「はい」
 学食のカウンター席に座った私の前に、椿姫がアイスコーヒーを置いた。
「ありがとうございます」
 私は言いながら、予め用意していたアイスコーヒー代を渡す。
 椿姫はそれをきょとんっと見てから、
「奢っても良かったのに、桜は真面目ねー。もらっとくね、ありがとう」
 それを財布にしまった。
 理由も無いのに奢られる謂れはない。
 いや、今回は奢られる理由が沢山ある気がするが、敢えてそれからは目を背ける。まさか、私がサボり犯とお茶をすることになるなんて。
 逮捕監禁罪に問えないかしら。
 椿姫はなんの躊躇いもなく、私の隣の席に座ると、山盛り生クリームのパフェを、美味しそうに頬張った。
「パフェなんてあったんですね」
「ん、桜知らなかったのー? まあ、隠しメニューだけどね」
 食べる? と差し出されたスプーンを、丁重にお断りする。
「隠しメニュー?」
「うん、水木だけ入ってる人がいるんだけど、スタッフで。その人がいるときだけ作ってくれるの、メニューには載ってないけど」
「へー」
 一体どこでそういう情報を入手するのだろう。私と同じようにやや孤立しているのだとばかり思っていた。
「桜は、甘いもの好きじゃないの?」
「……あんまり」
「そう、だからか」
 納得したように椿姫は頷き、
「だから葉平は桜に言わなかったんだ、パフェのこと」
 さらり、と呟いた。
 私は少し時間をかけてその言葉を理解する。葉平?
「……志田君に、聞いたの?」
「うん」
 葉平って呼ぶのか、彼のこと。黒い感情がわき起こる。なんでそんな馴れ馴れしく。
 私の方が、彼との付き合いは長いのに。
「桜、葉平と仲いいでしょ?」
「高校が、一緒だったので」
 動揺を必死に押し隠し、答える。
「昨日も一緒にいたもんね、葉平のカノジョちゃんと三人で」
 菊のことも、知っているのか。
「あたし、一度桜と話てみたくって。でもなかなか機会もなかったし、それに」
 自分の感情の落としどころに悩んでいる私なんて無視して、椿姫は話を続ける。
「だって桜、あたしの事嫌いでしょう?」
 続けた話は、爆弾だった。
 落ち着こうと口に含んだコーヒーを吹き出しそうになる。
 慌てて隣の椿姫の顔をみると、丁度アイスを口に頬張った椿姫がそこにはいた。
「違った?」
 それを飲み込み、スプーンをくわえたまま彼女が首を傾げる。
「いえ、嫌いっていうほどでは……」
 思わず言いかけて、これは墓穴だったと気づく。間接的に肯定しているじゃないか。でも、口から出た言葉は戻らない。
「んー、いいっていいって」
 はたはたと椿姫は片手を振る。
「あたし、そんなに周りから好かれる方じゃないし。桜みたいに真面目な子からしたら、あたしみたいにとりあえず大学来てるやつなんてうざいだろうし」
 とりあえず大学に、というスタンスのくせに、私よりも成績が上なのが嫌なのだ。嫌なのだが、流石にそこまでは椿姫は言わなかった。気づいていて黙っているのか、そこまで気づいていないのかは、定かではないが。
「だからあたしは桜と話してみたかったの」
 そうして椿姫は可愛らしく微笑んだ。
「桜、目立つし。まあ、目立つことに関してはあたしも人のこと言えないけれども。色々気になることも聞いてみたいこともあったし。ねぇ、桜はやっぱり、葉平のこと好きなの?」
 流れるように、あっさりと、椿姫はその言葉を口にする。
「好きなわけないじゃないですかっ!」
 思わず声を張り上げる。
 ちらほらといた学生達がこちらを見てくるから、慌てて視線を逸らした。
「あはー」
 椿姫は楽しそうに顔を笑みにすると、
「そっか、そっか、好きなのかー」
 私の話をまったく聞いていない返答をした。
「だから好きだなんてっ」
「でも、桜、他の人とは話さないのに葉平とだけは話すじゃない?」
「それはっ、私と会話してくれるのが志田君なだけで。あとの人はなんか勝手に怖がってるだけで」
「うんうん、そういう言い訳ね」
「違いますっ」
 まったく聞く耳を持たない椿姫に、くらくらする。
「好きなんてこと、絶対に、ありません」
「そうかなー」
 一向に彼女は納得しようとしない。
 ああもう、じゃあ、仕方がない。今もまだ、私が好きだなんて思われるぐらいならば、この秘密を暴露してしまった方が、楽だ。過去のあやまちの方が、まだ。
「昔、少し気になっていただけですっ」
「あー」
 怒鳴るようにしていうと、椿姫は小さく頷き、
「なるほどねー、それでそのまま気持ちの整理がつかないまま、ここまで来ちゃったのねー。桜、真面目だから告白なんてしなかっただろうし」
「ですからっ」
 気持ちの整理なんて、ついている。
「うんうん、わかったわかった。もう、今はなんでもないのよねー?」
 その言葉を、わかってくれた、とは受け取れなかった。どう考えても子どもをあやす言い方だ。でももう、
「それでいいです」
 疲れ切って私はそう答えた。
 彼女と話していると疲れる。さすが、椿姫。
 椿姫は一度、なんだつまんないの、と呟いて、またパフェに向き直った。
 何がつまらないというのだろう。
「……佐藤さんは」
「ねぇ、確かにあたし呼びたいように呼べばいいっていったけど、その佐藤さんはやめない?」
「でも、呼びやすいですから」
「あたしが桜って呼んでるのに対等じゃない」
 対等って、何。
「椿、って呼んで」
 そして椿姫は微笑む。
 私はしばらく彼女を見つめると、
「佐藤さ」
「椿」
 強い口調で遮られた。
 ご希望とあれば、仕方ない。
「椿」
 その一言に、椿は花が咲いたように笑った。
「うん、なぁに、桜?」
「あなたはなんで、そんな格好を?」
 かねてからの疑問を口にする。動きにくくないのだろうか、そんなに膨らんだスカートなんて。
「だって、可愛いでしょう?」
 私の質問に、椿はとても簡単に答えた。可愛いかどうかは、賛同しかねる。
「あたしね、卒業したらこのお洋服のお店で働きたいの」
「法務部?」
「なんでー、違うよぉー」
 椿は不思議そうに笑い、
「ショップ店員だよー」
 楽しそうに告げる。
 一瞬、殺意にも似た感情が私を襲う。
 あんなに法律が出来るくせに、私よりも出来るくせに、彼女はショップ店員なんかになるのか。どうしてその才能を活かさないのか。
 法曹を目指せ、とは言わない。彼女ならば恐らく、簡単になれるだろうけれども、それでも。
 でも、同じアパレルでも法務部に入るぐらいのことをして欲しかったし、するべきだと思った。それが彼女の才能なのだから。
 なのに彼女は、卒業したらこの法律の才能は捨てるという。勿体ない。ずるい。どうして神様は、こんな人に法律の才能を与えたのか。無駄遣いじゃないか。
 そんな感情が一気に胸に押し寄せて、私を締め上げる。
 次の瞬間には直ぐに反省する。ああ、私はいま、なんて醜いことを思ったのだろうか。
 何をするかは椿の自由だし、何の才能を持っているかも椿の勝手だし、努力だってしているのだろう。なのに、それに嫉妬し、彼女の決断を罵倒するなんて、私は、醜い。