もしも、人生の分岐点で選択肢を間違えたのだとしたら、あの最終電車でのことだったと思う。

 どっから調達してきたのかわからないシルクハットを胸にあてて、私の恋人は高らかに宣言した。
「レディーーースアーーーンドジェントルメン! さぁ、解決篇という名のショータイムの始まりだ」
 うんざりしながら私はため息をついた。
 どうしてこの人はいつもいつも、
「事件を呼び寄せ、解決するのか」
 隣に座っていた笹倉くんが小さい声で言った。
「ほんと、それ」
 私は答えると肩を竦めた。
 この世には名探偵という人種がいる。それは、職業ではない。人種だ。
 彼らは事件を呼び寄せ、それを解決し、それで食べている。なんというか、事件そのものを喰らっているのだと思う。妖怪か。
 そしてとても残念なことに、私の恋人がソレなのだ。
 残念過ぎて、吐き気がする。
「あいつ、なんだかんだでノリノリですね」
「あの人、ミステリと名がつけばボケミスでもラノベでも構わないタイプの人だから。こういう演出も好きなのよね……」
「今回はハードボイルドに行くとか言ってたような」
 いつものように出かけた先で出会い、いつものように事件に巻き込まれた私と笹倉くんの前で、確かに慎吾はそう宣言していた。
 それは宣言するようなものじゃないとも思うが、まあ今更そんなところをとやかく言っても仕方ないだろう。
「トリックが手品っていう段階できっと捨てたでしょうね、それ。手品とミステリとかいいよね! 探偵のライバルにいそう! とか言ってたし」
 なかなかにいい笑顔で言っていた彼を思い出す。
 名探偵は、他の人がいない楽屋では、結構とんでもない発言をぶちかますものだ。
「ああいうのが名探偵とか、やってられないですよ。あいつ、名探偵も歩けば事件に当たる、を地で行くし……。名探偵がいるから事件が起こるんですよ。マジで」
 ぶつぶつと笹倉くんが呟く。いつもいつも巻き込んでしまって申し訳ないなぁ……。
 隅っこの席でそんな話をしている私たちを尻目に、慎吾はシルクハットからトランプを取り出し、
「と、いうことで一枚ずつ引いて頂きましょう。引いてもまだ見ないで。犯人は、トランプが教えてくれます」
 あの人の言葉に、
「くれねぇよ」
 笹倉君が小さく毒づいた。
「トランプが教えてくれたんです! で起訴まで持ち込めたら素敵」
「素敵ですよね。事件を解決して終わる探偵は楽でいいよな」
「……きみたちも黙って引いてくれるかな?」
 背後に立ったあの人が不満そうにいうので、二人で素直に一枚ずつ引く。
 合図を待たず、二人でめくる。ハートの八。
 これはどうなんだろうか、ジョーカー以外もあの人が仕組んで引かせているのだろうか。
「いや、めくるなって言ったし」
 不満そうに言う慎吾を無視する。
 そんな私たちを無視して、慎吾も推理を続ける。
 犯人、ジョーカーは誰なのだろうか。今の私たちはそこには興味はない。
 あの人が犯人を間違えないことはわかっている。名探偵だから。
「たまに、付きあっていることを後悔する」
 まあ、事件に巻き込まれなくても遅刻もするしいつまでたっても煙草やめないし、で喧嘩するし、別れてやろうと思うけれども。
「でもまあ、名探偵の元カノとか嫌な役割にはなりたくないけど」
「それ、結構危険な立ち位置ですよね」
 しみじみと笹倉くんが言う。
 さすが、慎吾と付き合いが長いだけのことはある。小鳥遊さんは説明をしてようやくなんとなく理解してくれたことを、なんとなく単語だけで理解してくれた。
 私はまだ、殺されたくないし、殺人犯にもなりたくない。
 そして、本当は困った事に、普通に好きになってしまっているのだ。
 この名探偵という生き物を。
 事件に巻き込まれる事が苦ではない程度に。
 正直、私たちはしょっちゅう喧嘩しているけれども、それは大体遅刻とか、禁煙しないとか、私が仕事を詰め込みすぎて約束破りまくるとか、そういったことが理由。事件について喧嘩したことはない。まあ、慎吾が無茶して帰ってきた時は怒るけど。
 手元のカードを見る。思い出すのは、エラリー・クィーンのハートの四。ハートの八は……、
「結婚の話、ね」
 小さく呟く。これは狙ってやったのかどうなのか。
 そうこうしている間に、
「そうつまり、犯人はあなたなんですよ」
 言いながら慎吾が、最後に一枚残ったカードをめくる。ジョーカー。
 その席に座った青年は、真っ青な顔をしていた。
「違う、俺じゃない!」
「なるほど、ならば決定的な証拠をお見せしましょうか?」
 今日の慎吾は調子がいい。無理なく推理を続けている。
 寝込んでいたから私は知らないが、この前は散々な結果だったようだ。私が襲われた所為で、彼はペースを乱し、証拠もロクにない状態で犯人を暴こうとした。結果として顔にあざを作って……。
 彼が私のために、慌てて事件を解決してくれたのはわかっているが、気づいたら病院で目が覚めて、顔を覗き込んできた恋人の顔に大きなあざがあった時の私の気持ちもちょっとは考えて欲しい。
 それじゃなくたって、しょっちゅう怪我ばっかりしているくせに。たまに私が怪我をしたら大騒ぎするくせに、自分の怪我には無頓着過ぎる。
 そういうところは、好きじゃ無い。
 証拠を突きつけられ、うなだれる犯人。説教をかましながら、慎吾は手から薔薇をだす。
「うさんくせー。つーか、手品もできるのかよ」
 笹倉くんが呟く。
「手品ぐらい今更。海の上、船の中での密室殺人、殺された船長っていう状況下で、俺、一応運転出来るよ? とか言いだした時は本当に何者かと思った」
「そのくせ普通自動車免許持ってないですしね」
「ねー、私だって持ってるのに」
「俺だって」
 とかなんとか、すっかり傍観者に徹している私たちを置き去りにして、推理ショーは終わる。
「笹倉」
「はいはい」
 名前を呼ばれた笹倉くんが立ち上がり、犯人のところに行く。
 ここからはもう探偵の出番はない。あとは、刑事である笹倉くんの仕事だ。
「それじゃあ、署までご同行願えますか?」
「はい……」
 入れ替わるように慎吾が近づいてくる。事件を解決した後の達成感に満ちあふれた、それでいてちょっとだけ、ほんの少しだけ悲しそうな顔をしてる。
「おつかれさま」
 手を伸ばして、そのクセっ毛を撫でる。
「ん」
 私の探偵さんはいつものようにされるがままになっていた。


第四章 弁護士の場合