一晩ぶりに見るマオの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。こんな風に泣かせてしまったことが心苦しい。 「……ごめん」 隆二が右肩にそっと触れると、ぴくっとマオの肩が震えた。 間に合わなかったことが、悔しい。 マオが泣き顔のまま、ふるふると顔を横にふった。それでもまた、泣きそうになる。 それを見ているのが耐えられなくって、マオの頭をそっと抱き寄せようとしたとき、 『隆二っ、後ろっ!』 隆二の肩越しに何かを見たマオが悲鳴をあげた。慌てて視線を動かした隆二の目に映ったのは、エクスカリバーを片手に立ち上がる一条の姿だった。 咄嗟に、マオの頭を抱え込む。守るように。これ以上、傷つけさせないために。 『りゅーじっ』 そんなことよりも、迎撃した方がいいと気づいた時には、一条はもう真後ろまで来ていて、 『隆二っ!』 マオの悲鳴をかき消すように、ばんっと大きな音がした。銃声。 「っ!」 振り返ると、一条が、右手を押さえて呻いていた。 からんっと持っていたエクスカリバーが落下し、隆二は慌ててそれを奪い取った。 視線を音の方に向けると、真っ青な顔をしたエミリが、まだ硝煙のでる銃を片手に立っていた。 「それ以上、動かないでください」 斬りつけるように一条に言いながら、銃を構えたままゆっくりと近づいてくる。 「両手をあげて!」 エミリの声に、一条はしばらく悩むようなそぶりを見せたが、血の出る右手を押さえながら手をあげた。 「助かった。ありがとう、エミリ」 マオを背後に庇うようにしながらも礼を言う。 「いえ、遅くなってすみません」 一条から目を離さずにエミリが答えた。 「……どうしてここが」 一条が苦々しい口調で言った。 「ここは花音との思い出の場所なのに。よく家族できた、思い出の……」 「知るかそんなこと」 吐きすてるように隆二は答えた。だからなんだ。この場所がわかった理由なんて、ただ一つだ。 「人間の若者の情報網はすげーんだよ」 菊や葉平といったなんでもない人間の若者のおかげだ。隆二が、一晩走り回ってもわからなかった手がかりをみつけてくれた。 その情報を元に、エミリが車の行き先を探しだしてくれたのだ。だから厳密には、研究所の力もちょっと入っているが。 郊外の古びた教会。その場所を聞いた瞬間、走りだしていた。 入り口には、鍵がかかっていた。合鍵をエミリが手に入れてくると言っていたが、それを待っている余裕はなく、手っ取り早く天井のガラスをぶち破って入った。それだけのことだ。 完全には間に合わなかったけれども、最悪は避けることができてよかった。 「一条稔。エクスカリバーをはじめとした道具を許可無く持ち出したことは重罪ですよ」 エミリは銃口を向けたまま一条に近づくと、鞄から取り出した手錠を片手にかけた。一条は大人しくされるがままになっていたが、 「……進藤の娘。実験体に肩入れするお前も似たようなものだろう」 負け惜しみのように呟いた。 「研究所から見たらそうかもしれませんね」 吐き出された言葉をエミリは受け流した。 「でも、わたしからすれば全然違います。そのことをわたしは知っていますので」 言いながら手錠の片方を長椅子に繋ぐ。手慣れた様子で身体検査をし、他に武器を持っていないことを確認すると、ようやく銃口を外し、隆二達の元に駆け寄った。 「マオさん、大丈夫ですか!」 隆二の影に隠れているマオに声をかける。 『エミリさん……』 泣きそうな顔をしたマオがエミリを見た。 そうすると、隠れていた右腕も見えた。 「……それ」 エミリが小さく呟くと、マオは慌てたように隆二の背中に隠れた。腕を隠すように。 『……ごめんなさいっ』 「マオ」 涙声の謝罪に、隆二がその頭をそっと撫でる。 それを見て、 「一条っ!」 一声吠えると、エミリは再び銃口を一条に向けた。かっと激情に駆られたように。 それを、 「エミリ」 隆二は、名前を呼ぶことで止めた。 「だけど、神山さんっ」 たしなめるように名前を呼ばれて、エミリが顔だけで振り返る。 「だって、こいつはっ」 振り返ったエミリは怒ってもいたが、泣きそうな顔でもあった。 「あんたはその引き金を引くべきじゃない」 まだ戻れるんだから。 「でもっ」 「やるなら俺がやる」 その言葉に、エミリが小さく息を呑んだ。 ゆっくりと立ち上がると、 「マオを頼む」 エミリの肩をマオの方に押し、そっと前に出た。 『りゅーじっ』 マオの声を背中に受けながら、ゆっくりと一条の前に立つ。 「U〇七八」 隆二の視線を受けて、一条が呟いた。 「神山隆二だよ」 今更実験体ナンバーで呼ばれることに、何か特別な感慨を抱くわけでもないが、そう訂正する。 「うちの居候猫が世話になったな」 「……わたしの娘だ」 「違う」 座り込んだその胸倉を掴む。椅子に繋がった右手がひっぱられたのか、一条がうめき声をあげた。 その耳元に顔を近づけると、低い声で小さく、一言告げた。一条だけに聞こえるように。 「俺のだ」 そのまま返事は待たず、腹に一発拳をぶちこんだ。 ぐっと呻いて、一条の体が崩れる。手を離すと、ぼたりと床に体が落ちた。 手加減してやったのに。 咳き込みながら、恨みがましい目でこちらを見てくる。 たったこれだけのことで、そんな被害者面しやがって。自分がしたこと、わかってんのか? ドス黒い感情が足元から立ち上ってきた。呻いている一条を見下ろす。 だってまだ、息の根がある。 止めてしまえ。不愉快だから。 倒れた体に、更に足を叩き込んだ。一発、二発、三発。 『りゅーじっ』 怯えたようなマオの声がする。 それで我に返った。 久しぶりに黒い感情に支配されて動くところだった。 足元の一条にまだ息があることを確認すると、一つ溜息をつく。 本当はここで嬲り殺してもおつりがくるぐらい、この男が不愉快だが、そうするわけにもいくまい。エミリの立場もあるし、このまま殺してしまったら諸々のことが闇に葬られることになる。ここで一条を生かすことは、研究所に対して、一つ貸しぐらいになるはずだ。 必死に自分に言い聞かせる。そうでもないと、本当に殺しかねない。 「エミリ」 「はい」 背を向けたまま声をかけると、意外にもしっかりした声でエミリは返事をした。 「あと、頼んでいいか」 「はい。それがわたしの仕事ですので」 深呼吸して、強張った顔を繕ってから振り返る。 泣き顔のマオの肩を支えて、青い顔で、それでもしっかりとエミリが立っていた。 「ありがとう」 「いいえ」 二人のところに近づくと、入れ替わるかのようにエミリが立ち上がった。一条の方に向かって行く。 「マオ」 名前を呼ぶと、マオがすがるように左手を伸ばして来た。その手を掴み、そっと頭を撫でる。 「ごめんな」 怖がらせて。 『ごめんなさいっ』 何故だか謝るマオに、小さく微笑んでみせる。 「帰ろう。一緒に」 その言葉に、マオは小さく頷いた。 |