第五幕 逃走猫を追うワケは。

 ぴーんぽーん。
 少女は律儀にチャイムを鳴らした。
「こんにちは」
「……どうも」
 玄関先にその姿を見たとき、そのまま閉め出そうかと真剣に考えた。けれども彼が考えているわずかな隙に、少女はまるで自分の家のようにあがっていった。その後ろをついて歩きながら隆二は言う。
「なぁ、お嬢ちゃん」
「エミリ。せめて、名前で呼んでください」
 エミリは振り返り、そう言う。それを聞いて肩をすくめると、隆二は言う。
「早いな。まだ三日だ」
 一週間の猶予はあると思っていたのにな、喉まででかかった言葉を飲み込む。そんなことをもし言ったら、まるでマオが居なくなるのを悲しんでいるように聞こえると思ったから。
「ご不満ですか?」
 それには答えずに、片手を出す。
「報酬」
「こちらになりますね」
 エミリはそう言い、封筒を差し出す。中身を確認してから、確かにと呟いてそれをタンスにしまった。
「それで、G016は何処にいますか?」
『……此処にいるわ』
 エミリの後ろにふわふわと現れ、マオは言う。それから隆二をちらっとみて、小さく唇を動かした。“ありがとう゛

「それじゃぁ、行きますよ」
 エミリがそう言った時、マオは大きく息を吸い込んで、
 そして、

 歌った。

 視界が歪んだ。確かに逃げろとは言ったが、こうなるとは予想しなかった。そして、考えが及ばなかった自分と、そういう大事なことを、前以って言っておかなかったマオを呪った。

「あ〜」
 しばらくしてなんとか動ける程度に復帰した体と頭に感謝しつつ、隆二は起きあがった。
「生きてるか? お嬢ちゃん?」
 まさかこれで死ぬわけはないだろうが、一応そうやって聞いてみる。そして彼女はマオの怪音波を喰らった記念すべき初めての人間だということに気づいた。おめでとう、パチパチパチ。
「……エミリです」
 消え入りそうなほど小さい声でエミリはそう言うと、頭を軽く左右に振った。
「……今のは?」
「マオの怪音波。って、あんたらが設定したことじゃないのか? あいつの壊滅的に絶望的に、この上もなくド下手な歌がよくわからないが攻撃になるっていうのは……」
「いいえ」
 エミリは首を横に振る。
「そんなけったいなものは造っていません」
 金髪少女がそんな日本語を使うことには、違和感があるなと頭の片隅で隆二は思う。
「じゃぁ、偶然の産物ってわけか」
 ポケットから煙草をとりだし口にくわえ火をつける。――あと四本
「そうですね。……G016の製造工程には何かしらミスがあったようなのです」
 まだ頭が痛むのか、座ったまま移動し、壁により掛かり、エミリは続ける。
「ミス?」
「本来ならば、あんなに確立した自我は持たないはずなのです。霊というのは精神体ですから、あまり不安定なのはよくありません。多少の感情は埋め込みますがG016の場合は違います。貴方も一緒にいたのならば気づいたでしょう。ころころとよく感情が変わり、不安定で……」
「そういや、泣いてもいたな」
 隆二が何気なく呟いた言葉にエミリは眉をひそめる。
「泣いて?」
「ん? ああ」
「……やはり、どこかでミスがあったようですね。泣くはずなどないのですから。ましてや逃げ出すはずなど……」
 口元に手を当てて、何かを考え始めるエミリを見ながら、煙草を吹かし続ける。
 この少女は気づいているのだろうか? 自分が如何に自然の道理に反したことを行っているのかを。感情を持っていることをミスと言い切ってしまうことの残虐性を。自分達が行っていることが、どういうことになるのかを。本当に理解しているのだろうか?
「若気の至り」
「はい?」
 思わず呟いた言葉に、エミリは眉をひそめて隆二を見てきた。そう言う顔をしていれば年相応に――確か今年で十八……だったような気がする――見えるのになといつも思う。もったいない。せっかく、祖母譲りの綺麗な顔立ちをしているのに。
「いいや、何でもない」
「そうですか……」
 そういってエミリは、痛みを追い払うために軽く頭を左右に振り、辺りを見回して首を傾げた。
「G016は?」
「は?」
 我ながら今のは間抜けな声だった。そう思いながら、隆二は落ちかけた煙草をくわえなおす。
「あのな、マオがなんのためにあんなふざけた、あんたがいうところのけったいなものを使ったと思ってるんだ? とっくの昔に逃げたぞ」
 がっしゃん!!
 そばに置いてあった棚から目覚まし時計を落とし、勢いよくエミリは立ち上がった。目覚し時計は文字盤が割れて、少し無残な形になっていた。
「な、な!!」
 玄関の方を見ながら、ばかみたいに口を開け閉めする。どうでもいいが、ちらりと見た限りでは別に玄関から出ていっていなかった。ベランダから出ていっていたと思う。
「気づいていなかったんですか?」
 呆れて呟く。敬語なのが少し嫌味かもしれない。エミリは玄関をにらみつけながら、大きく息を吸い込み、
「DAM!」
 思いっきり叫んだ。
「ふざけんじゃないわよ! 実験体の癖して!」
「あ〜あ」
 天井を仰ぐ。この少女はいつもあまり表情を変えない。だがおとなしい人ほど切れると怖い、などというように、エミリが感情をあらわにしたときろくなことにはならない。この性格はきっと彼女の祖母から受け継いだものだろう。彼女の祖母も一度怒ると猪突猛進、周りの迷惑を顧みず我が道を突き進んだ。
 ちなみに、彼女の父親はそんなことはない。いつも落ち着き払っていて頼りになる兄貴――隆二よりもずっとずっと精神的に大人だった――といったところだった。
 隔世遺伝。イギリス人と日本人のハーフである彼女の父親は、どこからどう見ても日本人といった顔立ちで、和服がよく似合った。けれども、孫の代、クオーターのエミリの金髪碧眼は祖父譲りだという。そういう風に、祖父母の持っていた性質を受け継ぐことを隔世遺伝というらしい。ならばきっと、エミリは祖父から金髪碧眼を受け継ぎ、祖母からその性格を受け継いだのだろう。
 エミリはまだ英語で――なんでも小さいころまで祖父母と一緒にイギリスにいたらしく、ことによると日本語よりも英語の方が得意なんだそうだ――色々言っていたが、隆二の方を向くと言った。
「追いかけます!」
「気をつけて」
 軽めの敬礼を返すとじろりとにらまれた。別に怖くはなかったが。
「貴方もついて来るに決まっているでしょう!」
「は?」
 その言葉が理解できずに聞き返す。
「その無駄にすぐれた身体能力、こういうときに使わないでいつ使うのですか!」
「いや、こういう時に使うためにつくられたんじゃないと俺としては信じたいんだがね。猫を探すための不死者ってどうよ、それ?」
 やれやれと煙草をもみ消して立ち上がる。
 昔、彼女の祖母と同じような状況になり、結局押し切られている。無用で無意味な言い争いは避けたい。
「それで、どこに行ったかわかるのか?」
 壊れた時計をまたぎ、玄関へ向かいながら問いかける。
「それを探すのが貴方の仕事です」
「簡単にいってくれるな。どうやって探せっていうんだよ」
 けだるげに言葉を返しながらドアを開ける。
「資料で読まなかったのか? 俺の探知の能力って言うのはそんなに優れていない。あんまり広い範囲は探せない。さっきから散々探しているが見つからない。っていうことはもう結構遠くに逃げたってことだよ」
 今日は諦めよう、と言葉の中に含めながら言う。
「そうですか、それじゃぁ見つかるまで走り回りましょう」
「あ〜、俺そういう走り回るとか頑張るとか、気力と体力とを使う仕事は大嫌いなんだ」
 第一、マオを見つけるのに協力してどうするんだ? という思いがある。もしマオを見つけたときに、エミリの隣に隆二が居たら、
マオは一体どんな顔をするのだろうか。その顔に浮かんでいるのは一体なんだろうか? 失望? 絶望? それとも諦め?
 想像したらどんどんエミリについていくのが憂鬱になってきた。
「知りません」
 しかし、そんな隆二の思いはあっさりと切り捨てられた。エミリはすたすたと歩いていく。
「冷たいな」
 その後ろ姿を見ながら、適当に見当違いの方に走って、ひとまずは欺こうか、そう考えて靴のひもを結びなおした。
 さぁ、久しぶりの大運動会だ。

up date=2004