第二幕 猫への餌の与え方

「聞きたいことがある」
 隆二がそう言ったのは、マオに出会って二日目の昼だった。初日はマオがあれっきり部屋から出てこなかったため、話し合いは断念していた。
『聞きたいこと?』
 テーブルの上に腰をかけながら、マオは首を傾げる。隆二は一つ頷くと、見るつもりもなかったテレビを今度こそ消した。中途半端なところで笑い声がシャットアウト。部屋に静けさが戻ってくる。
「マオが喰らうという人間の『精気』は、本来は多少とったところで死にはしない。幼い子どもや老人、病人ならば別だが、健康的な一般的に言う大人ならば、少しめまいを起こすか、一日ぐらい寝込むだけだ。そして、マオほどの幽霊ならば、人を殺すほどの『精気』を必要とするとは思えない」
 そこで一度言葉を切り、マオの表情を伺う。また怒られるかと思ったが特にこれといって反応はない。
 マオは隆二が何を言いたいのかわからない、そんな感じできょとんとしていた。一度息を吸ってから続ける。
「だから正直、人を殺すほど『精気』をとったのはいささかとりすぎではないかと俺は思うんだが」
 やけに早口に言い切ったあと、多少身構えてしまう自分が情けない。
 しばらくの沈黙の後、マオは肩をすくめていった。悪びれもせずに、さらりと。
『限度がわからないのよ』
 それから、こう付け加えた。
『それにね、抵抗されるとついついもらいすぎちゃって』
「ついついって」
 呆れて思わずつっこむ。人の死に興味はないとはいえ、『ついつい』で殺された方はたまったものではないだろう。
『だって、あのころはあの人たちが……、』
 マオは弁解しようと口を開き、そこまでいった時点で口を閉じた。
『……違う、なんでもない』
 そのまま視線を床へと移す。
 隆二にはよく分からなかったが、何か失言だったらしい。
「……まぁ、なんでもいいがな。だが、こうも続けて変死体が出るようじゃ感づかれる危険性も否定出来ないぞ?」
『そうね』
 マオは気を取り直したように天井を見上げ、人差し指を顎に当てて考え込む。
 けれども、それは少しの間だけで、すぐに彼女は顔を隆二に戻して微笑んだ。悪戯っぽい笑みで。
 その笑みを見て隆二は思わず、もともと答えが出ていたのに悩んだふりをしていただけではないかと疑ったぐらいだ。
『わかった。隆二が手伝ってくれればいいのよ』
「……なんで俺が」
 マオは隆二の正面に立ち、視線をあわせると子どもに言い聞かせるかのようにゆっくりと言った。
『あら、拾った猫の面倒は最後まで見るのでしょう?』
 ……言い返せなかった。

 そういうわけで、隆二はマオのディナーのウェーターをつとめることになった。非常に不本意ではあるが。
 そうはいうもののその行為自体は簡単で、油断をさせれば、簡単に手に入れることが出来るし、適当な量を得ることも出来る。だから最初は、バイト先の知り合いからちょっとずつもらうというのを考えていた。献血のようなものだ、と。
 しかし、マオはぬけぬけといった。
『男はいやよ。まずいんだもの』
 思わずほっぽりだしてやろうかと思った。
 またコーヒーカップを壊されたら困るからやらないが。食器は断じて消耗品ではない。

 蛇足だが、隆二の楽しみは実はコーヒーを飲むことだったりする。食べる必要性がないから、ついつい食べることを忘れてしまうのだが、人の世界で暮らしていくのにおいて、それでは色々問題がある。だから、コーヒーと煙草の習慣だけはつけている。昔の知り合いがコーヒー人間でことあるごとに飲まされ、煙草は別の知り合いに無理矢理吸わされたのがきっかけだった。今更ながら受け身な生活をしてきたものだ。
 挙げ句の果てに、今度はこんな我が儘な猫を拾ってくることになってしまったし。途方に暮れ、自分の受け身な人生を少しだけ反省しながら隆二は天を仰いだ。
 閑話休題

「そんなこといったって、女の知り合いなんていないぞ」
『あら、さみしいのね』
 心底同情したようにマオが言う。
「そういうことじゃない」
 とりあえず、バイト先に二人いることにはいたが。あんまり長いこと同じバイト先にいると怪しまれるので、そろそろあのバイトも変えようと思っていたし、同じ人間から何度もというのも怪しまれそうで困る。
『なら、どこか人通りの多いところで黙ってたっていてみたら? 隆二は黙って立っていれば、みてくれだけは格好いいんだから。女の子の一人ぐらいは声をかけてくるんじゃない?』
「それは、褒めているのか? けなしているのか?」
 その提案に、言いたい事は山ほどあったが、隆二はうめくようにしてそれだけ言った。
『そうねぇ』
 マオは再び顎に手を当て天井を見ていたが、隆二に視線を移すにっこりと悪魔の微笑を浮かべて言った。
『両方、かしら?』

 他に何も浮かばない場合は、例えどんな愚策と思えるものでも実行すべきである。……きっと。
 些か、いや多分に疑問は残るものの、隆二は言われたとおりに駅前で何をするわけでもなく立っていった。
 駅の柱に寄りかかり、虚空を睨む。隣ではマオが物珍しそうに辺りを眺めている。
 数分経ったところで、自分は何しているのだろうかと思い哀しくなり、もう数分経ったところで嫌気がさして壁から背を離した。
『あ、ちょっと、隆二!』
 抗議の声をあげるマオを無視して歩き始め……、
「ねぇ……、」
 横からかかった声に振り返る。
 一緒にそちらを見たマオは、嬉しそうにあらあらと笑った。いつの間にか隣に立っていた大学生ぐらいの女は笑いながら言った。
「一人? あたし、友達と約束してたの、ドタキャンされちゃったんだけど、よかったら一緒にお茶でもどう?」
 隆二は何か奇妙なものでも見るようにその女を数秒見つめる。その無遠慮な視線に、女が一度軽く眉を上げたことに気づき、慌てて一つ頷く。
 後ろでマオが勝ち誇ったように言った。
『ね! あたしの言ったとおりでしょ?』
 なんだかとても悔しかった。

up date=2004