「それで、その話が今回のこととどう関係があるんだよ」 約束の内容はわかったが、それがマオを誘拐する理由には繋がらない。 「だから言っただろ。俺は約束を破りに来たんだ。俺はココのところには戻らない」 そうして京介は立ち上がると、ブランコの脇に無造作置かれていたトートバッグをとりあげた。それをそのまま、隆二に向かって投げた。 受け取る。 「なんだよ」 顎で促されて、ぼやきながらその中身を見て、隆二は言葉を失った。それには見覚えがあった。嫌という程。見た目は小型の剣。でも、それがただの剣じゃないことを知っている。 「……京介」 かろうじて名前を絞りだすと、 「そ、俺がパクってきたエクスカリバー」 なんでもないように答えられた。 「おまえっ、なんでっ」 なんでこれを今、このタイミングでこっちに向かって渡すのだ。 「察しが悪いな、隆二」 京介は呆れたように笑い、 「それを使ってくれ、って言ってるの。俺に向けて」 なんでもないことのように言った。 言われたことを理解するには、少しの時間を要した。 「ふざけんなっ」 言われた意味を理解した隆二は、反射的に怒鳴った。 「おまえっ、何を考えてっ」 「実験体が勝手に消滅しないように、自己使用が出来ないようセーフティかかってるのは知ってるだろう? それは誰かに使ってもらわなきゃならない」 「そんなことは知ってる! そんな話をしているんじゃないっ!」 「俺はココのところには戻らない。戻れない。あいつを死なせるわけにはいかない」 「だからってっ」 「このままいたら、いつか俺はまた、ココに会いたくなってしまう。だけど、俺はココを死なせたくない。ココに会いにいったら、約束叶えなきゃいけないだろ」 「そんなもん、適当にお前自身でどうにかしろよっ。それこそ、そこで約束破ればいいだろうがっ」 「どうにか出来る自信がないから頼んでるんだろうが。俺はもう、俺がココを傷つけるのは耐えられない。これ以上約束を破ったら、ココにどう思われるか」 「ふざけんなよっ」 どんなに怒鳴っても揺らがない瞳に腹がたつ。 相手を死なせたくないから、自分が消えるというのか? それを、隆二に手を下せと? 「じゃあ、最初からそのつもりでここに来たのか?」 「そうだよ」 当たり前のように京介は答えた。なに今更そんなこと訊いてくるんだ、とでも言いたげな口調だった。 「なんだよ、それっ。……じゃあ、あのときのはなんだったんだよ!」 「……あのとき?」 怪訝そうな顔をする。 「マオに一緒にいようとか誘ったって言う、アレはっ」 そうだ。もう隆二のところには居られないと泣くマオに対して、自分と一緒に居ればいいと言ったじゃないか。あれはどういうつもりだったんだ。最初から消えるつもりだったのに、マオと一緒にいるなんて、出来ないことを約束するつもりだったのか。 「ええっ、それまだ気にしてたの?」 予想外の事を言われたとでも言いたげに、京介が目を見開く。 「ああ、っていうか、そんだけマオちゃんのことが心配なのか。じゃあ、言ってあげなよ。喜ぶよ、マオちゃん」 「おちょくるなっ」 「もー、本当、相変わらずカルシウム足りないね、お前は。あれは、あのときは本気だったよ。本気でお前から盗ってやろうと思った。そのためなら延命だって厭わなかったね」 そこで京介は、笑顔を歪めた。 「だって、ずるいんだよお前だけ。マオちゃんといい、茜ちゃんといい。人間として生きることを放棄したお前に、なんで皆集まるんだよ」 「……京介?」 「俺はずっと、お前が羨ましかったよ。本当に」 歪んだ笑顔に見つめられて、隆二は言葉が返せなくなる。 しばらく隆二の顔を見つめた後、京介はふっと空気が抜けるように笑った。 「そんな顔すんなよ。俺が怖がらせてるみたいじゃん」 「……間違ってないだろ、あながち」 おどけたような言い方に、隆二もそっと息を吐く。強張った空気を逃がす。 「羨ましいのは本当だよ。本当はわかってるんだ。誰よりも不死者であることを受け入れられていないのは、俺だ。お前じゃなくて」 女々しいんだよ、俺、と笑う。 「受け入れられていないから、人間のフリして生きている。それが結局、俺を偽物の人間として世の中に縛り付けている。結果として俺は自分が化け物だということを誰にも言えず、理解者を得ることができない。お前にとっての、茜ちゃんやマオちゃんのような」 だから盗ってやろうと思ったのさ、となんでもないような口調で続ける。 「お前からマオちゃんを。まあ、マオちゃんに拒否られたけどね。心底羨ましかったんだ。同じ時間軸を生きられる、理解者がいるお前が」 そこで一度言葉を切り、 「くだらない仮定の話だ。笑うなよ?」 念をおしてから続ける。 「もしも、もしもだ。マオちゃんと先に出会ったのが俺だったら、お前の場所にいるのが俺だったら、そしたら俺はマオちゃんの為に残りの永遠を使ったのにな」 それから小さく肩を竦めて続ける。 「俺の方がお前よりも、よっぽどマメで、優しくて、話も合うし、マオちゃんのパートナーとしては申し分ないと思うんだけどなぁ」 おどけたように言われた言葉は、それでも真実だと隆二は思った。外でもちゃんと話相手になってあげて、テレビの話にもつきあってあげて、京介の方がよっぽどマオにとっていい生活を与えるだろう。 それには納得した。 「……おい、黙るなよ。冗談だろうが」 隆二の沈黙をどう解釈したのか、京介が呟く。 「そのとおりだなぁって思ってただけだ」 「そのとおりだなぁってお前な! お前はいつもそうやって」 「だけど」 こんなときでも始まりそうな京介の小言を遮る。 「だけど、マオと一緒にいるのは俺で、マオが選んだのは俺だ」 ぶっきらぼうで、気が向いたときにしか構わないし、外では絶対会話しないし、からかって遊んでばかりいる。それでも、マオは優しい京介ではなく、そんな自分を選んだ。何がいいのか知らないが。 ならば、まあ、せめて、それに応えるぐらいはしないと。 隆二がまっすぐ京介を見ながら答えると、京介は少しうろたえたような顔をした。 「お、おおう。なんだ、わかってるじゃないか」 隆二があまりにまっすぐ答えたことが意外だったようだ。 「じゃあ、それ、マオちゃんに言ってやれよ」 「それとこれとは話が別だ。絶対に言わない」 心配しているとか言えば、どうせ調子に乗るに決まっているのだ。それはそれでうざい。 「あっそ。でもまあ、そうか。わかってるならいいんだ」 京介はどこか寂しげに微笑みながら、 「俺がお前に頼もうと、決心できたのはマオちゃんの存在があったからなんだ。マオちゃんがいるから、お前はもう一人じゃないって思ったから」 本筋に戻った話に、少し身構える。そうだ、こいつは今、むちゃくちゃなお願いをしている最中だった。 「マオちゃんなら大丈夫だろうなって思ったんだ。あの子は、何があってもお前から離れないから。なあ、マオちゃんと茜ちゃんは違うっていう意味、わかるか?」 種族の違いというのは、ベストアンサーではないのだろう。だから隆二は黙っていた。 答えない隆二に呆れたように京介は笑い、 「マオちゃんは絶対にお前を一人にしないってことだよ。もしも、お前がマオちゃんから離れることを決意しても、マオちゃんは絶対にそれを許さないだろう。お前が前みたいに、一時の感情の迷いで離れそうになっても、マオちゃんは決してお前を一人にしないだろうから。茜ちゃんみたいに、物わかりよく、離れたりしないから」 「……ああ」 溜息のように言葉が漏れる。 ああ、そういうことか。その答えには納得出来た。 マオは絶対に隆二から離れないだろう。隆二の方が逃げても、彼女はきっと追ってくる。拾った猫の世話は最後まで見なさいよ! とかなんとかいいながら。 「幽霊だからっていうんじゃない。マオちゃんだから。マオちゃんが茜ちゃんの性格だったら、俺はやっぱり、あの時と同じように心配したと思うよ。だけど、あの子はいつだって、お前のことを考えてる。憎らしいぐらい」 「そうだな」 「それにさ、この際だから言っておくけど。なぁ、お前だって本当はわかってるんだろう? マオちゃんが幽霊だからって、一概には安心出来ないんだよ。居なくならないって。本当の意味での永遠なんてないんだよ。なぁ」 そして隆二が手に握ったままのエクスカリバーを指差し、 「それが俺の永遠も、お前の永遠も、マオちゃんの永遠も終わらせること、わかってるだろう? 理解してろよ、意識してろよ。目を逸らすなよ。ちゃんと考えてないとお前、後悔するぞ」 京介の言葉に返事は出来なかった。考えなかったわけではない。ここに来るまでに最悪のことを。マオが居なくなることを。永遠なんてないのだということを、再確認したことを、思い出したくなかった。 「しっかりしろよ。マオちゃんにはお前しかいないんだから」 そして、畳み掛けて来るような京介の言葉からも逃げたかった。なんだってそんな、次から次へと色々言うのだろう。これじゃあ、まるで、遺言みたいじゃないか。 「わかってるよ」 自分の考えに不安になって、京介の言葉を強引に終わらせた。 京介はどうだか、とでも言いたげに肩をすくめたが、それ以上は何も言わなかった。代わりに、 「なあ、頼むよ」 お願いを続けた。 「嫌だ」 それを、首を横に振ることで拒否した。 「なんで俺が」 「お前だからだよ」 そこで京介は、なんだかやわらかく微笑んだ。 「お前だからだ」 「だからなんで」 「お前が一番、俺の気持ちわかってくれるだろうなって思ったからだよ」 言われた言葉に返事が出来ない。ああ、それはきっとそうだろう。英輔よりも、颯太よりも、隆二が一番京介の気持ちがわかる。理解出来る。かつて同じ約束を受けたから。 だけど、だから。 「だから、無理だ」 約束をした相手が、ずっと待っていることを知っているから。 「ココは茜ちゃんとは違うよ。待っていない」 「そりゃあ茜ほどの時間を待つことはないだろうけれども」 言いながら胸の奥が痛む。幽霊になってまで待っていてくれた彼女。 「けど、それでも待つことにはかわりないだろう?」 「……うん、そうだね」 「約束を守れなかった時の気持ちを知っているから、お前の願いはきいてやれない」 「……死んだら約束を破ったことを後悔することもないだろうけど」 「そんな逃げは許さない」 言い切ると京介は困ったなぁ、とぼやいた。 「ここまでお前がごねるとは思わなかったな」 「例えば、例えばだ。他の頼み事なら別だった。それこそこれから先、家に置いてくれとかな。だけど、京介」 言いながら自分の声が震えることに気づいた。ああ、怖いと思っている、今、自分は。 「それだけは、わかった、とは言えないよ。なんだよ、お前」 永遠だと思っていた。ずっとずっと、これから先、永遠に一緒だと。直接顔をあわせることはなくても、この世界のどこかに、同じ永遠を分け合って存在しているのだと、信じていた。それが崩れることなんて、考えてもいなかった。 「お前まで、俺を置いて行くのかよ」 京介も顔を歪めた。なんだか泣きそうに。 「それは、悪かったと思ってるよ」 「だったら」 「でももう疲れたんだよ」 彼はまた、疲れたと口にした。 「俺はお前みたいに、人間から離れて生きられない。今更生き方は変えられない。仮に、ココのところに戻って、心中のお願いもどうにかうやむやにして、そしてココともう一度生活をしたとする。だけどさ、それも、いつか絶対に終わっちゃうじゃないか」 語尾が上擦る。 「もう疲れたんだ。そういうのに怯えるのも。俺は英輔や颯太みたいに割り切れない。永遠を有効活用しようとは思えない。お前みたいにマオちゃんもいない。無理だよ。俺にはもう。疲れたんだ」 疲れた疲れたと言う京介の顔が、光の加減かとてもやつれて見えた。それにぞっとする。取り憑かれている、永遠という名の死神に。 「気持ちは変わらない。俺にはもう無理だ。この永遠を手放したい」 「だけど」 何かを言おうと隆二は口を開き、何を言っていいのかわからなかった。ここまで疲れたという彼を、ここに引き止めようとするのはエゴじゃないだろうか。 永遠を憎み、終わりが来ることを願ったのは自分だって一緒だ。マオに会うまでは、ただ、だらだらと生活しながらはやく終わりが来ないかと、何かの間違いで永遠が途切れないかと、それをどこかで願っていた。消極的か積極的か、それだけの違いだ。 「お前が引き受けてくれないなら、それも仕方ないな、と思う。嫌だよな、同族殺しみたいなの」 京介の口から同族殺しという言葉が、ずんっと肩にのしかかる。そうだ、そんなの、大事な仲間を自分の手で、なんてこと。 「エミリちゃんとか、研究所の人間に頼めばまあ、どうにかしてくれるだろうな、とも思うし。その前にこき使われたり実験台にされたりしそうだけど、まあ、それもいいよ」 だけどさ、と京介は隆二の瞳を捉える。 「それでもやっぱりお前に頼みたいんだよ。縁、っていう意味で。お前だってそう思うだろ?」 一瞬の躊躇いのあと、 「なぁ、――」 呼ばれた本当の名前に、撃たれたような気分になる。 縁、っていう意味で。 ああ、そういう意味なら、そうかもしれない。 「……ああ、そうだな」 そうして隆二も、彼の本当の名前を呼んだ。 「柳司」 それを聞いて神野京介は、かつてリュウジの名を持っていた彼は、優しく微笑んだ。 |