その日は、朝からマオが目に見えてそわそわしていた。 目の前をうろうろうろうろ行ったり来たりする居候猫を見ながら、隆二は一言。 「おすわり」 「犬じゃないよ!」 すぐに怒ったような言葉が返って来た。 「とりあえず、座れ」 ソファーの隣を軽く叩くと、大人しくマオは隣に座った。 「どうした」 尋ねる。今日は、実体化がとける日だ。なにかやり残したことでもあるのだろうか。 実体化は、食事をとった日の翌日から、十四日後の午前九時にとける。食事が何時であっても午前九時に。あと三十分ほどで、霊体に戻ることになる。 「んー」 マオは片手にもったケータイと玄関のドアを何度か見比べながら、 「あのね、エミリさんがぁ」 「嬢ちゃん?」 問い返したところで、ぴんぽーんっと玄関のチャイムがなった。 「きた!」 ぴょんっと立ち上がると、マオが小走りで玄関に向かう。 「走らない! あと確認してからあける」 注意を促すと、一応覗き穴から外を確認してから、ドアをあけていた。 「こんにちは。すみません、ぎりぎりでしたね」 「こんにちは! いらっしゃい」 確かに入って来たのはエミリだった。 「どうした、嬢ちゃん」 ソファーに座ったまま声をかける。 「エミリです。マオさんに用がありまして」 そうしてエミリは、どうぞ、と片手に持っていた紙袋をマオに渡した。 「いい?」 「はい」 マオがそれをあけて、中身を取り出す。 「わぁぁ」 そうして嬉しそうに声をあげた。 マオが取り出したのは、薄いピンクの箱だった。 「かわいい! 魔法っぽい!」 プラスチック製のチープなつくり。蓋の部分には、金色で何か模様がついていた。よくみたら何かの花の形になっているようだ。ひまわり……? マオがそれを開ける。中はオルゴールになっていたようで、開けるとチープな音楽が途切れ切れ聞こえた。真ん中の部分は、蓋と同じような金色の模様に囲われ、ついでになんだか光っている。 「なにぶん、古いものなので、音質はあんまりよくないのですが」 エミリが申し訳なさそうな顔をするが、箱に夢中なマオは聞いちゃいなかった。 「ここが、小物入れ?」 「はい」 マオが指差したのは、赤いフェルトが敷いてあり、他の部分とは区切られた場所だった。 マオは軽く頷き、つけていたペンダントを外すと、その部分にそっと置いた。 ぱたん、と蓋を閉めると、 「うん」 なんだか満足そうに大きく頷いた。 「お気に召しましたか?」 「とっても! ありがとう」 満面の笑顔で嬉しそうに言うと、エミリも小さく微笑んだ。 「あー、悪い、説明してもらってもいいか」 置いてきぼりになった隆二が声をかけると、 「もらったの!」 嬉しそうにそのピンクの箱を胸に抱きながら、マオが言った。それは大体わかったんだが。 「わたしが説明しますから、マオさんはそろそろ準備なさった方がいいのでは」 時計をちらりと見てエミリが言う 「あ、本当だ」 あと九時まで、十分ほどしかない。 「それじゃあ、エミリさん」 「ええ」 マオはぺこっと軽くエミリに頭をさげてから、大切そうに箱を抱いて、ベッドのある部屋に消えて行った。襖が閉まる。 何度か実体化を経験して、元に戻るときのルールもできていた。 霊体に戻る時には、いつものワンピースに着替えること。何を着ていても、霊体に戻ったときは、あのワンピース姿になる。ただ、その場合、元々着ていた洋服は、中身を失い床に落ちることになる。そうすると、隆二が片付けることになる。それが面倒なので、予め洋服を着替えておくことになった。 それから、他の洋服や散らかしていた小物達もきちんと片付けておくこと。無くしたら困るものは、自分できちんとしまっておくこと。触れなくなってから隆二に片付けを頼んで、それで壊しただのなんだの言われては、隆二もたまったものじゃないからだ。 今頃、部屋を片付けて、着替えているころだろう。 「えっと、それで?」 とりあえず座れば? と片手でダイニングの椅子を勧めながら、エミリに尋ねる。 「昨日、マオさんからメールがありまして。神山さんにとっても素敵なペンダントをプレゼントされたのに」 とっても素敵なペンダントを嫌に強調して言われて、むず痒くなる。わざわざそんなことメールしたのか。 「しまう場所がない。箱かなにかにいれておこうにも、いいものが家になかった。なにかないか、というものでした」 「それで、あれ?」 「はい」 ピンクなプラスチック製の少しチープなオルゴール。 「おもちゃっぽかったけど」 「おもちゃなんですよ」 そこでエミリが小さく微笑んだ。 「わたしが子どものころにやっていたアニメのおもちゃです。魔法のひまわりリーガルユカナっていうんですけれども。魔法の力で女の子が弁護士になる魔女っ子もので、大好きだったんです」 途中ででてくるパワーアップアイテムで、なんて続ける。 「……嬢ちゃんも、そういうアニメ見たりしてたんだな」 あとなんだ、その魔法の力で弁護士になるっていう微妙な設定は。 「エミリです。わたしも、普通の女の子ですから」 普通の概念を一度問いただしたかったが、怒られるに決まっているのでやめておいた。 「それにでてくる魔法のオルゴールなんです。しまい込んであったんですけれども、マオさん、こういうのお好きだろうな、と思って」 「そりゃあ、大好きだろうな、ああいうの」 疑心暗鬼ミチコと通じるなにかがある。 「でもいいのか、そんなものもらって。思い入れとかあるんだろう?」 「思い入れはありますが、今のわたしがおおっぴらに使うわけにもいきませんし。使っていただけるのならば、そちらのほうがいいです。それに、わたし、ああいうおもちゃは、まだまだたくさん持っているんですよ」 一人娘で甘やかされていましたから、と続けた。 「ああ」 苦笑する。 彼女が小さい頃にも何度か会ったことがあるが、確かに見るたびに色々なものを買い与えられていた気がする。 「おっちゃん、元気?」 なかなかに子煩悩な彼女の父親を思い出しながら問うと、 「ええ。おかげさまで。まったく何の問題もありません」 しっかりと頷かれた。 「それはよかった」 少し安心する。彼はまだ、いなくならない。 「しかし、物持ちいいねー」 「父が色々とっておいてくれたので」 そんな会話をしていると、 『りゅーじ』 ひょこんっと壁から顔が生えた。 「おかえり」 片手をあげる。 『ただいま』 霊体に戻ったマオが、するりと壁抜けをして、隆二の隣、ソファーに座った。 『エミリさん、オルゴール、ありがとう!』 「いいえ。気に入っていただけてよかったです」 『うん、大事にするね! 今度、エミリさんにもなにかお礼用意するね!』 「お気遣いなく」 エミリは小さく微笑むと、 「それじゃあ、今日は失礼します」 立ち上がった。 「ああ、悪い。忙しいのに」 研究所からここまで距離がある。マオが霊体に戻る前に来ようと思ったら、結構早くから出て来たんじゃないだろうか。 「いえ」 エミリは軽く首を横にふった。 『エミリさん、ありがとう』 「いいえ。それじゃあ、また」 「ああ、また」 『ばいばーい』 エミリが軽く頭をさげて立ち去るのを、それをマオが大きく手を振って見送った。 エミリを見送り、部屋のドアをしめる。 「よかったな、マオ」 『うん!』 マオが大きく頷いた。 『隆二がくれたペンダントね、本当に気に入ったから、大事にしまっとくものが欲しかったの! エミリさんに相談してよかった! あのオルゴールもすっごく可愛いし、ぴったりだし、本当嬉しい!』 見ているこっちまで思わず微笑んでしまいそうな笑顔でそう言う。 そこまで気に入ってくれるならば、流れとはいえ買って良かったな。そう思った。 『隆二も、本当にありがとね!』 それから、 『ところで、隆二! テレビつけて!』 そのままのテンションで、なんの躊躇いもなく隆二をリモコン代わりに扱った。 「……はいはい」 ほんの少し面倒だが、これから半月はマオの挙動にはらはらすることはない。そう思うと、リモコン代わりになることぐらいなんでもない。 テレビをつけながら、安定の半月を思ってそっと息を吐いた。 |