづく呪いながら、ちょっとした期待も込めてチョコは鞄の中。それで向かう先が横浜地裁ってどうなのよ? 離婚を迫られて逆上して妻を殺しました。不倫相手もいます。なんていう後頭部がはげかかったオヤジなんて、極刑にすればいい。物騒なことを考えながら、勿論それは表に出さず、クールビューティを装って仕事をする。 自分で不倫しておいて、離婚を迫られて逆上なんてするな。初公判がバレンタインと重なるような時期に事件を起こすな。っていうか、事件を起こすな。あんたの経歴なんて知らん。異議を唱えるな、弁護人!! 「それでは、次回は2月20日。この法廷で」 起立。被告のはげかかった頭が更に剥げればいい。睨みつける。睨んで火ってつかないのかしら? バレンタインである。 本当に神出鬼没などこぞの探偵は、また相変わらずの鼻面をへし折ってやりたくなるような笑みを浮かべて、地裁の喫煙所で煙草なんて吸っていた。 「やぁ、小鳥遊女史」 「硯さん?」 「そう、終わるの待ってるのー。呼び出されて」 はいはい。ラブラブで結構なことですね。自慢かこの野郎。っていうか、100ぱー自慢だな。チョコレートに青酸カリ混ぜて渡してやろうか。アーモンド臭がしてもばれないわよ? だって、アーモンドチョコレートだもん。 「結構なご身分ね」 「おかげさまで」 へらへら笑うな。まったく。こいつを相手にしている時間が勿体無い。まっすぐに玄関へ向かう。 視界の隅で探偵が片手をあげたのが見えた。っていうことは、このヒールのかつかついう音は硯さんですか。まったく、いい年してのろけてんじゃないわよこのばかっぷる! 別にわざわざきたわけじゃない。そう。ただ単に通り道だっただけで。だって地球は丸いから、どこを通っても通り道なわけでして。 自分に言い訳しながら、神奈川県警を見上げる。 わざわざ会いにきたわけじゃなくて、もしばったり出会ったら渡してもいいかなぁみたいなそういう気持ちなわけで最悪もってかえって自分で食べるし。高かったから。 「小鳥遊検事」 声をかけられて振り向く。ちょっと、慌てて。勿論彼じゃないのはわかっている。だって、声が違うもの。 「四月一日さん」 鑑識の四月一日さんが立っていた。 「今お戻り? あ、私は通りかかっただけで」 「わかってるよ。でも、一課の笹倉なら今日は非番だよ」 「あらそう。それを私に聞かせてなんなのかしら?」 「いいや別に。お互いお疲れ様」 四月一日さんは片手をひらひらさせて、建物に入っていく。私はにこやかにそれを見送った。表面上は。 恋人も居ないくせにバレンタインに休みとってるな、ばかーー!! バレンタインである。 だから、なんだ。知るか、そんなこと。 バレンタインに関係なく疲れたときはチョコが食べたいのだ。チョコが! 糖分!! だから私は、疲れている自分にお疲れ様のちょっと高いチョコを買っただけ。バレンタインだから過剰包装になってるだけ。お疲れ様、私。 そんな自己弁護をたらたらと脳内で繰り広げながら、家へと向かう。さっさとかえって、この綺麗に包装されたにっくきチョコレートを抹殺してやるまでのこと。喰ってやる! バレンタインである。 ありがとう、聖バレンチヌス様。何した人か全然知らないけど。名前しか知らないけど。 「こんばんは」 「……どうも」 ああ、すごい偶然。いいえ、違うわ。聖バレンチヌス様のお導き! ……いや、ただの神父なのは知ってますけどね。 目の前に立っている愛しの彼の存在に、心の中で神様御仏様聖バレンチヌス様ありがとうございます、なんてお礼の言葉を述べて。 「今、帰りですか?」 「ええ」 「バレンタインなのにごくろうなことで。彼氏とかいないんですか」 めちゃめちゃ募集してます。 「あなたには関係ないことでしょう。硯さんからチョコレートはもらえたのかしら?」 あの調子じゃ、いちゃついていて義理とか考えないでしょうけど。職場も違うんだし。 「それこそ、あなたには関係ないことでしょう」 眉をあげて言う。そのちょっと怒った顔が可愛いとか思ってしまうのは、恋が盲目なのか、年上の貫禄なのか。どっちも微妙。 「そんなあなたにいいものがある」 私はそういうと、鞄の中から例の綺麗に包装されたゴディバのチョコをだした。 「あげる」 「……なんですか、これ?」 「チョコ。ゴディバの」 「それは見たらわかるんですけど」 「友達と買い物に行って見栄を張って自分も買ったのよ」 これは嘘じゃない。だって、他の友達は彼氏や……旦那がいるんだもん。 「自分用に。最近疲れてるから」 これも嘘じゃない。 「はぁ」 「でも、ダイエット中だし」 これも嘘じゃない。……うん、嘘じゃない。悲しいけど 「はぁ」 「だからあげる。ゴディバの義理チョコなんてありがたくもらいなさい」 本チョコですけどね。本当は。 ぐいっと彼に押し付ける。 「……はぁ、まぁ、じゃぁ」 強引に受け取るまでつきつけていると、彼は諦めたのか受け取った。うんうん、これで目的は達成されたわけだ。明らかに何かが間違っているけれども、好きな人にバレンタインにチョコレートを渡したという、本筋だけみれば何も違わない。詳細が間違っているなんて、それこそ些末だ。 「それじゃぁ、ごきげんよう」 片手をあげて挨拶すると、そそくさとその場を離れる。ああ、渡せてよかった。ありがとう、神様仏様聖バレンチヌス様。何した人かは今度ちゃんと調べます。 バレンタインである。 一ヵ月後にはホワイトディだ。 ああ、義理でもいい。お返しが欲しい。ゴディバに見合うものじゃなくていいです。もうチロルチョコでも10円ガムでも。何かください。聖ホワイト様。……ってそんな人いる?
ゴディバは義理と本命と自チョコのいずれであるか?
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