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部屋に戻ると、煙草を灰皿に押しつけ、部屋を占領しているソファーに足を投げ出して座る。後から、まるで見知らぬ土地に連れてこられた猫のようにおどおどしてマオがはいってくる。そのまま自分の正面に座るのを確認して、口火を切った。 「さて、講義をはじめようか」 『講義?』 小さく首をかしげるマオを安心させるように微笑む。 「たいした話じゃないんだが、不死について、だ。不死の霊薬に関する逸話は結構あってな。不死の霊薬とは化金石を水銀液状にしたものでトレヴィーソ人とやらが作っていたものという話がある。シンナバーという石は不老不死の秘薬とされていたという話もあるし、カール五世が農夫から聞いたという霊薬もあるな。 中国でも不死の霊薬に関するエピソードが残っている。不死の薬を信じ込んだ皇帝に対して、これはインチキだ! と言ってその薬を飲んでしまう大臣の話でな。皇帝は大臣を死刑にしようとするんだが、大臣の方は「不死の薬なら死刑にしても無駄だし、もしインチキならば私を死刑にするのは不当だ」と言うんだ。……まぁ、これは不死薬というよりも大臣の聡明さを称えたエピソードだな。 今ではどうだか知らないが、中国人は死を妨げる水がどこかにあると信じて探している、という話もある。 『ガリヴァー旅行記』にも不死人は出てくるし、不死を願ったものの不老を願うのを忘れてしまい、ただ悪戯に年を重ねていく哀れな女の伝説もある。 あとは錬金術、かな? 錬金術についての知識は?」 『え、全然ない……。金属じゃないものを金属にするとかっていうのはおぼろげには知っているけれども』 申し訳なさそうにマオが呟く。話をふったのは失敗したかもしれないと、隆二は自分を責めた。安心させるつもりだったのが、裏目にでた。 「それだけ知っていれば十分だ。卑金属を金属に変えることだ出来るという思想が「錬金術」だな、大雑把に言ってしまえば。とはいえ、ワインから100%の純アルコールを取り出すのも錬金術といえば錬金術らしい。まぁ、余談で今はあまり関係ない。 で、その研究なんだか魔術なんだかの一環で、万病に効く薬としての賢者の石や不老不死の霊薬をつくろう試みもあったらしい。……この辺は前にちょろっと暇つぶしに本を斜め読みしたぐらいで、あんまり詳しくないんだが」 その後に、別に詳しくなりたいとも思わないが、とおどけて付け加えた。 マオが眉間にしわを寄せて隆二を見た。 『……ごめんなさい、理解できないわ』 「ああ、別に理解する必要性はない。俺のどうでもいい知識だし、あっているかどうかも定かではないしな。不死に対する研究の一つ一つが言いたかったわけじゃないんだ。言いたかったのはつまり、これだけ不死についての研究がなされているんだ。 ……それが、どういうことかわかるか?」 マオは眉間のしわをさらに深くし、間違っていたらごめんなさいと前置きしてから言った。 『人がそれを望んでいるから?』 「正解、だ。永遠の命を望む人間が多いから、これだけのエピソードが残っている。そして、昔の人間が望んだことを、今の人間が望んでいないわけがないだろう?」 そこで一旦言葉を切って、ゆっくりと、言い聞かせるように続けた。
「そして、これだけ研究がなされているんだ。一つぐらい成功した実験体がいてもなんらおかしくない」
その言葉を理解する間が少しあり、理解すると同時にマオは何か言いたそうに口を何度か動かした。 かすれた声で、呟く。 『……それって……、まさか』 「ああ」 隆二は首肯すると、ゆるりと笑んだ。 「俺がその成功体で俺を作ったのがあの嬢ちゃんたちの研究所っていうわけだ」 そういってから、何かに気づいたかのように微笑み、付け足した。 「マオはあのお嬢ちゃんのことを『知らない』んだったっけ?」 我ながら意地の悪い言い方だと思った。案の定マオは顔をそむけた。 「まぁ、人工的に作られたってことさえわかればそれでいいさ。……俺は、もともと人間と呼ばれるものだったんだ」 マオが大きく目を見開き、隆二を凝視する。まるで眼球が顔からおちてしまいそうだ。その視線にわずかに堪えきれなくなって、マオから視線を逸らしながら続ける。 「そのころ、日本は戦争をやっていてな。お国のため天皇のためって今、考えれば非常にばからしい価値観に基づいてたんだ」 でもそのときはあれが当たり前だったんだが、と小さく付け加える。 「そんなときあの研究所はこれまたばかげたことを計画していたんだ。それが、不死身の戦士を造ること。今なら一から作れるのかも知れないが、そのときは無理だったみたいでな。秘密裏に人身売買なるものが行われた」 年月の間に埋没し、すっかり朧気になってしまった記憶から、かろうじて思い出せる断片的な場面をいくつか引きずり出す。 「俺の家、つまり生まれた家ってわけな? そこはまぁ、簡単に言ってしまえば貧乏だったんだ」 毎日遅くまで仕事をする父親の背中と、それを手伝う上の兄。 母親の後をついて回り、家事の手伝いをする妹。 余所で働き始めた姉と下の兄。 お腹がすいたと泣く二人の小さな弟。 「当時、俺は今からじゃ考えられないほど体も弱かったから、働き手にもなりゃしなかった」 病気で寝込む自分を、困惑と憎悪と心配をごちゃまぜにした顔で見る母親。 何も手伝えない自分を、邪魔者を見るような目で見る兄弟。 「それで、あっさりと売られてしまったわけだ」 自分を連れにきた数人の男。 泣き叫ぶ自分から視線を逸らし、さっさと家の中に入ってしまった父親。 一言だけ呟いて父親の後を追った母親。 月明かりの下、遠ざかっていく家。 「体のいい間引きだな」 眠っている間に殺された、生まれたばかりの妹。 育てられないのならば生まなければよかったのだと、自らを呪うかのように呟いていた母親。 「厄介者の子どもは居なくなるし、金は手にはいるし。そこそこの値段で売買されたみたいだぞ。人一人の値段としては安いのか高いのかは微妙なところだが」 自嘲気味に笑う。マオが下がった眉で自分を見ているのが視界の端に見えた。それは一体どういう意味の表情なのだろうか? 同情? 哀れみ? それとも……、同族嫌悪? 仲間意識? 途中で考えるのをやめて、なるべく淡々と聞こえるように感情を消して話す。 「そんな風にして買ってきた子ども達を研究所の人間は不死者にしょうと試みた。だが、結局成功したのは俺を含めて四人だったよ」 左手の指を四本だけたてる。 「ついでに、戦場にでることも結局なかった。逃げ出したからだ、俺たち四人は」 逃げようと言ったのはリーダー格の少年だった。自分と他の一人は賛成し、残りの一人は最後まで反対していた――見つかったら何をされるかわからないんだぞ!! それでも結局逃げ出したのは、このまま研究所にいれば、未来などないことがわかっていたからに他ならない。 「そのころはあの研究所も出来たばかりで統率もとれていなかったし、世間もごたごたしていたから逃げ延びることは簡単だった。そうこうしているうちに戦争も終わってな、俺たちはそこから別々に歩き始めて今に至る。だがな、しばらくするとあのお嬢ちゃんの祖母に当たる人が来たんだよ」 哀しくなるぐらいの無表情で自分の前に現れたその人の顔は今でも思い出せる。このまま人としてもう一度生きていけるのではないかと淡い期待をもっていた時に現れたその人は、自分にとって死神にも等しい存在だ。昔も今も。 「そのときはそう呼んではなかったと思うが、嬢ちゃんと同じ派遣執行員だったんだ。あの人は、俺に言った」 死神は無表情を崩さずに宣告した。一字一句間違えずに、その宣告を覚えている。多くが消えていく記憶の中で、それは鮮明に脳裏に焼き付いている。 「『私たちはもう貴方達を兵器としては必要とはしていません。そこで選んでいただきたい。ここで、証拠隠滅のためにおとなしく消え去るか、または必要に応じて我々の力になるかを』」 そこでマオに視線を合わせる。 「勝手な話だと思わないか?」 マオは必死に平静を保とうと唇をかみしめていたが、それは余計彼女のしている泣きそうな顔を痛々しくしていた。その表情があまりにつらそうで、見るのに耐えかねて、隆二は思わずいっていた。 「過去の話。あまり気にするな」 気にするなと言う方が無理なことは重々承知している。実際、気にしていなければ自分はこんな話をしなかった。 「今の俺がこうしていると言うことは後者を選んだわけだ。まぁ、向こうも報酬を払ってくれるしな。持ちつ持たれつ、だ」 それでもマオの表情は変わらない。 「マオも聞いていただろう? 戸籍上には、神山隆二なんていう人間は居ないし、もとの名前も行方不明か死亡ってことになっているだろうからな。だが、仕事を探すにも家を借りるのにもとりあえず身分証明書っていうのは必要でな」 身分証明書と言ってもただの紙切れなのにな。そう言って笑う。マオは笑わなかった。 「あの研究所は国につながっているし、身分証明書の偽造くらい簡単に出来る。俺はあいつらに協力する代わりに、この国では必要不可欠な身分ってものを手に入れる。利用され、利用して、お互いあわよくば互いの首をはねようと狙っている。けれども、安易に首をはねてしまっては自分も困る。難しいところだよな。俺たちはそんなものだ」 だからな、とマオが安心できるように、出来る限りの笑みを浮かべて言う。 「俺は無理しておまえをあいつらに引き渡す必要性はないわけだ。例えば、引き渡すときにおまえが逃げ出しても、俺は追いかける義務がない。言いたいこと、わかるか?」 マオが目を大きく見開いて、じっと隆二を見た。それから、何かを言いたげに口を二、三回開けて閉じるのを繰り返し、意を決したかのように言った。 『それは、つまり……、逃げてもいいの?』 「あの研究所に戻ってまたいじくりまわされて、消えたいのならばとめないけどな」 我ながら意地の悪い言い方だと思うが、そうとしか言えない。 「言っただろ?」 軽く目を閉じて背もたれに寄りかかる。 「俺は拾った猫の面倒は最後まで見るし、あいつらは出し抜いてやりたいんだ。お互いに協力して利用しあう。それだけだろ?」 マオはしばらく隆二の顔を見ていたが、それから目を閉じて言った。 『……気づいていると思うけど、本当のこと、話す。やっぱり、隆二にだけ話させるのはフェアじゃないと思うから』 ゆっくりと目をあけたマオに視線を合わせ、問う。 「やっぱり、あの研究所の実験体ってわけだな」 単刀直入な言葉に、決心が揺らいだのかマオは視線を床に向けて答える。 『……うん。人工的に造られた幽霊』 「相変わらずいかがわしい研究をしているな、あそこは」 眉間にしわを寄せ深いため息をつく。 「まったく、どうしてこうも進歩しないんだか。人のことを言えた義理じゃないが……。そんなものを造ってどうするつもりなんだか。何か知らないか?」 『あたしが、知っているのは……、あの人達はあたし達を造ることでお金儲けをしようとしていたことだけだけど』 「そうか……。まぁ、あいつらが何をしようとしているのかなんてわかりたくもないけどな」 同意を求めるようにマオ見ると、マオはかすかながらも頭を縦に振った。 少しばかり沈黙をとり、次の言葉を選ぶ。 「……それで、記憶喪失って言うのは嘘なわけだ。だが、実際に造られてからそんなに経ってないだろう?」 『七ヶ月とちょっと』 「つまり、俺と会ったときは二ヶ月弱ってところか」 道理で。隆二は天井を見上げる。これで説明が付く。妙に偏った知識や子どもっぽい仕草。人工的に無理矢理詰め込まれた知識ならば偏りも出るし、仕草も子どもっぽくなることもあるだろう。 『あの、』 マオの声にそちらをみる。 マオは顔をあげていた。軽く唇をかむようにして隆二を見つめていたが、やがてためらいつつ言葉を吐き出した。 『ごめんなさい。黙っていて、嘘ついて、その、余計な面倒に巻き込んでしまって』 「構わない」 自分でも驚くほど素直に、そして優しい声色でそう言っていた。 「どうせ、俺もあのお嬢ちゃんや研究所には縁やら恨みやらあるからな。それに、……黙っていたかったマオの気持ちも良くわかるから。……誰かにこういうこと話すのってためらうよな、嫌われそうで」 マオは泣きそうな顔で一つ頷いた。 『それなのに……、ありがとう。先に話してくれて』 「どういたしまして。まぁ、年上の威厳というものを見せようと思ってな」 ふざけていうと、マオは少しだけ微笑んだ。 「俺も、悪かったな。嬢ちゃんたちが幽霊を見えるのはあたりまえだと思っていたから、嬢ちゃんがまっすぐにマオを見つめてきたときに気づけなかったよ。……それで、わかったんだろう? 嬢ちゃんが研究所の人間だって」 『……うん。それに、一度だけだけどあったことがあるから。本当に少しだけだったから、すぐには気づけなかったけど。怖かった。射ぬかれるようにまっすぐ見つめられて怖かった……』 マオの台詞に、隆二は昔、自分が少女の祖母に対して抱いていた感情と同じだなと少し思う。 そして流れる、気まずい沈黙。 それを破るかのように、マオはわざと明るく大きな声を出した。 『あたし、隣の部屋に行ってるね! その、出かけるときは呼んで』 「……ああ。そうだな、今日はご馳走にしようか」 『あら、いいわね』 そう言って、マオは隆二の横の壁をすり抜けていった。 押し殺したすすり泣きが聞こえてきたのはそれからしばらく経ってからで、隆二はそれを掻き消すためにテレビのスイッチを入れた。 明るい音楽が部屋を支配する。 ずるずると、ソファーから滑り落ちるようにして床に座り、天井をにらんだ。 別にどうと言うことはない。拾って面倒を見ていた子猫に、元の飼い主が見つかっただけのこと。悲しいわけでも、ましてや寂しいわけでもない。そう感じる必要性はない。例え、その子猫が自分と同じ境遇だったとしても。なんせ、自分はもう人間ではないのだから。そう感じる心など、置いてきたはずなのだから。 「そうだ」 天井をにらんだまま呟く。 「置いてきたんだ。あの日、茜の前に」 もう二度と何かに深く関わらない。そう決めたはずだった。 「決めたんだ」 目を閉じると、マオの顔と、それからどことなくマオに似た彼女の顔が思い浮かんだ。今度はきつく目を閉じ、そのまやかしを消す。 「ただの、居候猫なんだから。また、前の状態に戻るだけなんだから。……そのはずなんだ」 目を開け、今度は時計をにらみつける。針は澄まし顔で動き続ける。 「……そのはずなんだ。だけど……」 そこで言葉を切り、外を見る。曇り空。 そうしてここに、もうこの世界のどこにもいるはずのないあの女性に向かって呟いた。 「だけど、似てるんだ。茜、おまえと別れたときに、どことなく」 曇り空は何の答えも提示してくれなかった |
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