小走りで、ここなは夜道を急いでいた。
 灯が一つ消えた地下道の階段を駆け上がる。
 マンションは地下道をあがったすぐ正面だ。
 慌ただしく鞄から鍵をだして、扉を開ける。
「おかえり。どうした、急いで? なんかあった?」
 ソファーでテレビを見ていた京介が当たり前のように言った。
 その光景に泣きそうになる。
「ううん。ご飯いっぱい食べちゃったからダイエットー」
 笑う。バカみたいに。
「ふーん? 危ないよー」
 出会った時みたいな、ぽーんっと突き放した言葉。
 でも、彼はここにいる。
 帰ったらいなくなっていたらどうしようかと、思っていた。
「寝ててよかったのにー」
 言いながら靴を脱ぐ。
「んー、家主より先に寝るというのもなー」
 律儀に京介が言う。
 京介は優しい。この同居人ごっこに付き合ってくれる。
 最初は半分ぐらい冗談だった。まさか本当に心中してくれるとは思っていない。そんな奇特な人間がいるとは思えない。
 でも今、割と本気で望んでいる。願っている。
 この心地よい関係が永遠に続くようにと、それが無理ならば一緒に終わらせて欲しいと、望んでいる。
 否、永遠に続くわけなんてないのだから、今の段階で終わらせて欲しいと、思っている。
 幸せは絶頂のうちに切ってしまうべきだ。絶頂からあとは、ただ落ちるだけなのだから。幸せのあとの不幸は、格別だ。
「もー、キョースケやさしー」
 バカみたいに甘えた声を出して、バカみたいに京介に抱きつく。
「うわっ」
 慌てた彼が肩を押すから、素直に離れた。
「ね? 心中してくれる気になった? 私のこと好きになった?」
 でも顔を覗き込むようにしながら畳み掛ける。
「だから心中しないってば」
 軽い会話を繰り返す。
 いなくならないで。ここにいて。それが無理なら一緒に死んで。もう一人にしないで。一人で死にたくない。
 言葉は外に出さず、
「もー、しょうがないから、その気になるまで待っててあげよう」
 ここなはバカみたいに笑った。
「それはそれとしてぇ、明日、おやすみもらったから買い物いこー?」
「買い物?」
 甘えるように、京介の肩に頭を載せる。京介は何か言いたそうな顔でここなを見下ろしたが、結局黙ってされるがままになってくれた。
 優しい人。
「キョースケの服とかさ、買わないとじゃん? ジャージじゃ駄目でしょう?」
「ああ、そっか。うん、すみません……」
「ううんー。私、お金たくさんもってるからー。普段あんまり使わないしー」
「……うん、財布の中に思った以上に金額が入っててビビった」
「でしょ? でも、一応家計簿付けてんの、偉くない?」
「おー、意外。偉い偉い」
「もっと褒めてー!」
 はしゃいで笑う。明るい声をだす。
「だから、明日、買い物。いい?」
 明るい声のまま尋ねると、
「うん、わかった」
 京介はあっさり了承した。
 気持ちが浮き上がる。
 これで少なくとも、明日は彼はここにいてくれる。
「えへへ、楽しみー」
 ぽんっと弾みをつけてソファーから立ち上がる。
「私、シャワー浴びてくるー。キョースケ、本当にもう寝ていいよー」
「うん、わかった。おやすみ」
「うん、おやすみー」
 ぷちっとテレビを消して、京介がソファーに横になった。
 いつまでも彼をソファーで寝かすわけにもいかないし、布団でも買おうかなーとか思いながら、ここなは浴室に向かった。
 布団まで買ったら、人のいい京介のことだ。でていけなくなるんじゃないか、そうも思った。