軽い事情聴取を終え、あとは後日ということで帰宅を許される。
 この辺は、ある意味顔パスな部分があるだろう。
 事件を解決した日、マンションの下まで送ってくれた彼は、大体こう言う。
「……今日、泊まっていってもいい?」
 私は決まってこう返す。
「くーちゃんは平気なの?」
 彼の愛鳥の心配。
 餌や水の心配がないと彼が判断したのならば、そのまま部屋に招き入れる。
 もしも、帰って面倒を見なければいけないようなら、
「じゃあ、泊まりに行っていい?」
 私の方からそう提案する。
 別にマンションまで来る前にその話をしてもいいのだけれども、私たちは頑にこのやり方を守っている。
 儀式、だ。

 事件を解決した日、同じベッドで眠っても、彼が私を抱くことは決してない。
 ただ、こどものように私の手を握って眠りにつく。崖から転がり落ちるような早さで彼は眠りにつく。すとん、と夢の世界に落ちる。
 私は、そんな慎吾の寝顔を見たまま、睡魔が訪れるのを待つ。
 渋谷慎吾は名探偵だ。
 名探偵は、職業じゃない。
 そういう生き物だ。
 事件を呼び寄せ、事件を喰らい、生きている。
 彼は、そういう生き物だ。
 謎解きという舞台の上で、全ての謎を収束させ、犯人を当てる。そのときの彼は実に生き生きとしている。
 へらへら笑ったその態度を見て怒るひともいるし、彼を死神だと揶揄するひともいる。
 だけど、私は知っている。
 謎を解き終わったあと、彼が誇らしげな顔のなかに、どこか少し悲しみの色を浮かべていることを。
 自分の歩いて来た道に、積み重なっている死体にうんざりしていることを。
 事件を解決した日、どうしようもなく寂しくなっていることを。
 事件が私と一緒じゃなかったときでも、大体事件を解決した日は私の家に転がりこんでくる。なんでもないような顔をしているけれども、それはきっと寂しくてやり切れなくなっているからだ。
 私の探偵さんは、他のひとが思うよりもずっと、ずっと寂しがり屋だ。
 自分の生活の全てに、死体が絡み付いていることを、彼は本当は嫌がっている。次は誰が死体になるのか、犯人になるのかと、実は怯えているのだ。
 そう、大体私たちの関係だって死体が繋いでいるのだ。
 出会いのきっかけも、今一緒に居ることも、全部背後に死体がある。
 死屍累々と積み重なる死体の上で、孤独に謎を解き明かすのが彼の役目だ。
 壇上で謎を明かす彼に、私ができることは何もない。私は名探偵ではないから。
 私に出来るのは、この孤独な探偵さんが、舞台から降りた、ほんの束の間の休息にあわせて手を差し伸べるだけ。
「う……」
 慎吾が短くうなされるから、私はそっと頭を撫でた。
「ねぇ」
 こういう時の彼が決して起きないのを知っていて、そっと問いかける。
「なんで私にハートの八を渡したの?」
 結婚する気なんて、無い癖に。
 ついこの前も、
「ねぇ、茗ちゃん。時効が停止しない間柄にならない?」
 なんていう、無駄に遠回しなことを言ってきた。そんなつもり、無い癖に。
 ちなみに民法一五九条「夫婦の一方が他の一方に対して有する権利については、婚姻の解消の時から六箇月を経過するまでの間は、時効は、完成しない」のことだ。
 何を言っているかすぐにわかった自分も嫌だし、そういう無駄な頭の使い方をするところも嫌い。
「私がいいよ、って言ったらどうするつもりなの?」
 焦って「冗談だよ」ってなかったことにする癖に。
 慎吾がずっと探偵になりたかったのは知っている。物語の中に出てくる名探偵に憧れていたことも知っている。
 家族への反発心もあって、受かった医学部を蹴って、一浪して法学部に入り直したのも、それが探偵になることに役立ちそうだと思ったからだろう。
 大学は別だったから詳しく知らないけど、在学中から探偵というか、何でも屋のようなことをしていたようだし。
 だけど、彼は「名探偵」であることを憎んでいる。
 結婚しようと戯れに口にしても、彼は絶対に私と結婚しない。彼が、名探偵である限り。
 ずっとダラダラと関係が続いてきた恋人と、正式に結婚するなんていう展開、シリーズ物なら最終回に匹敵するぐらい重要な回だ。その中で、恋人は大怪我をするか、殺されるか、犯人になるか……いずれにしても、無事に済むわけがない。
 私をそんな目に遭わせたくないから、と彼は結婚を承諾することはないだろう。戯れ以外の、本気のプロポーズもきっとしないだろう。
「ごめんね」
 それって本当は、私のせいなのに。


第四章 弁護士の場合