第一章 九官鳥の場合


 名探偵という生き物がいる。
 それは職業ではない。生き物の名前だ。
 名探偵は、世の中の難事件を解決し、喰らい、生きている。妖怪のようなものだ。見た目は人間の形をしているし、戸籍もあるし、生物学的にも人間だが。それでも、名探偵がそういう“生き物”なのは間違いない。
 私の、認めたくはないものの一応、ひとまず、形式的には主人もそうだ。
 今、私の眼の前で一生懸命スマートフォンをいじっている男。名前は渋谷慎吾。この渋谷探偵事務所唯一の人間であり、所長である。
 唇を尖がらせて、いかにも名探偵! な感じの革張りの椅子に座り、彼がなにをやっているかというと、
「またソリティア?」
 呆れたような声が、入り口の方からする。
 凛とした女性が立っていた。新緑を思わせる人だ、といつも思う。
「違うよー。花札」
 慎吾が顔を上げないまま答える。
「違わないって。ゲームでしょ?」
「そういう類推解釈ってよくないよ、茗ちゃん」
 ひょうひょうとした慎吾の物言い。女性が溜息をつきながら、机の方に近づいてきた。
「なに? なんか依頼?」
 画面からは目を離さずに慎吾が言う。
「私が約束もしてないのに昼前にあなたの事務所にくるなんて、他に理由がないでしょう?」
「デートのお誘いかと思った」
 そこで初めて慎吾が顔を上げ、ちょっといたずらっぽく笑う。
「寝言は寝てから言って頂戴」
 のんびりとした慎吾の言葉に、そう冷たく彼女は返した。
 実に妥当である。
「アホシンゴ!」
 私も思いの丈を叫んでおいた。
「……なんで、お前、そういう言葉ばっかり覚えてるわけ?」
 慎吾が私をみて嫌そうに呟いた。それは慎吾がアホなのだから仕方あるまい。
「賢い、いい子じゃない」
 ふふっと女性が笑う。
 この女性は、硯茗さん。彼女はなんの間違いか、このクソ駄目探偵慎吾の恋人である。
 若くして優秀な弁護士、おまけに美人。そんな彼女の唯一の欠点は男を見る目がないことなのだろうな、と密かに私は思っている。
「で、依頼って?」
 もう一度画面に視線を落とし、慎吾が話を促す。そんな慎吾を見て硯さんは何か言いたそうな顔を一瞬してから、すぐに諦めたかのように話始めた。
「殺人事件。依頼人にはあなたに相談することの許可を取ってある。依頼人は今、警察にマークされてる。ただ、証拠がない。そもそも、どうやって殺害したのかがわからない。から、逃れているだけ」
「そのこころは?」
「密室殺人です」
 慎吾がトンっと強く画面を押すのと、茗さんがそう言うのは同時だった。
 慎吾が顔を上げる。子供のような無邪気な笑顔。
「いいね、そういうの。俺、好きだよ」
 彼の手にある画面は、ちょうどYOU WINと表示したところだった。
「私、シンのことなんだかんだで好きなんだけど」
「うん、ありがとう知ってる。俺も大好き」
「……その事件で生き生きするところだけはたまに嫌い」
「え、なんで?」
 慎吾が心底驚いたような顔をする。なぜ驚けるのかが私には不思議だ。
「あなたの名探偵の効力のせいで、私までただの弁護士に過ぎないのに、密室殺人に巻き込まれているじゃない? そういうところ」
「んー、まあ、しょうがないよ。俺、名探偵だし」
 普通に、何事もないかのように言い放つ慎吾に、硯さんが呆れたと溜息をつき、私にむかって、
「あなたのご主人さまは本当にだめね、くーちゃん」
「なんだよ、いいじゃんか。なー、キュー」
「ゴンベイ!」
 私の返答に二人は顔を見合わせ、
「なんで、ごんべいなんて教えたの? なんの小説?」
「俺じゃねーよ」
 私はごんべい。
 渋谷探偵事務所の唯一の愛玩動物であり、看板九官鳥である。
 なぜかくーだの、キューだの、勝手に変な名前を付けられていて不満である。


第一章 九官鳥の場合