「マスター、こんにちはー」 茶色い巻き髪をふわふわと揺らしながら、一人の女性が喫茶店に入って来た。 「ここなさん、こんにちは」 喫茶店のマスターがそれに応じる。 ここなと呼ばれた女性はカウンターに腰掛けた。 「ランチセットをお願いします」 「はい。……そういえば、京介くんからは連絡ありましたか?」 マスターが尋ねると、 「ないのー」 と女性がふくれた。 窓際のテーブル席で、エミリはそれを聞いていた。ぎゅっとスカートの裾を握る。 そっと鞄から取り出したプリクラ。そこで神野京介の隣で笑う女性。今、カウンターに座っている彼女。 カップに僅かに残ったコーヒーを飲み干すと、プリクラを再び鞄に押し込んだ。席を立ち上がり、言葉少なに勘定を済ませると、足早に、逃げるようにその場を後にした。 「見慣れない子ー」 エミリが出て行ってから、ここなが呟いた。 「そうですね」 「外国の子かな」 「綺麗な金髪でしたね」 「ねー。……なんであんなに格好が赤いのかはわからないけど」 ここなの言葉にマスターは軽く微笑みながら、テーブルを片付けるためにカウンターの外に出る。 「……おや」 エミリが座っていたテーブル。その下に、見慣れない紙袋がある。 「ん? 忘れ物?」 それを見ていたここなも、席を立ち上がり、そちらに近づく。 「そのようですね」 言いながらマスターは紙袋を開き、言葉を失った。 「どうしましたー?」 軽い口調でいいながら、ここなもそれを横から覗き込み、 「え」 小さく呟いて言葉を失った。 なんでもない紙袋の中に入っていたのは、大量の札束だった。身代金の受け渡しでもできそうな。 「ちょっ、えっと。とりあえず、さっきの子探して来るっ!」 慌てたようすでここなは言い放ち、ヒールを鳴らしながら店を出て行く。 「ここなさんっ」 マスターが名前を呼んだ時には、もう扉は閉められていた。 「……警察に届けないといけませんね」 マスターは困ったように呟く。一応金庫にしまっておこう。そう思ったとき、紙袋の中に入っている一枚の紙に気づいた。 そっとそれを持ち上げる。連絡先でも書いていないかと思って。 けれども、そこに書いてあったのは、ごめんなさい、の一言だった。小さな丸い字で一言だけ。書いてあったのは一言だけだった。 「……ああ」 喉の奥から、声が漏れる。 ごめんなさいの横に貼られていたのは、常連の彼女と、その恋人のプリクラだった。 「京介くん」 少しだけこの店でアルバイトしていた青年。久しぶりに見るその姿に、小さく名前を呼ぶ。これは一体、どういうことですか。 「マスター、駄目だったー。見つからないー」 ドアが開き、ここなの声がする。慌ててマスターは、その紙をエプロンのポケットに滑り込ませた。 「あんなに目立つのにー」 「そうですか」 「とりあえず、それ、交番?」 「そうですね」 走り疲れたように椅子に座り込むここなに、マスターはいつもと同じ微笑みを向けた。 「持ち主が現れなかったから、ここなさん、もらったらいかがですか?」 「それならマスター、半分にしようよ。山分け」 言ってここながくすくすと笑う。 「ランチセット、もうちょっと待っててくださいね。先に交番に電話します」 「はーい」 ここなは明るく返事をし、鞄からケータイを取り出した。 マスターは店の電話にむかいながら、ポケットにそっと触れた。 これは彼女には見せられない。見せない。だから、京介くん。ちゃんとここに、帰って来てくださいね。 ここなはケータイをひっくりかえし、電池蓋を見る。そこに写るのは自分と、京介。二人の間に押された大仏のスタンプを指で軽くたたくと、 「連絡ぐらい寄越しなさいよ、ばーか」 小声でぼやいた。 End. |