「佐藤さん」
 椿姫が所属するゼミ。その部屋の外から彼女の名前を呼んだ。
 ここでも怠惰な猫のように微睡んでいた彼女は、
「んー」
 うめきながら顔をあげ、私を見ると破顔した。
「桜」
 当たり前のようにそう、私を呼ぶ。いいえ、私は桜子です。
「どーしたのぉ?」
 嬉しそうに、扉で佇む私に駆け寄ってくる。そんな私たちを教室の人達は、奇異なものを見るような目で見ていた。
 まあ確かに、椿姫とミス・ローヤーがセットでいるなんて、珍しいことだろう。我ながらそう思う。
「これ」
 畳んだカーディガンを渡す。
「佐藤さんのじゃない?」
「ん、そー。よくわかったねー」
 わからないわけがない。
 彼女はフリフリなカーディガンを受け取ると、無造作に袖を通した。刺繍されたプードルが自己主張を始める。
「ありがとう」
「いえ。昨日のお礼なので」
 私はそれだけいうと、それじゃあ、とその場を立ち去る。立ち去ろうとした。
「ちょっとまって」
 椿姫の声がそれを引き止める。
 振り返ると、彼女は何故か鞄を持ち上げるところだった。
 鞄……? 
 多分、鞄。これも同じくプードルの形をしているけれども。見た目はぬいぐるみだが、学校内にぬいぐるみを持ってくる意味はないし、なにしろ背中についたチャックから財布が飛び出している。
「あの?」
 何をしているの? という意味を込めて尋ると、
「あたしも行くー」
 授業は。ゼミは。
「桜、この後授業ないの? 空き? じゃ、お茶しよー」
「佐藤さん、ゼミなんですよね?」
「うん」
 屈託なく頷くと、けれども立ち止まらずに先に進む。
「ゼミならばお茶をしている場合では」
「平気平気。ほら、今日天気がいいし」
「一体なんの関係が」
「でもほら、あたし今日発表担当じゃないし」
「それが休む理由になるとは思えませんが」
「んもー、桜は真面目ねー」
 でも休むって決めたら休むのー、そう言いながら椿姫は私の手を引いてぐんぐん進んで行く。
 ああもう、どうしたらいいものか。
「あ」
「志田君!」
 正面からやってきた志田君に救いを求める。
「桜子さん、無事椿姫に会えたんだー、よかった」
 彼はそう言って笑う。そうではなくって。
「つーか、何処行くの?」
「桜とお茶するのー」
「いえ、ですから佐藤さんはゼミが」
「お茶かー。女子会?」
「二人しかいないけどね」
「ま、楽しんでねー」
 あろうことか志田君はそういうと、ひらひらと片手を振って立ち去ってしまう。
 まって、椿姫を止めて!
 すがるように思わずのばした手は、役立たずのまま終わってしまう。
 反対側、椿姫にとられた方の手は、またぐいぐいと引っ張られた。
「お茶っていっても、四限あるから学食ねー。二階でいいよね、パフェあるしー」
 椿姫はそういうと、さくさくっと歩いて行く。
 私は上告審でも死刑判決を喰らった被告人のような気分で、それに従った。
 もう、諦めるしかない。