公園の入り口にある花壇に、マオは腰掛けていた。足をぶらぶらと揺らしている見慣れた姿。それをみると、隆二は軽く息を吐いた。強張っていた気持ちも、一緒に少し逃がす。 『隆二』 それで気づいたのか。マオが振り返ると、微笑んだ。 『お話、終わったの?』 いつもと同じように、なんでもないように尋ねてくる。 「……ああ」 『そう、じゃあ帰りましょう』 そうしてマオは片手を伸ばしてきた。立ち上がらせて、とでも言うように。 何も考えずにその手を握ろうとして、 「っ」 赤い。血で。自分の手が赤く染まっている、血で汚れている、そんな気がした。そんな風に見えた。 京介から血が流れたりしていないのに。 その手でマオの白い手に触ることが怖くて、慌ててひきかけた手を、 『隆二』 マオの方から掴んで来た。 咄嗟に振り払おうとするのを、思ったよりも力強い手が許さない。 『同じだよ』 かわりにぐっと手を引っ張られた。思わぬ事態に体勢を崩す。片膝をつく。反対側の手をマオが座る花壇についてバランスをとる。 緑の瞳が、近い場所から隆二を見つめた。 『あたしも同罪だよ。あたし、京介さんが何をするつもりなのか知ってた。知ってて、隆二には言わなかったし、京介さんをとめなかった。あたしも同罪だよ』 「だけど」 手をくだしたのは、自分だ。マオじゃない。 『ずっと言ってるじゃない。同じ穴の狢でしょう?』 と、いつもと同じように笑う。なんでもないことのように。 それを見ていたら、耐えられなくなった。泣く、と思った。 ぐぃっとその腕をひっぱり、頭を腕の中に抱え込む。抱きしめる。 「なんでだよっ……」 吐き出した声が震えていた。 背中にそっとマオの腕が回される。 「なんだよ、あいつ。なんなんだよ」 思いが明確に言語化されない。なんで、どうして、それだけが口をついてでる。 なんでこんなことになったんだ。どうしてこんなことになったんだ。なんで俺はあんなことをしたんだ。どうして京介はこんなことを選択したんだ。なんで他の選択肢を選べなかったんだ。 どうして俺を、あいつは、置いていったんだ。 「ずっと。ずっと一緒だと思ってたんだ。滅多に会ったりしないけど、会わないようにしてたけど。それでも、ずっと一緒に居られると思っていたんだっ」 なんで、あいつにまで置いて行かれなきゃいけないんだ。 「寂しいとか、疲れたとか、抱え込む前に言えよ、バカっ」 言われて自分に何が出来たかはわからない。言いたくなかった京介の気持ちだってわかる。だけれども、もっと他の選択肢があったはずじゃないか。 「消えたら後悔だって出来ないのにっ」 声が完全に上擦った。ああもう、泣いていることがマオにばれただろう。 とんとんっと、優しく背中を叩かれた。宥めるように。 『京介さんね』 そのままマオが喋りだす。いつもよりも柔らかい声色。 『よかったって、あたしに言ってたの。もう一度心から人を愛せて。まだ、人を愛せると知ることが出来て。それから』 そこでマオは一瞬躊躇うような間をおいて、 『気にかかっていたこと、間違っていなかったってわかって。あの時、隆二をとめなかったことは、間違っていなかったってわかったからよかった、って』 「……あのとき?」 『茜さんのこと』 マオの口からでた、茜の名前に思わず体が強張った。それに気づいたのか、マオの手がさっきよりも強く、一度、隆二の背中を叩いた。しっかりしてよね、とでも言いたげに。 『ずっと気にしてたんだって。隆二が茜さんと一緒に居るのをみたとき、もっとちゃんと諦めろってとめるべきじゃなかったのかって』 「ああ……」 気にかけてくれていたことは知っている。 『真剣にとめられなかったのはね、隆二があまりにも優しく笑ったからなんだって。京介さんはもう、ずっと、そんな風に笑ったことなかったのに、隆二が優しく笑うから、期待したんだって。隆二と茜さんには奇跡が起きて、今後も人間として暮らしていけるんじゃないか、って』 俺はお前が羨ましいよ。京介の声が蘇る。 『そんなことを期待してしまって、とめる手が鈍ってしまったと後悔していたんだって、ずっと。そのあと会った隆二が、あまりにも悲しそうな顔をしていたから。俺がちゃんととめてればって思ったって。だけど、とめなかったことも、間違ってなかったって気づけたって。別れの時に傷つくことを差し引いても、人を愛することは幸せなことだと、思い出せたからって』 写真にうつっていた、強張った笑顔をした京介。だけれども、どこか幸せそうに見えた。 『それからね、茜さんが待っていたこと。それも救いになったって。隆二と茜さんとの間の絆が切れていなかったこと、ある種の奇跡のようだと思ったって。気にかかっていること、間違っていなかったと気づけてよかったって』 よかったんだって、とマオはもう一度続けた。 「そうか……。あいつが、納得しているのなら、いいんだが」 だけど京介。できればそれは、お前自身の口から聞きたかった。こんな風に、完全にお前がいなくなって、他人から聞きたい言葉ではなかった。 「そうか……」 喉元に涙の塊が押し寄せてきて、堪える代わりにぐっとマオの頭を抱え込んだ。マオは何も言わずに、されるがままになっていてくれた。 「幸せだったら、いいんだ」 吐き出した言葉は、殆ど負け惜しみのようなものだった。だけれども、唯一見つけた救いに縋り付きたかったのだ。 『うん』 マオの手がそっと背中をさすってくれる。 『隆二』 優しい声で名前を呼ばれる。 『あたしは、絶対に貴方を一人になんてしない。置いて行ったりしない。絶対に』 優しい声で、それでも力強くマオが言った。 『京介さんとも、約束したから』 「……ああ」 腕の力を少し緩めて、マオの耳元に顔を近づける。大きな声じゃ恥ずかしくて言えないから。小さな声でも届くように。 「頼むよ。……絶対にいなくならないでくれ」 例え俺が逃げようとしても、追いかけてきて欲しい。我が侭だと、わかっているけれども。 『……うん』 急に耳元で囁かれた声に、言葉に、戸惑ったような間を置いて、マオは頷いた。 『隆二にはあたしがいるから大丈夫だよ』 いつもの底抜けの明るさに、少しの優しさを加えてマオが言った。そのままぎゅっと隆二の背中に回した腕に力をこめる。 「……ありがとう」 耳元で礼を言ったあと、そのままマオの肩に額をのせた。 「……ごめん、もうちょっとだけ」 掠れた声で告げたお願いに、マオは返事をしなかった。代わりに片手で隆二の頭を撫でる。 相変わらずゴム手袋を何枚も重ねたような、遠い感触しかしない。それでも、今日はその手がとてもあたたかく感じられた。そう思った瞬間、また泣きそうになる。 ぐっと唇を噛んで、耐えた。 どれぐらいそうして居ただろうか。 『隆二』 マオが小さく名前を呼ぶ。 「ああ」 それをきっかけに隆二も顔をあげた。マオの方を向く前に、ぐっと腕で目元を拭った。 「……悪かったな。色々、付き合わせて」 そういうとマオは小さく首を横にふった。 マオから離れて立ち上がる。 マオは花壇に座ったまま、先ほどと同じように片手を伸ばしてきた。 『帰りましょう? 帰ってソファーに座って、二人でテレビでも見ましょう』 そう言って、いつもと同じ顔で笑う。 「ああ」 隆二は軽く頷くと、今度は迷うこと無くその手をつかんだ。 |