隆二は来客を居間に通す。和服を着た男性だった。
 しばらく事態が把握できず、その人をマオは見ていたが、男性が彼女の方を見て会釈したところ、慌てた。
『隆二、もしかして、その人!』
「あ〜、大丈夫だから落ち着け」
 意味もなく手足をばたばたさせる。さっきの勢いは一体どうしたのだろう?
 マオの手をひっぱって自分の隣に座らせると、来客を目で示しながら言う。
「確かにこの人は研究所の人間だが、研究所の人間には珍しくとても話のわかってくれる人だから大丈夫だ。なぁ、おっちゃん?」
 そういうと正面に座った来客は苦笑した。
「相変わらず辛辣ですね。それから、そちらのお嬢さん、マオさんでしたか? 今のお名前は。心配しないでください。わたしは別に争いに来たわけではありません。ただ、昨日の娘の不作法な行いのお詫びと、それからこちらの今後の方針を話しに来ただけなので」
 ゆっくりと相手の言葉を理解し、
『ええっ!?』
 マオは大声をあげて来客を指さした。
『え、娘って娘って、あの人の父親っ!?』
「……。お前、結構失礼だぞ」
 隆二が横目でマオを睨んでたしなめる。
『え、でも、だって、似てないっ! 顔とか髪の色とかもあるけど、なんていうか性格が! 空気が似ていないっ!』
「ああ、それは俺も思う。どうしたら、おっちゃんの娘があんな破天荒な性格になるのか、不思議でしょうがない」
 隆二とマオでよってたかってそういうと、エミリの父親、和広は――かつて何かの話で聞いたことによるとその名前の由来は平和を愛し、広い心をもつようにとつけられたらしい。それを聞いたとき、隆二はこれほどぴったりの名前はないと思った。まさしく名は体を表す。――困ったように笑った。
「そういわれましても……。恵美理はどちらかというと母親似ですし、外見はわたしの父似なんですよ。無鉄砲な性格は、わたしの母譲りですしね」
 そういってから、顔を引き締める。
「それよりも、昨日はうちの娘が本当に失礼なことを致しました」
「いいって、いいって」
 隆二は手をひらひらと顔の前で振った。
「結局、俺らの勝ちなわけだし、そんなにたいした被害もなかったから」
 マオが何かを言いたそうな目で見てくるのを無視する。
「ですが、けがもされたようですし」
「別にすぐ治るって。っていうか、おっちゃんに謝られてもねぇ。おっちゃんは責任感強すぎ」
 昔からそうなのだが、隆二には和広に責任を押しつけると言うことが出来なかった。
『隆二は責任感がなさすぎだわ』
 マオが横でぼそりと呟く。
「お前が言うな」
 マオの頭をはたく。文句を言ってくるマオを無視して、和広に向き直る。
「そういえば、昨日はあのあとどうなった?」
「警察の方から電話がありまして、迎えに行きました。恵美理が言うには、一応事情を聞かれたらしいのですが、流石にありのままを述べるわけにもいかず、結局『友人と遊びまわっていたらこんな時間になって、おまけにとても眠くて眠ってしまったようだ』という下手な嘘でごまかしたようです。もっとも、それでごまかせるわけもなく、夜遅くまで出歩いていたことなどを叱られたようで落ち込んでいました」
『ほら、やっぱり隆二、ひどかったのよ。交番の前なんて』
「いいえ、あれぐらいしていただいて丁度良かったです。あの子は妻の忘れ形見ですし、ついついわたしも甘やかしてしまって……」
 そこでマオが説明を求めるように隆二を見た。おそらく、彼女が考えていることは当たっているだろう。そう思って隆二は一つ頷いて見せた。和広の妻、つまりはエミリの母親は、エミリが小さい頃に他界したと聞いた。
 もし生きていたなら、また話は違ったかもしれないのに、と時々思う。
「人に叱られて少しは懲りたようです。あの子にはいい薬になりました。
 それから、……けが一つ無く、恵美理を諫めてくださってありがとうございました」
 頭を下げる。
「あんまり人にけがをさせるなって昔、言われているんでな」
「……そうですか」
 和広は一瞬何か言いたげに口を開いたが、すぐに当たり障りのない言葉を言った。
 ふと、この人はどこまで知っているのだろうか? と思った。さしたる問題ではないが。
「そういえば、嬢ちゃんにおっちゃんは引退したって聞いたんだが、今日はもしかしてそれを言うためだけに来たのか?」
「今はこうやって事後処理をするのが仕事なんです。もう、走り回れるような体力は残っていませんし」
 台詞の後半で和広は苦笑した。その笑い方と台詞に、和広が老いた事を実感し、隆二はまた置いていかれたような気分になった。誰かが年をとったことに気づくといつもなる、あの気分。
 それを悟られないように勤めて明るい声で言う。
「へぇ、それはおっちゃんにぴったりだな。まさに天職?」
「……そうですね。わたしがこういうことを言うのも問題だとは思うのですが、わたしたちの研究所には血の気の多い人が多すぎます。わたしはあまり争いごとは好きではありません。話し合いで解決できるのがやはり一番だと思います。そういう意味ではこういう仕事はぴったりですね」
「あの研究所にもおっちゃんみたいな人が増えてくれたらおれは非常にやりやすいんだが」
 そういいながら上着のポケットの中を、煙草を探してあさり、そういえば禁煙をするのだったと思い出した。仕方がないのでライターをつけたり消したりする。
『隆二、火事になったら大変よ』
「そんなへまはしない」
『……歌うわよ?』
 にっこり微笑みマオが言う。
 和広も来ているのに歌われたらたまったものではないので、大人しくライターをしまう。
 和広が小さく微笑んだのに気づき、小さく舌打ちをした。なんだよ、その笑い方。恥ずかしいじゃないか。照れ隠しの意味をこめて、尋ねる。
「それで、さっき今日は今後の方針も言いに来たって言っていたよな? 今後の方針っていうのは何だよ?」
 確かにそうやって言っていたことを思い出し、マオも心持ち体をこわばらせて和広の顔を見つめる。
「ええ、そうですね。どちらかというとこちらが本題です」
 和広はそういうと、居住まいを正し二人を見る。
「こちらの方針と致しましては、神山さんというかつての……こういう言い方をしてしまうことをお許しください。かつての実験体と現在研究している実験体のマオさんとが出会うと言うことは極めて稀であります。また、マオさんは……、こういう言い方をしてしまうことは非常に失礼なのですが、こちらから見ればかなり異質な存在です」
『異質?』
 マオは不愉快そうな顔をする。
「らしいぞ」
 その言葉に隆二が答える。
「お前ほど自我が確立していて、また感情が豊かなのは、嬢ちゃんに言わせれば失敗作らしい」
『……失敗作、か』
 自嘲気味にマオは言う。
「あの子はそんなことを言いましたか……」
 和広は眉をひそめる。
「すみません。マオさん、そんなに気にしないでください。わたしたちに貴女を失敗作だという資格はありません。……そもそも、本当は神山さんにもマオさんにも謝らなければならないのですから……」
 和広は頭を下げる。
 しばらく沈黙を流れたが、マオがそれを破った。
『でも、あたしは作ってもらえて嬉しいわ。それから、こういう事をいうと自分勝手に聞こえるかも知れないけれども、隆二が不死者でよかった。そうじゃなかったら、例えあたしが作られていてもここにこうしていられなかったんだもの。
 ……そうなのよ、あたしがここに今いるのは凄い偶然の連続だと思わない!?』
 急に思いついたのか、マオが大きな声で嬉しそうに仮定の話をはじめる。一つ事例を挙げるたびに、一つ指をたてながら。
『もし、あたしが作られなかったら、根本的にあたしは存在しなかった。
 もし、あたしに感情が無かったら逃げ出さなかった。
 もし、隆二が居なかったら、もし、隆二に幽霊が見えなかったら、もし、隆二に会わなかったら、あたしはとっくの昔に捕まって消されていた。
 もし、隆二がただの人間だったら、あたしを助けてなんてくれなかった。
 他にもきっといろんなことがあって、あたしは今ここにいるのよ! ねぇ、これってすっごい偶然の重なりだと思わないっ!』
 自分のその発見が嬉しいのか、頬に手をあてて、とても楽しそうにそういう。和広は少し驚いたように目を見張って、隆二はあまりに“マオらしい”態度に微笑んだ。
「……そうだな。確かに、マオの言う通りだ。もし、マオの存在が生み出されることがなければ、俺は未だに独りでだらだらと存在しつづけていただろうな。それを悪いとは言わないが、だが、今の方が楽しいことに違いはない。
 ……ま、もし、マオが来なければ俺は『女をとっかえひっかえする最悪な男』なんて変な噂されることはなかったが」
 隆二が少し意地悪げにいうと、マオは頬を膨らませて睨んだ。
『何よっ!』
「何だよ。事実じゃないか。……ま、だからな、おっちゃんがそんなに気にすることはない。それに、……俺が咎めたいのは俺らをつくったじいさん達であっておっちゃんではない。そして、じいさん達はもう逝っちまったんだろ?」
 軽く肩をすくめる。そして、まるで聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるように続けた。
「つまりおっちゃんが気に病む必要はない。違うか? もっと言うならば、気に病む必要性の無い人間に謝られることほど、不愉快なことは無い」
 沈黙。
「……。そうですか」
 和広はゆっくりと顔をあげて、二人を見ると微笑んだ。
「お二人にそう言っていただけると、非常に気が楽です」
 小さく息を吐く。
「それで、先ほどの続きですが、そういうお二人がこうして一緒にいると言うことは、今後……こちらとしても何か役に立つことがあるかもしれません。ですから、わたしたちはこれからはマオさんのことを追うことは致しません」
 マオが目を見開いて和広を見る。隆二は表情を全く変えず、腕を組んだ。
「ですから、……安心してください」
 言い終わると同時に、マオは顔をぎりぎりまで和広に突きつける。和広はわずかに身を引き、隆二がそれを咎めた。
「おまえ、それ失礼だって」
 けれどもマオは、そんな言葉は耳に入らないかのように、和広の顔をみて言った。
『それ、本当? 本当に、本当に、あたしはここにいていいの?』
「え、ええ……。もしかしたら、何かご協力をお願いすることがあるかもしれません。そのときに、協力さえしていただけたならば……」
 たじろぎながら和広が答えると、マオは顔中を笑みにして和広に抱きついた――少なくとも気持ちは抱きついているのだろう。触れていないが。
『ありがとうっ! 本当に本当にありがとう! 貴方、大好きだわっ!』
「え、えっと……」
 救いを求めるように自分を見る和広と、それから自分の中に生まれたいらだちに背を押されて、隆二はマオの後ろ襟首を捕まえて自分の隣に再び座らせた。
「少し落ち着け」
 けれどもマオはおちついたりせずに、今度は隆二に抱きつく。
『だって、嬉しいじゃない! そうよ、もうあたしの歌をどうやってかわすか、隆二は考えなくてもいいのよ!』
 そのまま、猫のように体をすり寄せてくるマオに閉口する。
 それをみて、和広は笑った。
「……なんだよ、おっちゃん。助けてやったのに」
 笑われていることに気づき、情けないぐらい恨みがましい気持ちで言う。
「すみません」
 まだ笑いながら和広は首を横に振る。そして、ただ……と続ける。
「神山さんは変わったと思いまして」
「はぁ?」
「恵美理に聞いてはいたのですが、神山さんがそうやって楽しそうに笑っているところをみるのは、もしかしたら初めてかもしれませんから」
 慌てて口元に手をやると、確かに口は笑みの形になっていた。なんだか悔しくて、無表情を装う。けれどもそれは、自分にひっついたまま大はしゃぎするマオによって、簡単に崩された。
 小さく舌打ちをして、苦笑と微笑みが入り交じった笑みを浮かべる。
 それを見ながら和広は続けた。
「やはり、マオさんと神山さんが一緒にいることはいいことだと思います」
「なんでだよ」
 これのどこが? 顔にそう浮かべて、隆二はマオを指さす。
「そうですね……、手負いの獣が治療を施してくれる者にあったみたいですよ」
 それだけいうと、口をつぐむ。
 それは一体どちらがどちらなのだろうか? それとも、二人とも両方にあてはまるということなのだろうか? 説明を求めて和広を見ても、和広はゆっくりと首を左右に振るだけだった。
 自分で考えろと言うことだろうか? それとも、言った和広自身もわかっていないのだろうか?
 いずれにしても、やけに饒舌な和広に少しばかり閉口して肩をすくめる。和広はそれに気づき、笑った。
「しゃべりすぎましたね。それから、お邪魔のようですし、今日はもう失礼いたします」
 そういって立ち上がる。
「え、ああ。別に邪魔じゃないが……」
 その言葉の真意を測りかねて、隆二はしどろもどろに言った。それからテーブルの上がやけに寂しいという事実に気づく。
「そういえば、お茶も出さないで悪かった」
「いいえ。わたしたちがかけた迷惑を思えば、お茶をだして頂くなんて厚かましいです」
 和広はそういうと、やけにゆったりとした動作で出ていった。穏やかな、まるで自分の子どもを見るような笑みを残して。

 *

 和広を見送り、まだひっついたままのマオに視線を落とす。
「いい加減離れろ」
 無理矢理引きはがすと、マオは不機嫌そうな顔をしたが、やがて微笑んだ。
『ねぇ、隆二。お願いがあるの』
「お願い?」
 客人が帰ってから、というのも変な話だが、コーヒーが欲しくなり立ち上がりかける。
 マオはそんな隆二の手を掴み、引き留めた。
『ちゃんと聞いて』
 その手を振り払うだけの理由も思いつかず、隆二は黙って再び腰を下ろした。それを見届けてからマオは続ける。
『あのね、まだ、存在して少ししか経っていないあたしに、世の中の事を教えて欲しいの。この偏った知識を、足りない部分を補って欲しいの。……頼んでも、いいかしら?』
 最後は少し臆病に、付け加える。そういうところが、本当に猫のようで愛らしい。
「教えられるほど生きてはいない」
 隆二はそっけなくかえす。
 マオが視線を落とした。
「だがな、」
 そこで言葉をつづけ、笑った。
「一緒に学んでやってもいい」
 マオが顔上げ嬉しそうに笑った。そう思ったら、隆二は再び抱きつかれた。
『そうね、そうしましょう』
 喉を鳴らしそうな勢いでそういうと、神山家の居候猫は微笑んだ。
『約束よ、絶対に約束よ』
「ん、ああ」
『ゆびきり』
 そう言って、少し体を離して、何時かのように小指を差し出す。二度目は流石に慣れて、素直にその小さな指に自分の小指を絡める。
 そしてあの時と同じぐらいたどたどしい調子で、だけれどもあのときよりも少し力強く楽しそうに言った。

『ゆびきりげんまん、うそついたら針千本のーます。
 指きったっ!』
 そして、また楽しそうに笑って、抱きついてきた。

 風がカーテンをゆらした。

up date=2004