「ダディ、お願いがあるの」
 隆二との通話を終えると、エミリは足早にリビングに向かった。まだ自宅にいた父親に声をかける。
「どうした?」
「車のナンバーから持ち主を調べて欲しいの」
 言いながらナンバーをメモした紙を差し出す。和広が説明を求めるようにエミリを見る。
「マオさんが行方不明で」
 簡潔にここまでの出来事を説明すると、そうか、と和広は頷いた。
 それからリビングのパソコンの前に移動する。
「やってくれるの?」
「研究所の方針に反しない範囲では、神山さんたちの味方をしようと決めているからね」
 言いながら和広がパソコンを操作する。事後処理を担当している和広ならば、ナンバー照会のデータベースにログインすることもできる。
 和広の操作を、固唾を飲んで見守っていると、
「……駄目だ」
 和広が小さく呟いた。
 パソコンの画面には、赤い字で「error:000」の文字が出ている。
「……エラー?」
 エミリが呟くと、
「調べられない」
 和広が淡々とそう答えた。
「なんでっ。そもそもなんでエラーなの?!」
「エラーナンバー000は、研究所内部の人間情報だ」
「……じゃあ、マオさんをおいかけまわしていたっていうのは、研究所の人間なのっ?」
 そうか、でもそれならば、霊体に戻ったあとも姿が見えないことも説明がつく。研究所の人間ならば、見ることも触ることも出来る道具を持っているだろう。
「このエラー解除できないの?」
 できないことはないはずだ。研究所内部の人間の情報だから一応保護しているが、内部の情報が必要になることだってあるはずなのだから。
「できないこともないが」
「だったら」
「でも、できない」
 和広はエミリの目を見ると、しっかりとそう答えた。
「なんでっ」
 父なら引き受けてくれると思っていたのに。
「研究所の規定や意思に反することはできない」
「マオさんが危ないかもしれないのに?」
「それとこれとは話が別だ」
 そして、あろうことか和広は溜息をついた。呆れたように。
「わきまえなさい、恵美理。我々は、組織なのだから」
 冷静に吐かれた言葉に、頭を殴られたような気がした。目の前が真っ暗になる。
 今、この人はなんと言った?
 絶対に、父ならば助けてくれると思った。信じていた。だって、エミリが知っている和広は、いつだって隆二達の側に立って、彼らを守っていたから。今回だって、多少目をつぶって調べてくれると、何故だか信じていた。その彼が、こんな風に組織だから、なんて言うなんて。
「……恵美理、神山さん達に気を使うようになったのはいいが、勘違いしてはいけない。我々は研究所あってのものなのだから」
 研究所内部の人間がマオを連れ去ったかもしれないのに、研究所内部の人間だからわたしは真実にたどり着けない?
 今頃きっと、隆二はエミリからの連絡を待っているのに。
 ぐっと唇を噛むと、リビングを後にする。
「恵美理」
 我が侭な子どもをなだめるような父親の声がする。
 自分の部屋に戻ると、ベッドの下から手提げ金庫を取り出した。派遣執行官には一人一つ配給されているもの。本当はこんな風に使うものではないけれども、背に腹は代えられない。
 それを握るとリビングに戻る。和広は同じようにパソコンの前に座っていたが、エミリが持っているものを見ると、小さく眉をあげた。
 エミリはそれを、銃を、和広の頭に突きつけた。
「調べて」
 和広はそれをちらりと見ると、
「そんなことをしても無駄だよ、恵美理」
 子どものいたずらをたしなめるような口調で言われた。
 温度差を感じる。父親と、自分との間に。こんなこと、初めてだ。
「お前に引き金を引けないことはわかっている。人間を撃ったことなど、ないだろう」
 確かにそうだ。今までに人間を撃ったことはないし、ましてや父親だ。自他ともに認めるファザコンの自分に、そんなことができるわけがない。
 ならば。
「これなら?」
 銃口を自分のこめかみに押しあてた。
「……なんのつもりだい?」
 ほんの少し和広の顔色が変わる。しめたものだ。
 ためらうことなく引き金に指を引っかける。
「恵美理っ」
 和広が父親の顔をして、椅子から腰を浮かせた。
 それに少しだけ安心する。たった二人の家族だもの。その絆が研究所の規定なんていうものの前に負けていなくてよかった。ここで和広が顔色を変えなかったら。そんなこと考えるだけで、娘としてのエミリは辛いし悲しい。
「勘違いしないで」
 そんな父親に、エミリは小さく笑ってみせる。
「自分の命を人質にとっているんじゃない。娘の命が人質にとられているのだから、しぶしぶ調べても仕方ない、という口実をダディに与えているの」
 破天荒な娘を持って大変だ、と所内は元々和広に同情的だ。そこをつけば、上手く立ち回れる。そう判断した。
 和広の研究所内での立場を危うくすることはないはずだ。
 和広はしばらく、中腰のままエミリをみていたが、
「……わかった」
 うんざりしたように溜息をつくと、椅子に座り直した。
「……お前は本当、おばあちゃん似だな」
 パソコンを操作しながら、和広が小さく呟いた言葉に、思わず少し笑った。