翌日、ここなが京介に連れて行かれたのは、商店街だった。
「あら、京介くん、それが噂のカノジョ?」
 八百屋のおばさんが声をかけてくる。
「そう、可愛いでしょ?」
 屈託なく、京介が笑った。
 彼が当たり前のよう言った台詞に驚いて、伺うように、京介の顔を覗き込む。
 安心させるように京介が笑う。
 だからここなも、笑顔を作って頭を下げた。
「あらやだ、見せつけちゃって」
 朗らかに笑う八百屋さんに頭を下げて、通り過ぎる。
 行く先々で似たような言葉をかけられる。
「……キョースケ、人気者だね」
 京介の右手の袖を掴んでいたここなが、小さく呟く。
「やきもち?」
「……なんで」
 からかうように言われた言葉に、少しむくれる。
 京介は楽しそうに笑った。
「あ、ここだ」
 そして一つの店の前で足を止める。
「こんにちはー」
 なんのためらいもなく、ドアを開け、中に入る。ここなは少し慌てて、その後を追った。
「こんにちは、京介くん」
 中にいた女性が笑う。
「どうも。それで、こっちが昨日話した」
 ちらり、と京介がここなをみる。
「あ、えっと」
 それを感じとると、
「中曽根ここな、です」
 慌ててここなは頭をさげた。
「京介くんのカノジョさんねー。あら、可愛い」
「でしょ?」
「……あの?」
 楽しそうな二人を交互に見る。
 けれども二人はそのまま会話を続けている。
 仕方がないので店内を見回した。
 たくさんの服が所狭しと並んでいる。
 おばさん向けの洋服屋かと、一瞬思った。偏見だけれども、商店街によくあるような。
 けれども、よく見たら流行のデザインの服もおいてある。あ、あのスカート可愛い。
「ココ」
「あ、はい」
 名前を呼ばれて、視線を京介に向ける。
「ここで働かせてもらう気、ない?」
「え?」
 首を傾げる。
「あのねー、若い子向けのお洋服も仕入れたはいいんだけどよくわかんないし。一人じゃ手もまわらなくてこんな風に雑然としているし」
 店主が喋り出す。
「はあ」
「それで、京介くんの洋服、貴女が選んでるっていうじゃない? センスいいみたいだし、うちで働いてくれたらなーって思ってたの」
「あ、でも、私……」
 下を向く。
「洋服の販売とかやったことないですし、というかその、ずっと……」
「過去の職業なんて関係ないでしょう?」
 優しい声に遮られる。
 少し太めの店主が、柔らかく微笑んでいた。
「京介くんから話は聞いたわ。不幸なすれ違いがあって、お仕事やめることになったことも」
「……はい」
「私もね、この店を始めるまではずっと水商売してたし」
「え?」
 店主は意外でしょう? とおどけた。
「それって別にマイナスなんかじゃないわよ。まあ、マイナスになる時もあるけれども、少なくともうちの店においてはマイナスなんかじゃない」
「……はい」
「結局のところね、私は貴女に働いて欲しいの、駄目かしら。まあ、以前のお仕事程お給料出せないけど」
 おどけたように、店主は笑う。
 ここなは店主を見つめ、それから京介に視線を向けた。
 彼は優しく微笑んでいる。
 店内を見回す。
 例えばあそこにおいてあるスカートには、あのシャツを合わせて……。頭の中で組み立てる。
 憧れていた。
 洋服屋の店員。
 思っていたのとは少し違うけれども、それでも。
 もう一度、店主を見つめると、
「宜しくお願いします」
 頭を下げた。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
 ここなは、出された珈琲に口をつける。
「わ、香りがすごいね。家で飲むのと全然違う」
「だろ?」
 京介が嬉しそうに笑った。
 背後に流れるクラシック。少しレトロな店内。
 京介のバイト先の喫茶店だ。
「初めて来た、ここ」
 カウンター席に腰掛けて、辺りを見回す。
「またいつでも来てくださいね。京介くんの恋人さんなら、いつでも歓迎ですよ」
 少し離れたところにいたマスターが微笑む。
「はい」
 ここなは素直に頷いた。
 この商店街の人々は、なんの疑いもなく、ここなが京介の恋人だと信じている。それが少しくすぐったくて、心地よい。
 訂正した方がいいのではないかと思ったけれども、京介はどこにいってもそれを当たり前のように受け止めているから、何も言わない。
 京介の態度も、くすぐったくて、心地よい。嬉しい。
「それから、これ」
 カウンターの向こうにいる京介が、お皿を置く。
「フレンチトースト」
「美味しそう。キョースケが作ったの?」
「一応ね」
「京介くんは、本当料理が上手ですね。京介くんがいてくれて、助かりました」
「いえいえ、俺の方こそ雇ってもらっちゃって」
 二人の会話を聞いて、ここなは笑う。
 自分の知らない京介の世界を知ることが出来て、嬉しい。
「楽しそうだね」
 それに気づいて京介が少し苦笑いする。
「うん」
 頷いた。
 京介は苦笑したまま、カウンターから外に出てくる。
 腰に巻いた黒いサロンを外す。
「似合ってるね」
「ん?」
「その格好も」
 机の上に置かれたサロンを指差す。ああ、と京介は少し照れたように笑った。
 いただきます、とここなはフレンチトーストを食べはじめた。
「ん、美味しい」
「よかった」
 隣に座った京介が微笑む。
 幸せそうに食事するここなを見て、京介は目を細める。
 そんな二人を微笑ましそうに、マスターは見ていた。
 そして、
「京介くん、ちょっといいですか」
 頃合いを見計らって声をかけた。
「あ、はい。ごめん、ココ、ちょっとまってて」
 言われてここなは素直に頷く。
 ここなを置いて、店の奥に向かった。

「どうぞ」
 ここなから死角になっていることを確認して、マスターは京介に封筒を手渡した。
「未払い分の、今日までのアルバイト代です」
「ありがとうございます」
 京介は両手でゆっくりとそれを受け取る。
「すみません、急に」
「いいえ、構いませんよ」
 マスターは微笑む。
「そのアルバイト代は、少しだけ多くいれてあります」
「え?」
 京介は慌てて中身を確認する。
「私からの餞別と、それから予約料です」
 マスターは悪戯っぽく、微笑んだ。
「またここで働いてくださいね。それまでここは、あけておきますから」
「はい、ありがとうございます」
 優しい、と思う。この商店街の人々は皆優しい。
「あの、マスター」
「はい」
「短い間でしたが、どうもありがとうございました」
 頭を下げる。きっかり九十度。
「こちらこそ、ありがとうございました。楽しかったですし、助かりました」
「いえ。それから、身勝手なお願いなんですけれども」
 顔をあげる。
「ここなのこと、宜しくお願いします」
 そしてまた頭を下げる。
「わかっていますよ」
 マスターは優しく微笑んだ。