そんな波乱万丈で不条理なマオのディナーだが、手頃な女を捕まえることが出来なかった場合は、強硬手段にでている。つまり、隆二の力を使って気絶させるというもの。隆二にしてみれば、足がつきそうであまり使いたくない。まぁ、足がついたら引っ越せばいいかと高をくくっているが。その前に一部で流れているという「女をとっかえひっかえする男」という噂をどうにかしなければならないとは思うのだが、解決策は思いつかない。

 それは、マオが現れてから、三ヶ月ほどたった日で、その日は強硬手段でマオのディナーを終えた。
 今、自分の足下に倒れている少女は、きっと明日の昼ぐらいまで目を覚まさないだろう。隆二はそう結論づけると、置きっぱなしになっていた青いビニールシートをかぶせる。少なくともこれで、雨に濡れることはないだろう。乱暴な扱いだが、死ななかっただけラッキーだと思ってもらいたい。命あっての物種だ。

 隆二が少女をおいて戻って来ると同時に、マオは月に向かって手をのばすようにしながら話し始めた。
 隆二はそれを背中で聞きながら、手すりに寄りかかり煙草をとりだす。
『ねぇ、ウサギは寂しいと死んでしまうって言うじゃない? 人間はどうだと思う?』
「知らん」
 かちっ。煙草に火をつける。
『あのね、もうちょっとまじめに答えてくれたっていいじゃないの。隆二には会話を膨らませようとかそういう考えはないの?』
 マオが頬をふくらませる。
「ないなぁ、そういう考えは」
 ありのままを答えると、マオは一層不機嫌そうな顔をした。けれども、そのすぐ後にひどくまじめな声で言った。
『人間はね、寂しくても死なないのよ』
 マオは、細い指を手すりの上で組み、その上に顎を乗せる。
『人間は、寂しくても死なないの。きっとね、つまらないと死んじゃうの』
 どこか遠くを見るようにして呟く。
 隆二は改めてマオに視線を移した。
 それにしても、このビルの屋上からは夜空がよく見える。例え、近々壊される予定のビルだったとしても。
「どうしてそう思う?」
『人間はね、寂しいなんていう高等な感情は持ち合わせいないの。人間のいう寂しいはつまらないってことなのよ』
 隆二はコメントを控えた。実際のところ、理解しきれていなかった。いや、昔はよく分かっていたのだがいつの間にか忘れていた。寂しいとかつまらないとかを。あるいは、忘れたと思いこんでいるだけなのか?
 返事がないことを特に気にしていないのか、マオは月を見上げたまま続ける。
『誰かがいなくて寂しいとしても、何かよりどころ、すなわち「楽しいこと」があれば平気なのよ。本とか音楽を好むのはそれが理由』
 マオの紅い唇が笑みの形に歪む。
「つまらない、ねぇ」
 隆二の反応が不満だったのか、マオはむぅっとふくれた。
『なによ』
「いや、別に」
 先ほどの色香などどこかへ消えてしまったかのようなマオの顔に、笑わないように気をつけながらそう答える。
 そういえば、今朝こんな会話をした。笑わないように思考を別のところに持っていくために、今朝の会話を反芻する。

 三ヶ月たってもどこの誰なのか、あるいはどこの誰だったのかはわからないマオに対して、自分はこう言った。
「まぁ、時間は無限近くあるからな。大体、素性云々の前に、俺にはお前の性格の方がわからない」
 妙に大人っぽいこと、色香のあることを言うかと思ったら、突然子どもっぽくなる。とても不安定な性格だと思う。安定した幽霊というのも聞かないが。
 そういってみたところ、マオは顎に手を当てて考える仕草をしてから、にっこりと能面に張り付いたような微笑みを浮かべた。
『ミステリアスな言動はあたしの魅力の一つなのよ』

 あの微笑は、何を考えているのかわからない、本当にミステリアスな表情だった。本当に表情豊かな幽霊だ。見ていて飽きない。
 そう思った瞬間、頬が緩みそうになって、慌てて手で口元を覆い隠した。
『あ! 今、笑ったでしょう!』
 無理だった。
 隆二の唇が笑みの形に歪んだのを、目ざとく見つけて、マオは頬を引っ張ってきた。爪が頬に刺さり、痛い。隆二は慌てて、「力」を抜く。すると、マオの手は隆二の頬をすり抜けた。
『ずるい!』
「ずるくない」
 やれやれと、煙を吐き出す。
 マオはしばらく隆二をにらんでいたが、再び空へと視線を移した。そして、ぽつりと呟く。

『だから、あたしは貴方がいなくなると死んじゃうのよ?』

 聞き流すつもりでいたのに、頭がそれを理解した瞬間、心臓が止まるかと思った。無論、不死者の隆二に、止まってしまうような心臓なんてあるわけがないのだが。ついでにいうならば、幽霊が死ぬわけもないだろう。
「なにを言ってるんだ、おまえは」
 動揺を押し込めてそう問う。いくら不意打ちだったからとはいえ、動揺している自分が情けない。
『あら、だって貴方以外にあたしが見えて、あたしによくしてくれる人、あたしは知らないもの。貴方がいなくなったら、あたしはつまらなくて死んじゃうわ』
 指先が空へとのばされる。
「人じゃないだろうが」
 隆二がそう返すと、意外なことにマオはそうね、と笑って返した。
『でもね、うさぎも人も、それからあたしも、勿論隆二も、きっとそんなに変わらないのよ?』
 そして今度は、隆二の方を向く。そして、
『それに貴方がいなくなるとお腹が空いて死んじゃうわ。あたしのやり方だと、そのうち誰かにばれてしまうかもしれないもの』
 いつもの小憎らしい表情でそういった。呆れつつも隆二は笑って返す。
「そうですね、お姫様」
 慇懃に、隆二の言うところだと優雅に一礼した隆二をマオは見つめて笑った。本当に嬉しそうに、楽しそうに笑った。
 それから、ふと何かに気づいたような仕草をし、ひどくまじめな声で告げる。
『ねぇ、前から言おうと思ってたんだけど』
「ん?」
 顔をあげた隆二は、マオが自分以外のところを見ていることに気づいた。確かにその視線は自分のほうへ向いているが、対象物は自分ではない。そんな微妙な視線。視線をたどると、そこには……煙草。
『体によくないんじゃないの?』
「今更、健康に気を遣ってどうする。死なないぞ、別に」
『そうだけど、でも』
「知るか」
 隆二は無視して吸い続ける。マオのディナーのために散々走りまわされて、この上煙草を吸う習慣にまで干渉されるかと思うと、正直マオのことを鬱陶しく感じた。少し意地になって、煙を吐き出す。
『そう、そうね。たかが居候の言う事なんて聞かないわよね』
 マオはやけに静かな声で言った。似合わない。似合わなくて、怖い。ぎこちなく首を動かした隆二に、
『それじゃぁ、強硬手段ね』
 と、マオはにっこりと静かに微笑み、隆二の頬に手を添えた。まるで恋人同士がするように。
 その静かな微笑がとても怖い。
 隆二は思わず後ずさりする。手すりに寄りかかっているのだから、これ以上後ろにはさがれない、なんてことちっとも思いつかなかった。がんっと、背中が手すりに当たって初めて思い出す。

 追い詰められた。

 実際に目の前に居るのはただの居候猫で、いざとなったら彼女を消すぐらい容易なことで、恐れることなんて無いはずなのに、なぜかそう思った。
 本能が警鐘を鳴らした。怖かった。本当に。

 マオは微笑んだまま、大きく息を吸い込んだ。

 怪音波。

 いつだったか、何かの成り行きでマオが歌ったときにわかったことを、もうろうとする意識の中で隆二は思いだしていた。
 簡単に言ってしまえば、彼女は音痴だった。それも壊滅的な、救いようのない。おそらく、今まで誰も彼女に音楽を教えようとしなかったのだろう。いや、もしかしたら教えたのかもしれない。その誰かも教えかけて挫折したのかも知れない。ただの音痴だったならば、耳でもふさげばどうにかなったのかもしれない。マオの場合は、「霊力」のようなものが働いてしまって、物理的な効力をももたらす。これは何かの攻撃ではないかと思われるような効力を生み出す。
 前回彼女が歌ったときは、半日頭が鈍く痛む状態が続き、買い換えたばかりのカップが割れた。前、彼女が歌ったときにもう二度と歌うなとしっかりと言い聞かせたところ、マオは落ち込むどころかにやっと笑い、『なるほど、これは隆二にも効くわけね! そうね、名付けて、ミュージックデストロイヤー?』などといいやがった。
 ああ、あの時もっとちゃんととめておけばよかった。『ミュージックデストロイヤー』などとわけのわからないことを言う彼女に向かって、呆れて「おまえ、それはネーミングセンス無さ過ぎだろう」なんて変なつっこみをしないで、もっとちゃんと「歌うな!」と言っておけばよかった。
 痛む頭の中で、ただひたすら後悔する。


 ああ、もういいや。このまま朝まで眠ってやろう。 ガンガンする頭を抱えて隆二は目を閉じた。
『ふふん、あたしに逆らうとこういうことになるのよ!』
 マオがそう言っているのだけが聞こえた。
 そして、おそらく彼女が浮かべて居るであろう自信に満ちた小生意気な表情を思い浮かべて、あとで覚えておけ! と心の中で捨てぜりふを残し、意識を手放した。

up date=2004