「ありがとうございましたー」
 帰って行く客を見送り、ドアを閉める。
「ここなちゃん、お疲れさま。お昼どうぞ」
 ブティックの店主が微笑む。
「はい、ありがとうございます」
 ここなも笑い返すと、レジ脇に置いてある鞄を手に取った。
「ここなちゃんが来てから、お客様増えてよかったわー」
「そんな、私はなんにも」
「んー、とりあえず、店を片付けてくれたのは、ありがたい」
「ああ」
 言われた言葉に、少し苦笑した。
 所狭しとただ並べていた洋服類を、種類別、ジャンル別に分けて、見やすくした事は確かだ。
「でも、楽しいですから。私、今とっても幸せなんです」
 ここなは明るく笑った。
 その言葉に嘘はなかった。ここで働きはじめて三カ月。毎日が新鮮で、忙しくて、楽しい。
「じゃあ、お昼休憩いただきますね」
 ここなは軽い足取りで、店の外に出る。
 店主は、その後ろ姿を見て、少し悲しそうに微笑んだ。
「京介くんは、いつ帰ってくるのかしらねー」

「こんにちはー」
「ああ、ここなさん、いらっしゃい」
 喫茶店のマスターが、微笑んで迎えてくれる。
「ランチセットで」
「はい」
 ほぼ毎日のように繰り広げられる会話。
 ここなはいつもと同じカウンターのはじの席に座る。
「マスター、お勘定」
 ここなの他に居た客が帰って行く。
 鞄からケータイを取り出し、メールを受信する。新着メールは、案の定ゼロだった。
 小さくため息。
「京介くんからは連絡ありませんか?」
「ええ」
 マスターが少し悲しそうな顔をしていた。
「ケータイぐらい、持たせればよかったんですけど。私ってば、迂闊」
 おどけて笑う。
「でも、手紙ぐらい書いてきてくれてもいいですよね」
「……そうですね」
 連絡先はまとめて渡したのだ。
 手紙なら書けるし、電話だってメールだって、公衆電話やネットカフェで出来ないことはないのに。
「まったく、今頃どこにいるんですかねー」
 マスターの言葉に曖昧に微笑む。
「でもまあ、便りがないのは無事な知らせっていいますから」
「そうですね。はやく帰ってくるといいですね」
「はい」
 笑顔で頷いた。

 でも、ここなは知っている。
 ランチセットのスープを飲みながら、なにげないように微笑みながら、思う。
 彼は帰って来ない。
 ここなを死なせないために、生かすために帰って来ない。
 優しい彼は、ここなのお願いを叶えたいという気持ちと、ここなに生きていて欲しいという気持ちを抱えている。
 京介が傍に居る限り、ここなは心中を希望し続けることをわかっている。
 京介はあの時、別れの挨拶をした時、ずっと笑っていた。微笑んでいた。
 あの笑い方を知っている。
 あの笑い方は、ずっとここながしてきたものだ。本音を隠すために、他人に胸のうちを読まれないようにする笑顔。
 防御のための顔。
 彼の本心は、別のところにある。
 好きだと言ってくれたのも、帰って来たら心中しようという約束も、きっと本物だ。だけど心中には条件がついている。帰って来たら。
 帰ってくるよね、という言葉にだけ、彼は明確な返事をしなかった。頷いただけだ。
 神野京介は、きっと帰ってこない。帰って来なければ、心中をすることもないから。

 バカなキョースケ、と思う。
 待っているとは言ったけれども、いつまでも待っているとは言っていない。
 そもそも、人の気持ちはうつろうものだ。ここなはそれが怖いから、心中しようとしていたのに。
 ここなが心変わりして、もっと他に良い人がいたら死んでしまっても、京介に責められる謂れはない。
 もっとも、京介よりも良い人がいるかどうか、わからないけれども。

 それでも、ここなは待っている。神野京介が帰ってくるのを。
 人を信じるのは苦手だ。気持ちは揺らぐ。変わってしまう。
 それでも、彼が帰ってくるのを信じている。
 でも、もしも。もしも、彼が帰ってきてくれれば、人の気持ちが揺らがないということを、永遠の愛というものを、信じてもいいかもしれない、と思っている。
 もしも、彼が帰ってきてくれたならば、このまま二人で一緒に暮らしてもいいと思っている。
 優しいマスターやブティックの店主達に囲まれて、幸せに暮らす未来、というものがあるかもしれない、と思っている。

 手元に置いたケータイをひっくり返す。電池蓋に貼った、プリクラ。
 笑顔のここなと、少し強張った顔をしている京介。そしてその間に何故かいる、大仏。
 それを見て、そっと笑う。

 でも、だから、いつか。いつの日か、
「死ぬために私の元に帰ってきてね」