この国には太陽がない。 ドームに囲まれていて、国の人は誰も外にでたことがない。 もちろん僕もそうだ。僕は一度も太陽を見たことがない。 外には危険がたくさんあるからと、外には出してもらえない。 食料などは商人や一年に一度やってくるかこないかの旅人と交換してもらう。その商人や旅人も、半日にも及ぶ健康診断や殺菌・消毒で安全を確かめてからでないと入れてもらえない。 僕には時々、このドームが巨大な鳥かごに思える。 その旅人が来たのは、僕がドームに持っていた疑問を強くしていたときだった。 僕の家はこの国唯一の宿であった。でも宿とは名ばかりで、僕の両親も外にあるという危険を怖がっていて、ほとんどがセルフサービスで行われている、ただの雨風しのげる場所にすぎなかった。 その旅人は二人組だった。 僕がその二人をちゃんと見ることができたのは、彼らが食事をとっているときだった。 片方は背の高い赤い髪をした男性で、冷たくなったシチューをわずかに眉をひそめながら飲んでいた。 もう片方は小柄な女性で、銀色の髪をしたきれいな人だった。女性の方は、あからさまに不機嫌で、フォークを堅い鶏肉に突き立てて怒鳴るようにして言っていた。 「もうっ! なんなのよこの国は!! 半日も消毒だのなんだので時間をつぶさせて! 国の人は人をばい菌みたいな目でみるし!!」 「落ち着け」 男性はそういって女性をいさめた。 女性はまだ怒ったように頬をふくらませながら、堅いパンをちぎって口に入れた。 そして顔をあげた女性と、僕は目があった。女性が、あらっというように微笑む。僕は慌てて目をそらす。 よそ者と口をきくと、病気が移る。そんなばかな話を信じているわけではない。けれども、それで他の人との仲が気まずくなるのは避けたかった。 女性はそんな僕を見て、ふふっといたずらをする子供のような笑みを浮かべた。 「それにしても、あの蒲団はいただけないわよねぇ。ぼろぼろで」 「は?」 男性が変な顔をした。 女性は細い指をくんで、テーブルの上に頬杖をついて続ける。 「ねぇ、ソルもそう思わない」 男性は、呆れたような笑みを浮かべ小さく何かをつぶやいた。僕には、そういうことか、とつぶやいたように思えた。 「そうだな。せっかくゆっくり休めると思ったのにな」 「ねぇ? あんなんだったら寝袋の方がましよね? 取り上げられちゃったからしかたないけど」 「こんなんだったら仕方ない。料金を値切るしかないよな」 「そうそう」 女性はそこまでいうと、僕に片目をつぶってみせた。 そこでやっと意味がわかった。新しい蒲団を持っていって、そこで話をしようということか。 僕は押入から比較的きれいそうな蒲団を取り出し、それを抱えて彼らの部屋に向かった。 部屋で蒲団をかえていると、食事を終えた彼らが戻ってきた。 「“あら、よかった。蒲団があのままだったらどうしようかと思っていたの”」 女性が白々しい口調でそういった。 「“仕事ですから”」 僕も負けず劣らず白々しい口調だったと思う。けれど、こういう芝居がかったことは嫌いではない。 「“嬉しいわ、ねぇ、ソル?”」 女性が男性に話をふると、男性は小さくため息をついて言った。 「俺にもその白々しい芝居をしろと?」 「のりが悪いのね」 その答えを予想していたかのようなタイミングで、女性は言った。 それから、さて、と僕に向き直り 「仕事熱心なお兄さん、一体どういうことか説明していただけるかしら?」 そして、にこっと笑った。 二人はソルさんとリリスさんというらしい。 簡単な自己紹介のあと、僕はこの国について話し始めた。 僕が生まれるよりずっとずっと前からこうだったこと、外には危険な病原菌がいるとみんなが信じていること、よそ者と話すとそれが移ると言われていること……。 話し終えると、リリスさんがなるほどねぇとつぶやいた。 「世の中広いからね、そういう国が一つぐらいあってもおかしくないか」 ベッドに腰掛けて、膝の上に頬杖をつくような体制で彼女は座っていた。 「そうだな。時間が国民を支配する国っていうのもあったよな」 窓枠に寄りかかるようにしていたソルさんもいう。 「あ〜、懐かしいね」 リリスさんは一人でこくこくと頷くと、僕に向き直った。 「それで、あなたはどう思っているの? この制度について」 「僕は……」 何度も何度も思っていたことだった。けれども、いざ口にしようとするとためらった。 喉が張り付いてしまったようでなかなか声が出ない。 「僕は……、太陽が見てみたいです」 リリスさんは微笑んだ。 「そう」 まるで、それは僕がそういうのをわかっていたような顔だった。 「それじゃぁ、もう一つ」 ぴん、と彼女は人差し指をたてる。 「私たちならあなたを国の人たちに気づかれないように外に連れ出すことが出来る、といったらどうする?」 「……え?」 「つまり、太陽を見ることが出来るといったら?」 考えてもいなかった言葉に僕は口をばかみたいに開けたり閉めたりするだけだった。 「だが」 ソルさんが腕を組んで言う。 「その場合二度とこの国には戻ってこられないだろう。君の年老いた両親もこの宿も今までの暮らしも全て捨てることになる。」 僕はソルさんの顔をじっとみて、それからリリスさんに視線を移した。 「あなたが決めることよ」 リリスさんは言った。 「でも、あなたが後悔しないことを祈るわ」 「三日後にはここを立つつもりだ。それまでに決めておいてくれ」 ソルさんの言葉で、その話は終わった。 国の外にでられる。太陽が見られる。 それはとても甘い誘惑。 ただ、美しいバラに刺があるように、代償はそれなりに大きかった。 この暮らしを捨てることに、なんら異論はない。こんな単調な暮らし、捨てても構わない。 ただ、両親のことは気になる。 ため息をつき、天井を仰いだ。 一体、どうすればいいんだろうか? 毎日毎日悩む僕を、両親は不審に思ったらしい。 両親は僕の親友にそれとなく理由を聞き出すように頼んだそうだ。もっとも、これは後になって知ったことだが。 「よお、元気ないじゃないか、どうした?」 小さい頃からの親友にそう尋ねられて、僕はうっかり国の外に出る話をしてしまった。 国の外にでるということは、国に背くということ。そうなれば、銃殺刑だというのは知っていた。 だが、まさか親友であるあいつがバラすなんて思わなかったんだ。 宿に黒ずくめの男達がやってきたのは、答えを出さなければいけない朝のことだった。 銃をもったそいつらは、食堂にいた僕たちのところに来た。 驚く僕にそいつらは言った。国外逃亡未遂の罪で、銃殺する、と。 僕は目を白黒させたまま、視線をさまよわせ、親友があいつらの後ろにいるのに気づいた。親友は吐き捨てるように言った。 「おまえがいけないんだぞ! そんな旅人にだまされるから!!」 僕は目の前が真っ暗になった。 うちのめされている僕の後ろで、リリスさんがため息をついた。 「せっかく、静かに朝ご飯を食べられると思ったのに」 ぐっと背伸びして、リリスさんは言った。 「同感。出国するまでまっててくれりゃぁよかったのにな」 ソルさんも立ち上がった。 黒ずくめ達は、二人に銃口を向けた。 二人はそれに臆することなく僕に尋ねた。 「それで、でる? でない?」 決まっていた。 こんなところで、死にたくない。 死にたくない。 死にたくない! 「太陽が、みたいです!」 喉の奥からでた、かすれた声で、だけど僕は自分の意志を強く持ってそう言った。 「OK」 リリスさんが笑い、構えをとる。その隣でソルさんがにっと笑っていた。 銃口が火を噴く。 リリスさんはその弾丸を器用によけると、僕の手をつかんで走り出した。 そのまま、黒ずくめ達の上をジャンプして通り越し、親友の隣で止まる。 親友は小さく言った。 「おばさん達のことは心配するな」 僕は驚いて彼を見る。彼は泣いていた。 「悪いな」 リリスさんはそれを僕に聞かせるために止まったに違いない。そこまで聞くと、走り出した。 正直、僕は泣きそうだった。 きっと、彼も言うか言わないかで悩んだのだろう。彼には今、結婚を間近に控えた婚約者がいる。きっと、彼女に迷惑をかけたくなかったのだろう。 僕はそう思った。 思うことは自由なはずだから。 「リリス!」 後ろからソルさんも追いついてきた。 「おかえり」 こんなに速いスピードで走っているのにリリスさんにはまだ軽口をたたけるだけの体力があるようだった。 ほとんど引きずられるようにして走っている僕は、驚きを通り越して呆れてしまった。 「ただいま」 ソルさんもそれに答え、今度は彼が僕を荷物のように抱えた。 「うわっ!!」 「落ちても知らないぞ」 それだけいうと、さらにスピードをあげる。 「ねぇ」 リリスさんが僕の名前を呼び、 「旅人の荷物ってどこにあるか知ってる?」 「え、あ、はい。多分、門の近くの物置に」 「それじゃぁ、そこによってからだな」 ソルさんがそういった。 その物置には、当然のごとく警備の人間がついていた。 その我が国でも武道の達人の二人組を、リリスさんはそれぞれ一発蹴りをいれただけで気絶させてしまった。 声も出ない僕を乱暴に地面におろして、ソルさんは物置の中から荷物をあさり始めた。 ほどなくして、お目当てのものを見つけたようだ。大きめの袋を二つと、長剣をもってでてきた。 後ろからは黒ずくめ達が追いかけてくる。 ソルさんは袋を二つ肩にかけると、剣を鞘から抜いた。 リリスさんが僕の手をひっぱり、ソルさんが無造作に放り投げた鞘を受け止めた。 二人の動作は、まるで打ち合わせをしてあったかのようだった。例えば、そう、ダンスをしているような動き。 門の前まで来ると、門番が槍を構える。 それに構わず、ソルさんは剣を頭の上に振りかぶり、勢いよくおろした。 しばらくの沈黙を挟み、すごい音を立てて門が切り倒された。 あっけにとられる門番を後目に、僕たちは外に走ってでた。 外まででるとそこには馬車が一台とまっていた。 「うわっ!!」 僕はそこに荷物のように放り込まれる。 「ほら、急いで」 その後をリリスさんが乗ってきた。御者台にはソルさんが座っているようだった。 「あの、この馬車は?」 「私たちの。国の中にはいれてもらえなかったのよ。そんなことより、しゃべってると舌かむわよ」 それを合図に馬車はものすごいスピードで走り出した。 まるで、馬が今まで走れなかった分を補いたがるかのような速さだった。 僕は慌てて小さな窓から外をのぞいた。黒ずくめ達が門の残骸を必死に乗り越えようとしているところだった。 僕はそれから視線を逸らし、鳥かごを見た。 大きな灰色をしたドームは、中にいたときは考えられないくらい単調で無機質なものだった。 「さよなら」 小さくつぶやいた。 「それで、なんなんですか、あなたたちは」 しんみりした気分を振り払うためにも、僕はリリスさんに言った。 けれども、質問に込めた気持ちは本当だった。 細い体をして蹴りだけで屈強の門番を倒してしまうわ、一振りで門をまっぷたつにしてしまうわ、まるで最初からうち合わせしていたかのような動きをするわ、とうてい普通の人には思えなかった。 リリスさんはふふんっと笑い、 「ただのしがない旅ガラスよ」 とだけ言った。 僕はこの人達についてきてしまって本当によかったのだろうかとわずかに心配に思い、ため息をつき…… そのとき馬車が石の上でも通ったのか大きくはねた。 「いて」 そして、リリスさんの忠告むなしく舌をかんでしまった。 馬車はそれからスピードを落としながらも走り、静かな川の畔でとまった。 「さぁさぁ、お客様」 リリスさんは恭しく一礼し、上の方を指した。 「こちらがお望みの太陽ですよ」 そこには、さんさんと降り注ぐ明るいなにかがあり、僕はそれをじっとみていた。 「これが……たいよう?」 僕はばかみたいに口をあけて、それを見ていた。 本で知識だけは知っていたが、こんなにまぶしくて暖かいなんて思わなかった。それから、何かいいにおいがする気がする。 僕の隣で、リリスさんがくすくす笑った。 「すごいでしょ。どこかの誰かが昔言ったそうよ。太陽に勝る宝はなし、ってね」 「なんていうか……」 少し時間をかけて言葉を選んだ。この感動を長持ちさせたかった。 「その通りだと思う。宝石とかそんなのよりも、ずっとすごいと……」 「そうね。みんなそのことを忘れてしまうけれどね」 リリスさんは寂しげな声でそういうと、僕の隣から離れた。 僕は、ただただ黙って太陽を見ていた。 太陽だけじゃない。川も木々も何もかも新鮮だった。 人工のものではない、自然のものとはこういうものなのかと肌で感じ、圧倒され何も出来なかった。 そして、こうやって改めて思い返してみると、自分の表現力のなさが悔やまれた。 いや、もしかしたら、たかが人間の言葉であの感動を書こうなんて思うのが間違いなのかもしれない。 「それで、これからどうする?」 日も暮れて夕食時、鍋をかき混ぜながらソルさんが尋ねてきた。 鍋のスープの状態だけが気になっていた僕は、慌ててソルさんの顔を見直した。 「どうって?」 「だから、仕事をするとか旅に出るとかいろいろあるでしょ?」 横からリリスさんが口を挟む。彼女の視線もスープに釘付けで、頭の中もスープでいっぱいだったのだと思う。 その証拠に、そこまで話した後リリスさんは 「もうちょっと火を弱くした方がいいんじゃないの?」 などといった。 「そうですね」 僕は空を見た。 噂に聞いていた一番星とやらを見つめながら、そんなこと考えていなかったなと思った。 国をでることだけで精一杯だった。それでも、やりたいことは決まっていた。 「迷惑だとはわかっているんですが、近くの国まで連れて行ってもらえませんか? そこで、何か仕事を見つけたいと思います。小さい頃から宿の仕事はやってたんで、大抵の家事はできますから」 「そうか」 ソルさんはつぶやいた。それから、お椀の中にスープを注ぎ、僕に差し出した。 「いい選択だ」 初めて外で食べるそのスープは、具もほとんど入っていなかったしあじけなかったけれども、今まで食べたどのスープよりもおいしいと思った。 そういうと、リリスさんがいたずらっぽく笑っていった。 「それはね、自然というスパイスがはいっているからよ」 その通りかもしれない。 次の日、僕は近くの小さな町まで連れて行ってもらった。 治安も悪くないし、人は少ないがそれなりに活気があるいいところだとソルさんは言った。 来たことがあるのですか? と問うと 「知り合いがいる」 と答えた。 ソルさんがその知り合いに頼んでくれたおかげで、宿屋の仕事につくことができた。 文化の違いとかいろいろな相違点はあるけれども、慣れた仕事に就けて嬉しかった。 「それじゃぁ、がんばってね」 泊まることもせずに二人は旅立っていった。 そして、今。 僕はここで、愛すべき妻とかわいい息子に見守られ、人生に幕を下ろそうとしている。 いろいろと大変なこともあったけれども、今でも後悔していることはない。 いい人生を送れてきたと思っている。 息子にもう一度あの言葉を言うべきだと思う。 目元をうるませた我が息子に、 「いいか、この世で一番」 「一番大切な宝は自然なんだろ。もう耳たこだよ」 息子は僕の言葉を引き継いで、下がった眉で笑いながら言った。 ああ、これで安心できる。 僕は幸せ者だ。 一番の宝をずっと一番の宝だと思い続けて生きてこられたのだから。 |