胸元で揺れる猫を、ぴんっと軽く弾く。 ふふふっと、笑みがこぼれた。 ソファーに横になりながら、マオは存分にペンダントを楽しんでいた。 もうすぐ日付が変わるころ。お風呂に入るからと外していたそれを、つけ直したところだった。 やっぱり、これ、可愛いなー。 「……お前、寝るならベッドいけよ」 マオの足元の方、床に座った隆二がつまらなさそうに声をかけてくる。 「わかってるよー」 「あとちゃんと、髪の毛乾かせよ」 「わかってるってばぁー」 今、ネックレスを愛でるので忙しいんだから、放っておいて欲しい。 隆二は、マオを一瞥すると、どうだか、とでも言いたげに肩を竦めた。 まったく、隆二は本当、ちっともマオの気持ちをわかってくれない。すっごく嬉しいからこうしているのに。嬉しいっていう気持ち、ちゃんと伝わっているんだろうか。 飄々と本を読んでいる隆二を見ていると不安になる。 傍においていてくれることも、面倒をみてくれていることも、本当に嬉しいと思っているし、感謝しているし、こんなに大好きなのに隆二にはいまひとつ、伝わっていないんじゃないかなーと思うときがある。 だってほら、ひとでなしだし。 それに、マオも言葉で全部を伝えられるほど、賢くない。 溜息まじりに起き上がると、タオルで濡れた髪を拭く。 「……ドライヤー使えよ。せっかく買ったんだから」 やっぱり呆れたように言われる。 本当、隆二は注文が多い。 「めんどうなんだもん」 なんだか素直になれなくてそう言って唇を尖らせると、 「……やってやるから、もってこい」 心底面倒くさそうだったが、思ってもないことを言われた。 「え、本当!?」 「嫌なら自分でやれ」 言って隆二の視線がまた本に戻る。 「やじゃない!」 慌ててそう言うと、立ち上がって洗面所にドライヤーをとりにいく。 戻ってくると、隆二は読みかけの本を適当に床において、ソファーに腰掛けた。 「そこ」 「はーい」 指差された隆二の足元、床に座る。 「……あ、これかスイッチ」 背後からちょっぴり不安な声が聞こえるけれども、気にしない。もしかしたら、隆二がやると酷いことになるかもしれないけれども、気にしない。 大事なのは結果じゃないのだ。隆二が髪を乾かしてくれる、と言い出したことなのだ。 ぶぉぉぉっと、ドライヤーから出た温風が髪を揺らす。 思っていたよりも手慣れた手つきだった。そっと触れる手と風が嬉しくて心地よくて、目を細める。 機械の類いにはめっぽう弱いが、決して隆二は不器用じゃないのだ。機械さえなければ、なんでもそつなくこなしてしまう。 料理だって、すっかり上手になったし。 「隆二はー」 ドライヤーの音に負けないように声をはりあげる。 「なんでもできてすごいねー!」 素直な感嘆の言葉に、 「お前がなんにもできなさすぎなんだよ」 ちょっと笑いながら言われた。 それはまあ、そうかもしれない。字も、練習しているけれども難しいし。なんにもできない。 ちょっと落ち込んでしまうと、 「ばーか」 くしゃくしゃっと髪の毛をかきまわされた。 「ちょっとぉー」 振り返ると、隆二が笑っていた。楽しそうに。 それになんだか嬉しくなる。最近の隆二は優しいし、前よりもいっぱい笑ってくれる。多分、本人は無自覚だから言わないけど。言ったら恥ずかしがって、もう笑ってくれないかもしれないし、また意地悪されるかもしれないから。 ドライヤーを止めて、 「いいんだよ、ゆっくりで」 隆二が優しく言った。 「零歳児なんだから」 からかうような言い方だったけど、やっぱりいつもよりちょっと声が優しい。 「……もう、一年経つよ」 発生してから。 小声でそう訂正すると、 「あれ、そうだっけ」 時間の感覚に乏しい隆二は軽く首を傾げた。 隆二のところにきてからだって、一年経った。 「まあ、対して変わらないよな」 「隆二から見たらそうだろうね」 「だからまあ、ゆっくりでいいんだよ」 ぽんぽんっと頭を軽く叩かれた。 「ん」 それに素直に頷く。 それを見て隆二は満足したのか、またドライヤーのスイッチをいれた。 「それに、ほら、あれだろ」 「んー?」 「ケータイは、お前の方が使いこなしてるだろ」 「それは、ねー?」 だって、機械は隆二が不得意過ぎるから。 「それに」 そこで隆二は、躊躇うようにちょっと間をおいてから、 「一緒に学んでいこうって言っただろ」 なんだか早口で言った。 それに思わず振り返りそうになるのを、 「前向いてろ」 ぐっと頭を押さえつけられて、妨害される。 多分、今、隆二はちょっと照れている。 それに思い至ると、ふふっと笑みがこぼれた。 隆二が約束をちゃんと覚えていてくれたことが嬉しい。すぐに色々忘れちゃう人だから。 「はい、終わり」 「ありがとー」 振り返ると、 「どういたしまして」 いつもどおりの、ちょっとつまらなさそうな顔で隆二が答えた。 「ほら、そろそろ寝ろ」 「はーい」 実体化している時に嫌だな、と思うのは、ちゃんと夜寝るように言われることだ。幽霊のときだったら、夜中どんなに起きていても何も言われないのに。 でもやっぱり、幽霊のときよりも眠くなる。実体化していると動き回るからしかたない。 「寝る時それ、外して寝ろよ」 首元を指差される。 「これ?」 ペンダントをつまむと、頷かれた。 「お前、寝相悪いから寝ている間に首しまるかも」 そっけなく言われる。 バカにされて一瞬むっとしたけれども、よくよく考えてみれば心配されている気がしてきた。だから怒るのを一度ぐっと堪えて、 「わかったー」 小さく頷くにとどめた。 「それじゃあ、おやすみなさい」 立ち上がる。 「うん、おやすみ」 軽く片手を振った隆二は、また本の世界に戻っていた。 隣の部屋のベッドに潜り込む。すっかりマオ専用となったスペースだ。 ペンダントを外すと、ちょっと迷ってからタンスの上に置いた。 何かお洒落な箱かなにかにいれておきたいな。幽霊に戻っている時に、万が一どっかにいってしまったら困るし。とりあえず、明日何か箱がないか隆二に訊いてみよう。 思いながら目を閉じる。 うつらうつらしながら、思う。 何かお返しがしたいな、と。 実体化したなら、なにかお礼の品を買いに行くこともできるじゃないか。言葉や態度だけじゃなくて、物をプレゼントできる。そうしたら、マオの気持ち、ちょっとはわかってくれるかもしれない。あの駄目駄目隆二でも。 今月はもう、明後日には元に戻ってしまうから難しいけど、来月になったら隆二がいない隙をついて、買い物に行こう。一人ででかけるなとか言われているけど……。まあ、いいや。怒っている隆二も笑顔になるぐらいの、なにか素敵なものを探そう。 自分の想像にふふっと笑みが溢れる。 喜んでくれるもの、あるといいな。 そんなことを思いながら、意識は落ちていった。 |