「なら、俺と一緒に居る?」
 真面目な顔で京介に言われて、マオは面食らった。
『へ?』
「隆二と一緒に居られないなら。俺と一緒に居る?」
 言われた言葉をゆっくりと吟味する。
 確かに京介はマオのことが見えて、マオに触れる。隆二と同じだ。それに、隆二より優しいし、隆二と違って外で話しかけても怒らないし、疑心暗鬼ミチコのことも詳しいから話していて楽しい。
 だけど、
『……でも、隆二じゃなきゃ嫌だ』
 いつも冷たくて話しかけてもあんまり構ってくれないし、ましてや外で話しかけると無視するし、すぐにバカにしてくるけど、
『隆二の方がいい』
 違う。
『隆二じゃなきゃ、意味がない』
「……だよね」
 京介は困ったように笑い、マオの頭を軽く撫でた。
「そうかなとは思ったけど」
『ごめんなさい』
 せっかく、優しくしてくれたのに。
「ううん。マオちゃんが隆二のこと好きなのは、知ってるから」
『うん』
 そうだ。マオにとって隆二は特別なのだ。特別に大切な人で、ずっと一緒に居たい。隆二じゃなきゃ駄目だから、一緒に居られないかもしれないことが、こんなにも悲しい。
『……帰りたいな』
 居候猫でいいから、またあの家に置いていて欲しい。
 目を閉じる。感情がぐるぐると回っていて気持ち悪い。さっきみたいな顔をマオに向けてくれなくてもいい。構ってくれなくてもいい。本当はもうちょっと構って欲しいけど。でも、構ってくれなくてもいい。困らせないように頑張る。だから、また、一緒に暮らしたい。
 ぐるぐる回った感情と一緒に、気づいたら眠ってしまっていたらしい。目を開けると、空が見えた。それから、
「おはよ」
 つまらなさそうに呟く隆二の顔。
 よく見たら、膝枕されていた。
『ふぇっ』
 奇声をあげて飛び起きた。


 勢い良く飛び起き、距離をとる居候猫を見て、少し胸が痛んだ。そんな怯えんでも。
『りゅ、りゅ、隆二?』
 声が裏返っている。
『な、なんで。あれ、京介さんは?』
 事態が理解できないとでも言いたげに、きょろきょろ視線をさまよわす。
「帰った」
『え、あ、そうなの?』
「とりあえず、落ち着け」
 言って隣を指さすと、マオは恐る恐る隣に腰掛けた。いつもより、隆二との距離があいている。
『隆二。……あの人は?』
「いったよ」
 できるだけ何事もないように答える。
『え?』
「成仏ってやつ」
『え、だって、一緒に居無くていいの?』
「幽霊は成仏した方が良いだろう」
 言って、マオを見て少しだけ笑う。
「お前は違うけど。マオは、俺と同じだろ?」
『……そう、同じ穴の狢なの』
 少しの沈黙のあと、マオがそう呟いた。
「心配しなくても、マオのこと放り出したりしないよ」
 軽く手の甲で頭を叩くと、
『なっ、なんか、京介さんから、聞いたのっ!』
 真っ赤になって慌て出した。ああ、秘密にしておいて欲しいことだったのか。
「いや、別に。心配してんのかなーと思って」
『してないしっ! 別に平気だし!』
 体の横で握りこぶしを作って叫ぶ。叫んでから、
『……ちょっと寂しかっただけだし』
 小声で付け足した。それに少し笑みがこぼれる。
『なんで笑うのっ』
 見咎められた。
「別に」
 言いながら頭を撫でる。マオは小さくなんか言っていたものの、手をふり払ったりしなかった。
「マオ」
『ん?』
「今日は、ついて来てくれてありがとな」
『……ん』
 マオが小さく頷く。
「おかげですっきりした」
『……それはよかった』
 マオの返答は、まだちょっとひねくれたような言い方だったが、顔は少し笑っていたからきっともう平気だろう。拗ねたフリをしているけれども、隠し事の出来ない彼女のことだ。少し笑っているその顔が、今の心境の正解だ。
「……なあ、マオ、一つだけ、聞いてもいいか?」
 撫でていた手を離して尋ねる。
『な、なに。あたし別に泣きわめいたりしてないからねっ』
 聞いてないのにあっさり自白する。ほら、嘘がつけない。
「泣きわめいた?」
 ちょっとからかってみると、
『例えばの話ですっ!』
 怒鳴られた。
 茜に言った、可愛いし見ていて飽きないというのは本当だ。茜も対外感情が顔に出るタイプだったが、その比ではない。感情が顔に駄々漏れで、隆二には予測不可能なことばかりする。マオが来てから、毎日が本当に刺激的で楽しい。
 でも今は、からかって遊んでいる場合じゃない。
「まあ、マオが泣きわめいたかどうかはともかく」
『泣いてないからっ!』
「マオは、俺の過去の名前、気にならないのか?」
 いつか、京介が来た日にした会話を思い出しながら問いかける。
 泣いてないっと怒鳴った顔のまま、次の抗議のため身構えていたマオは、投げかけられた質問が理解出来なかったのか、きょとんっとした顔をした。
『へ?』
「だから、名前。京介が来た時に話しただろう。神山隆二になったきっかけ」
 マオは少し考えるような沈黙の後、
『ならないよぉ?』
 当然のような顔をして笑った。
『だって隆二は隆二だもん。あたしにとって隆二は出会った時から隆二で、今でも隆二だもん』
 それからちょっと眉をひそめて、
『……隆二にとっても、あたしはマオだよね?』
 伺うように尋ねてくる。その意味をしばらく考えて、
「ああ。マオはマオだよ」
 一つ頷いた。G016なんていう番号は知らない。マオはマオだ。きっと、そういうことだろう。
 マオは満足そうに一つ頷き、
『ん! だから隆二も隆二!』
 そう、断言する。
「……うん、ありがとう」
 酷い質問だと、思わなくもない。ここに京介がいたら、罵倒されたことだろう。だけど、これからもマオといるためには必要な質問だと思った。マオと一緒にいても、茜との約束を破らないと、今度こそ破らないという確信が欲しかった。
『あたしは隆二と居られればそれでいいの』
 機嫌を直したのか、自分の中でなにか折り合いをつけたのか、マオはいつもより少し広くとっていた距離をつめ、隆二に抱きついた。
 それを素直に受け止め、隆二はマオに笑いかけた。
「帰ろう、うちに」
 茜への罪の意識が完全になくなったとは言えない。でも軽くなった今なら、以前よりも素直に帰ろうと言える。今なら、マオとちゃんと向き合える。マオと二人の暮らしを、ちゃんと考えていける。
「そうしてまた、あの赤いソファーに座って、二人でだらだらとテレビでも見よう」
 あの赤いソファーは、やっぱり一人には大き過ぎるから。
 マオはぱぁっと満面の笑みを浮かべると、
『うんっ』
 大きく頷いた。


End.