走っている間にもどんどん暗くなっていく。
夕方から夜に変わる頃、隆二は何度目かの台詞を口にした。
「今日はもう諦めないか?」
そのたび返ってくるのは、
「帰っても結構ですよ」
というエミリの言葉。
そう言われて帰って、自分が居ない間にマオが捕まってしまうというのも明日の目覚めが悪そうでどういうわけか、気が引ける。しぶしぶとその後に付いて行く。
そんなこんなで、気がつくと夜になっていた。
……よく、体力がもつよなぁと思う。実はこのお嬢ちゃんも不死者か何かじゃないのか?
*
そして、
「いた!!」
エミリはガードレールに座っていたマオを見つけたのは、午後七時をまわったぐらいの時だった。見つけたならばもっと静かに近づけばいいものの、妙に大声をあげたおかげで、マオはエミリに気づき逃げていく。
逃げていくマオを見ながら、あのとき彼女の目に自分は映ったのだろうかと隆二は考えた。どちらでもいいことでもあり、けれどもとても重要なことのような気もする。
「待ちなさいっ!」
エミリは叫び、追いかける。
休憩はいれたけれどもずっと走り続けていたのにタフだなぁと隆二は思った。休憩だって、隆二が休めと言わなければ休むことなく走っていそうだった。イノシシみたいに。冷静そうに見えて、意外と感情直結型で自滅タイプなのは祖母譲りだ、確実に。
「待ちなさいといって待つやつはいないだろうなぁ」
とりあえず、隆二はエミリの後ろを走りながらぼやいた。
「DAM!!」
走っている途中で今日何度目かの罵りの言葉をあげて、エミリは例の探知機を隆二の方へつきだした。
「見てください」
言われたとおり、素直にそれをみる。
「……これは?」
延々と何か訳の分からないアルファベットと数字をそれは吐き出していた。
「エラーです。まったく、研究班のやつ、帰ったら文句つけて上に報告してやるんだから」
役に立たなくなったそれを鞄に押し込む。
「この辺は神社が多いからな。その機械がどういう仕組みで動いているのかは知らないがそれの影響もあるだろうな。何せ、霊的な要素が多く働く場所なわけだし」
呟く。何にせよ、これはとてもありがたいアクシデントであることは確か。
エミリはそれを聞いたのか聞いていないのか、鞄に押し込んだ後、隆二を見た。
「と、いうわけで二手に分かれましょう」
「はいはい」
素直に従うとエミリとは反対の方向へ走り出す。
そうして、「探知」の能力を発動。エミリが、探知の能力のことを忘れていてくれたようなのはありがたかった。あの猪突猛進モードでなければ、簡単に気づかれていただろう。
「まだまだだな、お嬢ちゃん」
そう、うそぶく。
「出来れば嬢ちゃんより早くマオにあいたいもんだな」
あってからどうするかは自分でもわからないが、それだけは強く思った。
マオの進行方向を確認し、先回りする。
狭い路地に入ったところで、予定通り後ろに気配を感じて振り返る。マオが困ったように眉をさげて、唇をかんでそこにいた。
「……よかった。無事だったか」
とりあえずそれだけを口にする。
彼女が自分を警戒していることはよくわかった。なんとかして誤解を解こうと思った。そう思いながらも、誤解とは何のことをさすのか自分でわからない。
妙な気持ちだけが先走った。
*
どうして、隆二があの人と一緒に居るんだろう?
ただがむしゃらに逃げ回りながら、それを考える。
彼は確かに逃げてもいいと言ったはずなのに、どうして今はあたしを追いかけているのだろう? 気が変わったのだろうか? それとも、考えたくはないけれども最初からあの人達と仲間だったのだろうか?
狭い路地で隆二を見つけたときは、何も考えずに彼のところへ行ってしまった。けれども、マオには自分の目の前に立つ隆二をただ見つめることしか出来ない。
隆二はマオを見ると小さく息を吐いた。それがなんなのかはマオにはわからない。さっきから自分の喉の奥辺りでわだかまっている感情を、なんと呼べばいいのかも。
*
隆二はためらいながら言葉を紡ぐ。
「その、嬢ちゃんはここにはいない。俺と別方向へ走っていったからな。なんか探知機も壊れたみたいだし、今ならきっと逃げ切れると思う。……マオ? その、俺はやっぱりマオには逃げてまた……、」
隆二は言いかけて口をつぐんだ。それから頭をかきむしった。
「あ〜、こういう風にしゃべるのは苦手なんだよ」
ぼやくと先ほどよりも大きめの声で早口でまくしたてる。
「ったく、こっちはお前のせいで大変なんだからな! 嬢ちゃんには目覚まし時計を壊されるし、無理矢理つきあわされて一日中走り回されるし、マオを追いかけなければいけなくなったし!」
指を鼻先に突きつけてそういうとマオは驚いたように身を引いた。
『え、だって、それは……、あたしのせい?』
「そうだ。誰がどう考えても純度100パーセントおまえのせいだ」
嘘だ。どう考えてもそれは自分自身が選んだ道であり、それに付随した結果に過ぎない。この場に第三者が居たとしたら、こういうだろう、「それはただの八つ当たり」
それでもマオは困ったような顔をさらに深くした。あたしのせいなのだろうか? やっぱり、あたしのせいなのだろうか?
隆二が早口で言った言葉を聞き、マオは軽く瞳を閉じた。
マオがうつむく前に隆二は次の言葉を紡いだ。
「いいか、だからお前は俺の家に戻ってきて、多少なりとも俺に迷惑をかけたお詫びと俺が世話をみてやっていたお礼というものをしなくちゃならないんだ。わかるか?」
紡がれた言葉の意味が一度には理解できず、マオは隆二の顔をじっとみる。
それは一体どういう事なのだろうか?
「わかったか?」
もう一度尋ねられる。隆二は先ほどよりも、なんだか機嫌の悪そうな顔をしていたけれども、同時になんだか嬉しそうにも見えた。
それはつまり、自分は戻っていいと言うことなのだろうか?
その結論に行き着く、マオはおそるおそる頷いた。
『でも……、どうしてそこまでしてくれるの? いくら拾った猫の世話だからといってそこまですることは……』
「さぁ? わかったら苦労しないんだよ。」
ため息をつきながら煙草に火をつける。残り三本。
本当は少しだけわかっている。自分でも女々しいとは思うが、あまりにも似すぎているのだ。そう考えてから最低だな、と胸の中で呟く。マオと茜は例え似ていても、違うのに。
そんな思考の渦から隆二を引き戻したのは
『禁煙……。指切りしたじゃない……』
という小さなマオの言葉だった。
訴えかけるように上目遣いで隆二を見る。こんな状況でもそれをいうかと苦笑する。そして、同時に、その言葉に少しだけ気分が軽くなった。
「この箱が空になったら最後にするさ」
そういって煙草の箱を上に持ち上げ、殺気にマオの腕を掴んで飛び退いた。
銃声。
それから、置いてあった段ボールに穴が空く。
そして硝煙の匂い。
「うわぁ、物騒なものもっているな、お嬢ちゃん」
軽口を叩く。
拳銃を構えたままエミリは隆二とマオを睨む。
「やはり、かばっていましたか」
「そりゃそうだ。本気で嬢ちゃん達に協力していると思ってたのか?」
苦笑して、まだ火をつけたばかりの煙草を地面に落とした。足で火をもみ消す。点けたばっかりだったのに、ああ、もったいない。
「そうですね」
エミリは無表情に頷く。
「貴方はそうやって何回も我々を欺いてきましたから」
「わかってるじゃん」
軽口を叩きながらも今後の対策を練る。
とりあえず、こんな狭い場所じゃどうしようもないから逃げるしかないだろう。
「それにしても、まだ七時だ。こんな町中で銃なんかぶっぱなしていいのか?」
「よくありません。ですので、出来れば降参していただけたら、と思います」
「そいつは困ったなぁ」
逃げるならどこだろうか?
マオが隆二の手を握り返してきた。
『隆二、あの、大丈夫?』
「わからん」
頼りない言葉を返すと、身構える。
後ろに駆けたところですぐに追いつかれるだろう。いや、追いつかれる前に撃たれるか。前は問題外。横は壁。ならば、残っているのは……?
「降参していただけませんか?」
「残念ながら」
そういって胸に片手をあて、慇懃に礼をすると、跳び上がった。そのまま何度か壁を蹴って、隣にあった四階建ての建物の屋根の上に飛び上がる。
下の方であっけにとられているエミリに向かっていった。
「おそらく俺の無駄に優れた身体能力はこういう時のためにあるんじゃないか?」
そのまま屋根の上を走り出した。