久方ぶりに降り立った駅前は、当時の面影を残しているような、全然違うような、不思議な印象を与えた。露骨な高い建物等はないが、前よりは少し活気づいている気がする。
 駅前にある花屋で、小さな花束を買った。それを見ていた京介が、
「じゃあ、俺はこの辺りで適当に時間潰してるよ」
『あれ、京介さん、一緒に行かないの?』
「うん、遠慮しとく。終わったら適当に探して」
 気をつけてね、と笑って京介は片手を振った。
「……ありがとう」
 ああ、なんだ。変な野次馬根性とか、おせっかいとかじゃなくて、本当に心配して一緒に来てくれたのか。それに気づき、小さく頭を下げた。
「暇だしね」
 京介はのんびりとそう言うと、どこかに向かって歩き出した。
「……じゃあ、行こうか」
 その背中から目を離し、宣言する。気合いを入れる。
『うん』
 まだ背中にくっついたままだったマオが頷いた。

 記憶を頼りに歩いてく。周りにあるものが変わっても、長い時間が経とうとも、ここでの生活は脳内にしっかり焼き付かれている。道はすぐにわかった。
「そういえば、墓の場所、わかんないな」
 記憶の中に寺はあるが、そこかはわからない。もし仮に一条家の方で弔ったのだとしたら、この辺りではないのかもしれない。
『ありゃ、困ったねー。誰かに聞くとか?』
 なんて言って聞けば良いんだよ。不審過ぎるだろ。
「まあ、とりあえず家の辺りまで行って、そこから考えてもいいか」
 大事なのは茜に謝るということ。この土地で、茜に謝るということだから。どこか二人に関係する場所で謝れればそれでも。
 そんなことを思っていると、土手にさしかかる。あの日、初めて茜に出会った場所。
 いくらか整備されて綺麗になっているそこに、目を細める。
『あー、これが噂の土手?』
「ああ」
 マオの言葉に頷き、
「……あ」
 川縁で佇む人影に、視線が固定される。思わず足が止まり、
『りゅーじ?』
 不思議そうなマオが名前を呼ぶ。
『どーしたの?』
 隆二の背中から離れ、マオが顔を覗き込んでくる。
 だけど、人影から視線がそらせない。
 肩より少し長い綺麗な黒髪、線の細いシルエット。見覚えのある柄の、着物。
『んー?』
 マオも隆二の視線を追うように振り返った。
 あれは。あの人影は。まさか、まさか、まさか。
『……幽霊?』
 マオが怪訝そうに呟く。
 人影がこちらに気づいたのか、ゆっくりと振り返る。
「あか、ね?」
 小さく小さく呟く。
 振り返った人影は、一瞬少し驚いたような顔をして、それから柔らかく微笑んだ。そして、
『お帰りなさい、隆二』
 ぱさり、
 手から力が抜け、花束が地面に落ちてばらける。
 気づいたときには駆け出して、駆け寄って、茜の腕をつかんで、抱きしめていた。
「ごめん」
 腕の中にとじこめた、彼女に向かって謝罪する。
「遅くなって、本当に、ごめん。茜、ごめん」
 髪を撫で、腕に力を加えてもなんの感触もしないことに失望する。こんなになるまで待たせてしまった。
『違うでしょ、隆二』
 たしめるように言われる。昔と変わらない声色なのに、耳以外の感覚器官で届く声に泣きそうになる。肉声じゃ、ない。
『ごめん、じゃないでしょう?』
「……待っていてくれて、ありがとう」
 幽霊になってまで、長い間待っていてくれて。
『約束したじゃない』
 茜は少し背伸びして、隆二の耳元で囁いた。
『おかえり』
「ただいま」
 遅くなって、本当に、ごめん。


 その様子を黙ってみていたマオは、くるりと踵を返すと逃げ出した。それは確かに逃げ出したのだ、と自分でわかった。
 彼の想い人は幽霊になってまで彼を待っていた。幽霊になった彼女は、きっとずっと彼の傍にいることが出来る。寿命の問題は解消される。永遠に、一緒にいることが出来る。そして彼女は、自分みたいに厄介な居候じゃない。きっとあの人は、我が侭を言って隆二を困らせることも、人の精気を必要として危険を生じさせることもない。
 隆二のあんな顔、始めてみた。あんな泣きそうで、嬉しそうで、愛おしそうで、とにかくあんな表情は絶対にマオに向けられることはない。あの表情を与えられるのはこの世界でただ一人、彼女だけだ。
『馬鹿隆二』
 足が止まる。ゆっくりと地面に降りるとその場にしゃがみこんだ。
『あたしはもう居られないね』
 あの人がいるならば、自分はあの家には帰れない。自分はもう、居候猫にもなれない。