しかし、探すと言っても全く当てがない。
 そのことに舌打ちしながら、隆二はいつも通る道を中心にマオを探しはじめた。
 途中でエミリに電話を入れたが、取り込み中なのか出なかった。折り返し連絡くれるように、留守電を残しておいたが。
 一人で探すには、限度がある。だからといって、何もしないわけにはいかない。
 辺りはすっかり暗くなってしまった。ケータイで時間を確認する。もう二十二時か。
 いつかマオはいなくなる。
 それは、覚悟を決めつつあることだった。
 それでも、今すぐではないと思っていた。遠い未来のことだと思っていた。
 でも、今すぐではない、と思っていたのは、結局目をそらしていたということなのだ。と、気づいたときには遅かった。
 いつもそうだ。いつも気づかない。いつも最善を見逃す。
 茜のことも、京介のことも、この間のGナンバーのことも。いつもそうだ。
 だからって、今諦めるわけにはいかない。
 マオに一人での外出を禁じた、本当の理由を言わなかったのは自分だ。言っておけば、マオだってこっそり出かけたりしなかったかもしれない。言わなかったのは自分の過失だ。だからこんなことになった。だから、結果の発生は阻止しなければ。
 まだ、覚悟はできていない。
 だから、まだ、一人にはなれない。
 だから、一緒に帰ろう。


 ぜぇぜぇと、自分の呼吸が乱れているのがわかる。それでも足を止めることはできない。
 ビルとビルの間の細い隙間。そこに目をつけると、マオはするりと身を滑り込ませた。 ぎりぎりなんとか入り込めた。胸がないとか悩んだりもしたけれども、今は感謝だ。
 横歩きで奥に進み、ビルの影にしゃがみこむ。
 男が走って行くのが見えた。
 ふーっと一息つく。
 駅ビルから出た後、途中までは順調に帰れていたのに、安心しきったところであの男はまた現れた。
「花音!」
 なんて叫びながら追いかけてくる。
 本当、いい加減にして欲しい。きっと、なんか変な人なのだ。
 今、何時ぐらいだろう。辺りはすっかり暗い。あちらこちらのお店のシャッターも閉まっている。
 隆二、心配しているだろうな。
 胸元に手を伸ばし、ペンダントに触れる。
 そうすると、少しだけ安心できた。
 明日の午前九時には実体化がとける。
 それならばいっそ、ここに隠れて実体化がとけるまで待っていようか。幽霊に戻ってしまえば、あの男に追いかけ回されることもないだろう。明日の午前九時まで、何時間あるんだか知らないけれども。
 ゆっくり奥に進むと、少し広いスペースがあった。ビルとビルに囲まれた場所。
 そこまで行こうと、横歩きを継続していると、
「いったっ」
 置いてあった木の板、その破片で右腕を引っ掻いた。
「ああもう」
 血が出て来た。痛い。
 痛いのには慣れていない。ずっと感じたことがない感情だったから。幽霊のときは、痛いとか熱いとか寒いとかそんなこと、関係なかった。痛いのは、実体化しているときだけだ。
 そこまで考えて、嫌なことを思いついた。
「あたし、酷い怪我したら、どうなっちゃうんだろう」
 今の今まで考えたことがなかった。人間と同じように、身の危険が生じるんだろうか。ああ、だから、だから隆二はあんなにも気を使ってくれていたのか。全然気がつかなかった。だから、一人で出かけるなと言っていたのか。こんなことになるから。
 視界がぼやける。
 ビルの影に座り込む。膝を抱える。
 実体化がとけるまでここにいよう。あとどれぐらいの時間があるのかわからないし、それまで隆二に心配をかけることになってしまうけれども、ヘタに動き回ってあの男に見つかるよりもずっといい。
 一人にしないと誓った。約束した。
 だから、帰らなくちゃ。なんとしてでも、彼のところに。
 一人じゃないから大丈夫だと、約束したのは自分なのだから。だから、帰らなくっちゃ。絶対に。


 隆二は、一度試しに家に戻って来た。入れ違いになっている可能性も考慮して。けれども、やはりそこにマオの姿はなかった。
 舌打ちすると、マオのケータイをテーブルの上に置く。戻って来たら連絡しろ、のメッセージをつけて。
 それから、ブレスレットの袋も隣に置いた。マオから直接渡されるまで、これは自分のものじゃない。
 時計を見る。夜中の三時だ。
 ここまで本当に姿が見えないなんて、本当になにかあったんじゃないか。もう、戻って来ないんじゃないか。
 考えると、心臓がぞっと凍える。
 と、ポケットにいれたケータイが震えた。
 慌てて取り出す。着信表示は、進藤エミリだった。
「もしもし。夜分にすみません。今、留守電聞きました。今日は珍しく、ずっと外だったので」
 眠気を噛み殺したような声。
「どうしました?」
「マオが帰って来ないんだ」
 告げると、電話の向こうの空気が変わった。
「いつから?」
 返ってきた声は、張りつめていた。
「夕方から」
 言いながら、ここまでの出来事を説明する。
「……わかりました」
 返事をしたエミリには、もう眠気は感じられなかった。
「わたしもすぐにそちらに……」
「いや、それは大丈夫」
 エミリがここに来るまでには、また時間がかかってしまう。研究所とは距離が離れているし、もう電車もない時間だ。それにあんな赤服に夜間出歩かれたら、また別のトラブルを引き起こしてしまうだろう。
 それよりも、
「調べて欲しいことがある」
「はい」
 それを告げるには、勇気が必要だった。一拍おいてから、早口で。
「夕方から今まで、うちの辺りで起きた事件事故、調べてくれないか」
 電話の向こうで、エミリが息を呑んだのがわかった。
「神山、さん。それは……」
「そうじゃなければいいと思ってる。だけど」
 なんらかの事件事故に巻き込まれたんじゃないか。そして怪我なりなんなりして病院に搬送されて、連絡先がわからず隆二のところに連絡が来ない。その可能性だって十分考えられる。
「可能性を否定して、見逃すなんてことの方が、あってはならないだろ」
 怪我をしているのならばはやく会いにいってやりたいし、最悪なことがあるのだとしてもはやく傍に行きたい。このまま見逃してひとりぼっちにさせてしまうことが、一番あってはならないことだ。
 絞り出すように発した言葉に、エミリは少し躊躇ってから、
「わかりました」
 力強い声で返事した。
「なにかわかったらすぐに連絡します」
「すまない、夜遅くに」
「いつものことですよ」
「頼む」
「はい」
 通話を終える。
 何もないのが一番いい。だけれども、何もないままここまで連絡がないわけがないのだ。何かあったことは、否定できない。
 もう一度マオを探すために部屋を出た。
 覚悟はしている。だけど、希望は捨てない。次にこの部屋に入るときは、二人一緒に、だ。