第一幕 居候猫の現状


「マオー、はやくしろー」
 隆二は、玄関で靴を履くと、部屋の中に呼びかけた。
「待ってー」
 ぱたぱたと軽い足音をたてて出てきたマオは、ピンクと白のジャケット二着を持っていた。
「ねー、どっちだと思う?」
 どっちでもかわんねーよ。
 喉まででかかった言葉を飲み込む。そんなこと言ったら、よりいっそう面倒なことになるのを、経験で知っている。既に何回かなったし。
「ピンク」
「あ、やっぱり?」
 今回は当たりを選んだらしい。マオは満足そうに頷くと、白いジャケットはダイニングの椅子にかけて、ピンクのジャケットに袖を通した。
 これが外れを選ぶと、「えーそうかなー、あたしはこっちがいいと思うんだけどなー」とか言われて無駄な時間を使うのだ。自分の中で決まっているなら、俺に聞くなよ。
「帰ってきたらちゃんと片付けろよ」
 放置された選ばれなかった上着を指差すと、
「わかってるよぉー」
 と頬をふくらませてマオが返事した。
 わかってないだろ。放りっぱなしだろ、お前いつも。
 マオは茶色いパンプスを履くと、同じ色のスカートのひだを軽く直した。上には白いフリルのブラウスを着ている。肩からかけた小さな鞄の中には、何が入っていることやら。
 隆二に命じて玄関に設置させた姿見で、自分の姿をじっと確認すると、
「うん! おまたせ!」
 満足したのか、隆二に顔を向けると笑った。
「じゃあ、行くか」
 玄関をしめると隆二は、マオの右手を掴んで歩き出した。

 マオが実体化してから数ヶ月が過ぎた。
 実体化の原因については、研究班が調べたがなんだかよくわからなかった。色々説明はされたが、専門用語過ぎて隆二がついていけなかったのもある。
「つまり、想定外の行動をしたから、想定外のことが起きたんですよ、きっと」
 と、エミリがあっさりまとめて、隆二もそれに乗っかることにした。大事なのは原因ではないのだ。
 これから、どうなるか、だ。
 あれ以来、二人の生活はがらり、と変わった。
 まず、マオが人の精気を必要としなくなった。厳密にいうと、摂取できなくなった。あの時、隆二の精気、のようななにかを摂取して以来、体の構造が精気のような何かに対応できるように変化してしまったらしい。現在、マオの食事は隆二の精気だ。それしかとれない。
 それが、隆二の限定なのか、不死者であるのならば他の誰かでもいいのか、は不明だが。
 そうして、人の精気よりもエネルギー量があるらしく、月一回の食事で、原則として存在が保持できるようになった。少ない回数ですんでいるので、隆二としては助かっている。
 いや、精気を与えること自体に別段不服はないのだが、唇をあわせるという方法に不服がある。それは食事だとわかっていても、釈然としない。
 そしてこれが一番、大きな違いだ。
 食事の後、二週間、マオは実体化する。
 これは数ヶ月の経験と、研究所の調べによって確定した。月の後半の二週間、マオは実体化する。つまり、月の前半は今までどおりの幽霊状態だ。
 半月ごとに、二人の生活は変化する。月の前半、霊体のときには今までどおりで何の問題もない。
 問題は月の後半だ。実体化したところで、マオはマオだ。中身はあのまま、隆二を振り回す。
 衣服や生活用品については、研究所から研究に協力した謝礼として現金をうけとり、それを使っている。謝礼として現金をうけとることに、抵抗があったが、マオのための衣服等が必要なことには間違いがなく、隆二にさして貯金がないこともまた、事実なのだった。
「受け取っておけばいいんです。利用できるものは利用してください」
 謝礼金を支払うように動いてくれたというエミリが、笑いながらそう言った。それに背中を押された。
 今回の一件では、なにからなにまで彼女に頼っている。
 その謝礼金を使って、マオがいくつか服を買い込んできた。テレビっこの彼女は、幽霊であるころからそれなりに勉強してきたらしい。最初はちぐはぐだったが、今ではヘアスタイルもメイクも、きちんと決まっている。
 テレビがない方の部屋を、今までは本を置く部屋として使っていた。一応貰い物のベッドはあるが使っていなかった。そのベッド周りは、今ではマオの私物であふれかえっている。片付けろって言っているのに、片付けやしない。
 実体化している間は、普通の人としての食事を必要とするため、コンビニで食事を買ったり、簡単なものなら隆二が作ったりしている。
 朝起きて、どの服を着るか毎朝悩んで、出かける時には化粧をして、髪型を整えて、二人で食卓を囲んで。
 なんというか、そう、普通の同居生活をしている。困ったことに。
 それでも、マオはこの生活を楽しんでいるようだから、隆二は何も言わない。そう、決めている。