「なるほどー、君が葉平のとこの、ミス・ローヤーちゃんね?」
 目の前の、軽薄そうな男性は言った。
 志田君のところ、とは一体なんなのか。
「設楽桜子です」
「うん、桜子ちゃん」
 その男性は躊躇い無く、ちゃん付けすると、
「俺は、新山当麻」
 よろしくーと、挨拶してきた。
「そんで、これが」
 隣の男性を指差し、
「中森桐」
 私に紹介してくれる。新山さんよりも大人しそうなその男性は小さく頭を下げた。
「つーか、俺、合コンって言ったんだけど」
 そうして新山さんは志田君を見る。
「勘弁してくださいよ、桜子さんひっぱってくるのだって大変だったんですから」
「でもさぁ、約束が違うじゃん」
「私が無理を言ったので」
 私のせいで志田君が責められるのは心苦しい。差し出がましいとおもいながら、声をかける。
「夕飯までに帰りたいと」
 だから、志田君は悪くないです、と続ける前に、
「夕飯? 桜子ちゃん実家なの?」
「ええ」
「ふーん、お嬢様なんだ? 夕飯は家族一緒に、みたいね」
「ええ」
 その言い方に、バカにされるのかと思って身構えた。いつまでも親の言うことを聞いている、いい子ちゃん、とでも言われるのかと思って。
 でも、新山さんは、
「ふーん、そういうの、ちょっといいね」
 そう言って笑った。
「一人っ子?」
「はい」
「ますますいいね、大切にされてる女の子って」
 そうして屈託なく、笑う。
 心がざわめいた。
 そのことに、自分で驚く。
 志田君以外の言葉で、心が動くなんて。
「設楽さんは」
 中森さんが口を開く。
「ミステリは、何が好き?」
「え、えっと。子どものころ、ペリィ・メイスンに憧れました。弁護士ですけど」
「ああ」
「メイスンかー、俺はやっぱりホームズだな」
 中森さんの言葉をきっかけに、ミス研らしいミステリトークが始まる。
 思いもかけず、それが楽しい。最近はめっきりミステリなんて読まなくなっていたけれども、それでも。勉強の合間に、久しぶりに読んでみようかな。思わず、そう思った。
 志田君も含めた四人での会話はそれなりに盛り上がり、だから帰り際新山さんに、
「メアド教えてくんない?」
 と言われて素直に教えたのも我ながら無理からぬことだった。ちなみに中森さんは今時珍しくケータイを持っていないらしい。だから、新山さんにだけ連絡先を教えたのは、変な下心があったからではない。中森さんにだって教えるつもりはあったのだ。
 そう、絶対そうだ。別に、新山さんの言葉に心が動かされたからじゃ、ない。

 そうじゃないのに。
「隣いー?」
 翌日の学食で、躊躇わずに私の隣に座った新山さんに、思わず持っていたおかずを落としそうになった。
「新山さんっ」
「昨日はどーも」
 窓際のカウンター席。隣の彼を見上げる。
「あ、こちらこそ」
「お弁当? お母さんが作ってくれたの?」
「え、いえ。自分でですが」
「マジでっ?」
 彼は私のお弁当をまじまじと見てから、
「はー、すごいねー。実家なのにちゃんと自分て作って。なんていうか、女の子って感じ」
 笑いながらそう言った。
「女子力高いね」
 言われた言葉に、また胸が波打つ。
 ああ、女の子っぽいなんて、言われたことなかった。
「そう、ですかね」
「うん。でさ、ものは相談なんだけど、その卵焼き頂戴?」
「あ、はい」
 当然のように彼がねだるから、思わずお弁当箱を差し出す。差し出してから、私はなんてだいそれたことをしたのだろうと焦り、そんな私の焦燥など知らず彼は卵焼きを口に運んだ。
 咀嚼。
 ああ、時間が止まって感じられる。怖い。
「ん」
 彼は卵焼きを飲み込むと、
「美味しい。俺、あまくない卵焼きって好きー」
 笑った。
 その笑顔に目が奪われる。
「あ、えっと。お口にあってよかったです」
 なんとかそれだけを言葉にして絞り出した。
 なんだろう、胸が痛い。
 この感覚は、きっと……。

「椿は、恋ってしてる?」
 授業終了後、見つけた椿をひっぱって再び学食に来た。
 そうして意を決して尋ねた私の言葉に、椿は固まった。
 そのまま、私の額に手を当てる。
「うん、熱はないみたいね」
「椿」
 窘めるように名前を呼ぶと、
「だって、桜がそんなこというなんて。プライド高そうなのに、まだそんなに話したことない相手に訊いてくるなんて。びっくりだわ。あ、他に言う相手がいなかったのか」
 図星をつかれて黙る。
 そう、考えてみたら、私に相談出来る相手は志田君と椿ぐらいしかいなかった。
 志田君にこんなこと、相談出来るわけないし。
「何、葉平はやめて」
「だから志田君はそういうのじゃないの」
「新しい恋見つけたの?」
「……別に新しい恋とかそういうのでも」
「もー、なんでそう意固地になるかねー? 別に恋することが悪いわけじゃないでしょ」
「……だって」
 ふわふわしてしまう。
 あの感覚は嫌いだ。
 あの感覚に身を任せることが心地よくて、それに流されてしまいそうになる。それが私は、怖い。
「いつもの私じゃなくなってしまうから。恋をすると」
「そりゃあ、そうだわー」
 椿はあっけらかんと笑う。
「それが恋ってものでしょう」
「だって怖いじゃない」
「何が」
「変わってしまうことが」
 ここで変わってしまって、走ることをやめたらどうなるのか。私は置いて行かれるんじゃないか、世界から。夢が、遠のくだけじゃないのか。
「あー、まあ桜は恋すると変わりそうなタイプだもんね」
 椿はなにか納得したように頷く。
「それで勉強がおろそかになるのがいやとか、ニュータイプの私を見たくない! とか、そういうことでしょう?」
「うん」
「そんなに気にしなくても」
 くすくすと椿は笑う。小さい子どもを微笑ましそうに見つめた時みたいに。
「変わって怖いのは最初だけだよ。そのうちマンネリ化してくるし」
「……マンネリ化」
「そーそー。実際、そんなに恋にかまけてばかりも居られないし。桜は真面目だから、ちゃんと勉強と両立できるよ、大丈夫」
 椿が優しそうに目を細める。安心させるように。
「それに変わって行くことは悪いことじゃないよ。普通に生きてたらなかなか大変化って遂げないもの、レアだよレア」
「そういう、もの?」
「うん。桜はマイナスに変わることばかりを考えているみたいだけれども、プラスに変化する可能性は考えないの?」
 プラスに?
「恋をすると女の子は強くなれるの」
 椿は柔らかく笑った。その顔はとっても可愛くて、額縁にいれて飾っておきたくなる。
「……椿も、変わったの?」
「変わったわよー」
「好きな人、いるわけ?」
「っていうか、カレシが」
「カレシ……」
 思わず椿を上から下まで眺める。
 今日は薔薇のついたヘッドドレスに、同じく薔薇のついたブラウス。そしていつものように広がったスカート。
 椿のカレシってことは、その人もよっぽど自分の世界を持った服装の持ち主なのだろう。
「見るー? 写真あるよー」
 椿は、今日は兎型の鞄の中からケータイを取り出した。ごてごてとデコレーションされたケータイ。その、薔薇やレースは、邪魔じゃないのかしら? ストラップも沢山ついていて、どれが本体だか、わからない。
「えっとね、はい」
 差し出された画面に写っていたのは、今日と同じような格好をした椿と、一人の青年。清潔そうなギンガムチェックのシャツに、ジーンズのシンプルな格好。髪の毛だけは、少し茶色に染められていた。
「……意外?」
 固まってしまった私に椿が問う。思わず素直に頷き返した。
「もっと、派手な人を想像してた」
「でしょうねー、私がこんなだから」
 言ってスカートをつまむ。
「でも優しいし、一緒にいて楽しいし、好きなんだ」
 そうして椿は微笑む。
「桜、躊躇わなくていいんだよ。無理だと思ったらそこでやめればいいんだし、入り口で躊躇うことない。気になる人がいるなら、ちょっとアタックしてみなきゃ」
「……ん」
 優しく諭すような椿の言葉に、ぽんっと背中を押された気がした。
「メールしてみる」
「おう、がんばれ」

 そうして私は新山さんにメールしてみた。
 お昼のお礼とか、ミステリの話とか。
 返事はすぐに返って来た。嬉しくてまたすぐに返事をした。
 結局、今日は家で勉強しなかった。