『きゃーっ!』 ソファーでうたた寝していた隆二は、居候猫の悲鳴で目をさました。 「マオっ!?」 慌てて体を起こし、声の方を見る。 マオが口元を両手でおさえ、 『ひゃーっ!』 また声をあげた。視線はテレビに釘付けだ。 なんとなく状況が理解できて、立ち上がりかけた体を、またソファーにおろす。 これはあれだ、悲鳴じゃなかった、黄色い歓声ってやつだ。 幸いだったのは、今のマオが幽霊なことだ。これが実体化している時だったら、近所迷惑だったことだろう。 『採用されたっ!』 テレビ画面に写っているのは、半分透けた状態で浮かれてピースサインしている、この幽霊の姿だった。 見覚えのある写真。隆二がケータイを手にしたころ、マオに言われてとった写真。 そういえば、例の心霊写真は、あの後エミリに頼んでテレビ番組に送ったのだった。それがどうやら、採用されたらしい。 『なんで、うちにはビデオないのっ! ケータイケータイっ!』 マオは画面を見たまま、片手を伸ばし、テレビ脇の棚に置いてある自分のケータイに手を伸ばし、 『ああっ、あたし、今、幽霊の方だったっ!』 空を切った手を恨めしく見る。 『隆二! とって!』 「諦めろ」 もうカメラの起動の仕方なんて覚えていない。 『えー、もうっ!』 言っている間に、マオの写真は消えて、別の話になった。 『あーあ、記念に写真とっときたかったのになぁー』 ぷぅっと膨れる。 写真がテレビに映っているのを写真にとりたい、とは一体どういうことなのか。隆二にはその感覚がよくわからない。 むすっと膨れたまま、ごろんっと畳の上に倒れ込む。よっぽど残念だったらしい。 「……でもまあ、よかったな。採用されて」 仕方なく、フォローの言葉をかけてみる。 『うーん』 返事は煮え切らない。 「採用されると一万円だったか? 今ならそれ、自分でも使えるじゃないか。服でもなんでも、好きなものを買えばいい」 『……違うの』 マオが顔だけこちらに向ける。むすっと、への字の唇。 「違う?」 『あのね、採用はされたんだけど、あたしが採用されたのは、お巫山戯心霊写真コーナーで、ちょっと違うの。格が』 「……格が?」 『ちょっと変わった、怖くない心霊写真が集まってるコーナーなの』 まあ、幽霊がピースサインしていたら、そうなるわな。 『それだとね、記念品のボールペンだけで、賞金でないの』 むすっと膨れている。 「あー、なるほど」 採用されたことは嬉しい。テレビに映っていた自分を見ることは嬉しい。だけれども、目的の一つである賞金は手に入らない。それは悔しい。 そういうことだろう。 『あーあ、なんか微妙っ!』 呟いて、ごろりと寝返りをうつ。うつぶせになってしまったから、顔が見えない。 さてはてどうしたものか。まあ、しばらく放っておけば、勝手に機嫌直すだろうけれども。 ちょっと考えてから、 「マオ」 名前を呼んでみる。 僅かに顔を動かして、片目だけでこちらを見てくる。 「じゃあ、今度、写真撮ろう。実体化しているときに、一緒に」 なにが、じゃあ、なんだか自分でもわからないが、悪くない提案だと思った。せっかくちゃんと写真にうつるようになったのだ。写真の一枚や二枚ぐらい、残しておいてもいいだろう。 『本当っ!?』 がばっとマオが体を起こし、ぱぁぁっと明るい笑顔になる。 「ああ」 単純な彼女に呆れて笑いながら頷くと、 『やったぁ!』 マオが両手を叩いて喜んだ。 『嬉しい、ありがと!』 そのまま、ひょいっと跳ねるようにして、ソファーに座る隆二の隣にくる。 「ん」 軽く頷いて、その頭を軽く撫でた。 『えへへ、早く、ご飯の日来ないかなー!』 そうだなーなんて相槌をうちながら、またマオの一挙一足に肝を冷やす期間がくるのかと思うと、手放しでは喜べなかった。 覚悟はまだまだ決まらない。 突然、部屋にコミカルなメロディーが流れる。 『あ、ケータイ』 テレビの前に置いた、マオのケータイが鳴っていた。奏でているのは、疑心暗鬼ミチコのテーマソングだ。ケータイを手に入れてそうそうに、マオが設定したのがこれだ。だからどんだけ好きなんだよ。 このケータイも、隆二のと同じく研究所からの支給品だった。違うのは、 『りゅーじ、確認して』 「やだよ。お前の壊しそうで怖いから」 指をさすマオに、苦い顔を返す。 隆二とマオとの決定的な差。それは、ご老人向け機種と、スマートフォンの差だった。 『えー』 「無理無理。なんでそれ、ボタンがないのに動くのか、本当わからん」 自他ともに認める機械音痴の隆二には、そんな未知の物体を触る勇気がない。 『えー、じゃあ、ご飯の日まで確認できないのぉ?』 不満そうに唇を尖らせる。 「マオにメール送ってくるなんて、どうせ嬢ちゃんだろう。聞けばいいじゃないか」 言いながら、ダイニングテーブルに上に放っておいたケータイをとってくる。まあ、聞けばいいじゃないか、ってその聞くのが大変なわけだが。 未だになれない手つきで、メール作成画面を起動しようとしていると、 「うわっ」 手の中でケータイが震えた。急に震えるなよ、驚くじゃないか。 驚いて放り投げそうになったそれを、再びキャッチして、画面を確認する。 「あ、嬢ちゃんからだ」 『なにー?』 マオが画面を覗き込んでくる。 『えっと、マオさんにメールしましたが、今は確認できませんね。すみません。えっと……』 「転送」 『てんそーするので、マオさんによろしくお伝えください』 そこまで読んで、マオが隆二の顔を見て、嬉しそうに笑う。 『やさしーね、エミリさん。隆二に送ってくれて』 それからまた、画面を見る。 『オカルトクエスト内の心霊写真探偵のコーナー、見ました』 「……嬢ちゃんも、そういう番組見るんだな」 っていうか、そういうタイトルだったのか、あの番組。 『マオさんのあの写真、でていましたね。びっくりしました。メインの部分ではなかったのが少し残念ですが。送るのをお手伝いした身としては、嬉しかったです。咄嗟に画面を写真にとったので……』 「添付」 『てんぷ、しておきますね』 更にスクロールすると、確かになにか添付ファイルがついているようだった。 「……どうするの、これ」 『そこクリックしてー、そう』 「あ、開いた」 どうにか画面に呼び出した写真には、テレビに映る、居候猫の間抜けな心霊写真があった。 『きゃーっ!!』 「……耳元で叫ぶなよ、うるさいな」 またあがった黄色い歓声に、右耳を押さえる。別に鼓膜を通して聞こえているわけではないのだが、気分として。 『もー、エミリさん、さっすがー! すてき! 大好き! 隆二とは違うなぁ!』 嬉しそうに笑いながら、手を叩く。 「……よかったな」 あまりのはしゃぎように呆れながら声をかけると、大きく頷かれた。 『りゅーじ、お礼のメール!』 「……俺がやるのか?」 『だって、あたし今メール打てないもん!』 「……だよなあ」 しぶしぶ、返信メッセージを作成する。 「……マオがとっても喜んでいた、ありがとう。今度ちゃんと本人から返事させる。で、いいか?」 『……もっとこの感動を伝えて欲しいんだけど、隆二だから仕方ないね』 一瞬、顔をしかめたものの、素直にマオが頷いた。マオの感動とやらを伝えるためのメールなんて、一日あっても完成するとは思えない。 なんとかメールを打ち終えて、送信。 やはり慣れない。疲れる。 溜息をつきながら、ケータイをソファーに置いた。 『ありがと!』 幾分、落ち着いたマオが、ぺこりと頭をさげる。 「どーいたしまして」 苦笑しながら返事を返した。 『あ、写真もらったけど、二人の写真も撮ろうね!』 「はいはい」 投げやりに返事をする。 まあ、写真をとること自体に、反対すべき点がないし。 と思っていたら、なんだかじっと見つめられる。 「……何」 なんだか射抜かれそうな視線に、居心地の悪さを感じる。 『……隆二さ』 「うん?」 『何か最近、優しい』 「……は?」 優しい? 『気味悪いんだけど。今だって、前だったら、写真手に入ったからもういいだろめんどくさい、とか言うところじゃない? っていうか、そもそも、一緒に写真撮ろうなんていう、ナイスな心遣いなんて出来なかった!』 「……一度、お前の中の神山隆二像を改める必要があるな」 どれだけひとでなしだと思っているのか。 「別に、優しいならいいだろ」 呆れて笑いながら言うと、 『何か、隠し事してない?』 言葉で射抜かれた。 一瞬、挙動がおかしくなりそうなのを、必死に耐える。 「はぁ?」 普段どおりを意識して、呆れたように言葉を返す。 「何を根拠に」 『女の勘!』 また、面倒なものを根拠にしたな。 しかし、確かに以前よりもマオの要望を叶えようとしているのは事実だ。あのとき、どうして無視したのだろう、と後悔したくなくって。 それは、確かに、不自然だったかもしれない。 『何か、疾しいことがあるんでしょうっ!』 腰に手をあてて、挑むように言われる。浮気がバレたらこんな感じなんだろうか。 「例えば?」 動揺を押し隠して、平静を装う。 『わかんないけど!』 さっきと同じテンションで言われる。イマイチ迫力が足りない。 「なんだそれ」 呆れたように笑ってみせる。 「そりゃあ、多少変わるだろ。マオが実体化するようになったら、生活様式が変わるんだからさ」 『だけどなんか怪しい!』 「あーそう、そんなに言うならわかった」 わざとらしく、足を組み直して、告げる。 「もう、お前の言うことは何一つきかない」 言った瞬間、マオの顔が泣きそうにくしゃりと歪んだ。 そういう顔をされると、多少は胸が痛むのでやめて欲しい。 「写真もとらない」 『や!』 短く叫んで、飛んでくると、隆二の顔をのぞき込むように床に座った。 『写真撮りたい!』 「優しいから気味が悪いんだろ」 『気味が悪くてもいいから、写真撮りたい!』 気味が悪いは否定する気ないのかよ。 「隠し事してるから嫌なんじゃないか?」 『うう、してるような気がするけど、してないっていうことでいいから!』 そこも妥協し切らないのかよ。 「ふーん?」 ちらりと視線を向けたマオが、思ったよりも真剣な顔で、少し笑いそうになる。そんなに大事なことなのか、写真が。本当、何事にだって真っすぐに向き合っているな。 『ごめんなさいー。優しいのはいいことでした!』 「……まあ、わかったよ」 ぽんぽんっと、その頭を軽く叩く。 すると、途端にマオの顔が華やいだ。 『写真、とってくれる?』 「ああ」 『ありがと!』 えへへ、っと笑う。 その額を軽く指で弾いた。 「なんにも隠し事とかしてないから、気にするな」 『はーい』 隠し事の件はもういいのか、マオが楽しそうに片手をあげて返事をした。 よかった、うまくごまかせた。 結局のところ、覚悟がまだ決まっていないから、マオに覚悟の内容を話すことができない。 きっと、実体化にともなう弊害を聞いたら、マオはショックを受ける。それを一緒に受け止めてやるだけの覚悟が、まだ自分にはできていない。 今はまだ、はしゃいでいるマオを見ていたい。 だから、今後は多少、優しさに気をつけよう。 |