第六幕 上手の猫は爪を隠す


 エミリは憤慨していた。
 G016に逃げられただけじゃない。
 探していたら、見知らぬ大学生ぐらいの男性に声をかけられた。いつものことだと無視しようとしたら、
「あの、神山って人からの伝言なんですけど」
 その男性はこともあろうか、そう言ったのだ。
 曰く、廃工場に来い、と。
 一体何様のつもりなのか。
 どうせ先回りして何か仕掛けるつもりなのだろう。こっちだってそれぐらいわかる。いつまでもお嬢ちゃん、じゃないのだ。
 荒々しく足音を立てながらエミリは廃工場に向かった。

「G016!!!」
 これ見よがしにシャッターが開けられた廃工場。
 無人のように見える中に向かって、エミリは叫んだ。
「いるんでしょうっ、出て来なさいっ!」
 返事はない。
 気配もない。
 もとより、居るのは不死者と幽霊だ。気配なんて感じられなくて当たり前だ。
 銃を構えたまま、中に入って行く。
 薄暗い。
 ゆっくりと、進む。
 中の物はすべて撤去されたあとらしい。がらん、としている。
 部屋の真ん中まで来た。
「神山隆二っ!」
 吠えるように名前を呼ぶと、
「はいはーい」
 かるーく返事が返って来た。
 声がした方を見る。見上げる。上。
 落下してくる影。
 高い天井に掴まっていたのか、と思った時には遅かった。
 真上から降りて来た隆二に組み敷かれた。
「ぐっ」
「駄目ー」
 銃を持った右手も軽々と捻られる。掌から転がり落ちた銃は、隆二のズボン、尻ポケットに入れられた。
「暴発すればいいのに」
 苦し紛れに呟くと、
「ここで暴発したところで嬢ちゃんの不利に変わりはない」
 隆二が笑った、ような気がした。
 顔が見えない。
「……頭を撃てばしばらくは動けないでしょう、と言ったのは私でしたね」
 フルフェイスのヘルメット。
「どこで手に入れたんですか? 盗品?」
「失礼な。借りたんだよ。知らない人に。未承諾だけど」
「それを盗品というのです」
 吐き捨てるように告げる。
 何度か脱出を試みるが、常人離れした力には勝てない。
 視界に、ふよふよと上空を浮かぶマオの姿。なんでそんなに眉根を寄せているのか。泣きそうな顔をしているのか。泣きたいのは、こちらだ。
「降参、してくんない?」
 隆二の声。
 泣きたいのはこちらだ。でも、泣かない。
「嫌です」
 エミリはきっぱりとそう告げると、少しだけ口角をあげた。
 そして、
「今です!」
 叫んだ。

 ほぼ同時に、隆二はエミリから飛び退く。不穏なものを感じて。
 マオの手を掴むと、そのまま頭を抱え込んだ。
 いくつかの銃声。
 それから衝撃。
 隆二は小さくうめく。
 何か高い音が響く。とても近くから。
 五月蝿いな、なんだこれ。そんなに騒ぐな。
『隆二っ、隆二ぃ!』
「……へーき」
 腕の中、悲鳴のように名前を呼ぶマオの頭を撫でる。
『りゅーじっ』
 マオの頭をすり抜けて、赤い雫が落ちる。
 赤い水たまりが出来る。
 なんだこれ、雨漏り? なんて、一瞬、脳が事態を理解するのを拒否する。
 これまた無様に、喰らったものだ。
『隆二っ』
「だいじょうぶ」
 喋ると同時にこみ上げて来た塊を飲み込む。
「ヘルメットは英断でしたね」
 エミリの言葉に振り返る。
 エミリの後ろ、入り口に立つ三つの人影。
「……増援部隊、ってやつ?」
 かすれた声で尋ねると、エミリは頷いた。
 乾いた笑いが漏れる。
「……やばいなぁ、平和ボケ?」
 エミリはいつも一人で行動しているから忘れていた。彼らは組織なのだと。
 エミリが近づいてくる。後ろの影は構えたまま。 
 被っていたヘルメットを脱ぐと、エミリに向かって投げつける。常人離れした力で投げられたソレは、エミリの足元に叩き付けられ、その形を歪ませた。借り物だけど、ごめん持ち主。
 そのままなんとか後退し、距離をとる。増援部隊が撃った弾が足に当たったのはご愛嬌だ。今更足に一発当たったところで、何かが変わる訳じゃない。マオの悲鳴があがるだけだ。
 エミリから奪った銃を構えてみせる。
『隆二ぃ』
 クリアになった視界に、マオの泣き顔がうつる。
「……泣かなくて、いいから」
 安心させるように微笑んでみせる。
 でもマオの表情は変わらない。
 被害状況を確認するのが憂鬱になる。
 治って来た箇所もあるが、さっきまで居た場所にできた赤いみずたまり。あんまりきちんと見たくはない。
 それにしても、ヘルメット、やっぱり被ったままにしとけばよかったかな。銃を構えたままの人影を見て思う。
 マオを背中に隠すようにして、エミリと対峙する。
「銃、撃ったことありませんよね? 降参、しますか?」
 エミリが尋ねてくる。
 体の処理が追いつかない。それでも笑ってみせる。
「誰がそんなこと」
『待って!』
 マオが叫んだ。隆二の言葉を遮るように。
 隆二は視線を背後に動かす。
 エミリは黙って動かない。
 マオは隆二を庇うように両手を広げて彼の前に立つ。
『あたし、行くから。だからもうやめて』
「……マオ?」
 血と一緒に、言葉がこぼれ落ちる。
 何を、言っている?
『いいよ、もう』
 マオは振り返ると小さく微笑んだ。口元は笑みをかたどっているが、目元はまったくその反対で、その顔はやけに頭にきた。
 それは神山隆二の大嫌いな表情だった。

 もう、どうでもいいと全てを諦めた者の顔。
 昔、自分と仲間達が嫌というほどした顔。
 なんで、そんな顔をしている?
 なにがそんな顔をさせている?
 どうしてそんな顔をしている?
 そして、マオのその顔は嘗て愛した、今でも一番大切な女性の唯一認められなかった表情に似ていて、
「しょうがないよ、双子は忌み嫌われるものだから」
 一瞬、だぶった。
 そんな顔は見たくなかったから、必死に道化を演じてきた。
 そんな顔は見たくなかったから、例え黒い茨の道でも突き進んできた。
 そんな顔は見たくなかったから、犠牲の羊になることだって厭わなかった。
 そんな顔は見たくなかったから。
 今だって、見たくない。