翌日、私はかろうじて持っていたスカートを履いて登校した。
「うわっ、珍しい」
 廊下であった椿には驚かれた。
「何、お洒落? 恋をしたから?」
 からかわれる。
「……別に」
 照れくさくてそっぽを向く。本当は、新山さんからのメールに書いてあったからだけど。せっかく女の子らしいんだから、スカートとか履いてみればいいのに、って。
 褒めて、くれるだろうか。

 学食で待ち合わせしていた新山さんは、私を見るとちょっと驚いたような顔をしてから、笑った。
「スカ―ト」
「あ、はい。変ですか?」
「ううん、可愛い」
 褒められて、顔が熱くなる。
「でも」
 そしてその熱がすっと冷める。でも?
「もうちょっと短くてもいいんじゃない」
 私は膝下丈のスカートを見る。
「桜子ちゃん、足、綺麗だし」
「でも……。持っていないし」
「んー、そっか。じゃあ、今日一緒に買い物行こうよ。服、見よう」
 思いがけにお誘いに私は頷いた。
「はいっ」

 そうして彼が選んでくれた服は、全て膝上よりも短いスカートだった。
「大丈夫、似合う似合う」
 試着室から出て来た私を、新山さんは手放しで褒めた。それが嬉しくて、その今までに着たことがないような服は不安だったけれども、全て購入した。
 あまり服に頓着していなかったので、新鮮な感覚だった。
「靴もさー、せっかくなんだからもっと足が綺麗に見えるようなのがいいんじゃない? そんなぺったんこ靴じゃなくて、ヒールのあるやつ」
「でも、そういうの、スーツの時ぐらいしか履いたこと無くて」
「何事も挑戦だって」
 そうして彼は九センチのヒールの靴を渡してきた。流石に高いんじゃないか、と思ったが、せっかく彼が薦めてくれたものを断るのは気が引けた。
「ちょっとずつ、頑張ってみます」
 私はその靴を履いてそう答えた。新山さんは笑って頷いた。
「あと、髪は長い方が女の子らしくていいよ」

 ヒールの高い靴を履いて、膝上のスカートを履いて。ずっとショートで、そろそろ切ろうと思っていた髪は、予定を変更してそのまま伸ばしている。
 普段ナチュラルなメイクも、すこししっかりと。
 そんな私を見て、
「わっ、桜子が女の子になってる!」
 と失礼極まりないことを言ったのは、またしても遊びに来ていた菊だった。
「……菊」
 隣で志田くんが、流石に呆れたように呟く。
「かっわいー! 桜子、スタイルいいからミニスカートも似合うねー! なぁに、イメチェン?」
「ええ、まあ」
 褒められてまんざらでもなく、頷く。
「髪も伸ばしているの? いつもならそろそろ切る時期でしょう? 桜子、几帳面だから一定の長さ以上に伸ばさないもんね。それも可愛いねー」
 菊は屈託なく笑う。そのまま、続けた。
「でも、前の方があたしは好きだなー」
 屈託なく笑いながら、菊が言う。
 可愛いと褒められて、浮かれていた気持ちが急に萎む。
 ……前の方がよかった?
「見慣れているかどうかってことでしょ」
 志田君が横で呟いた。フォローするかのように。
「まあねー」
 それにも菊は笑ったまま頷く。
「気にしないで桜子さん、なんにも考えてないから、菊ってば」
 菊の頭を軽く叩いて、志田君がしょうがないな、とでも言いたげに笑う。
「いえ」
 それに曖昧に笑って返事した。
 そのあと二、三会話して二人と別れる。
 どきっと心臓が跳ねる。
 何を不安になっているの? たかが、菊の言葉で。あの菊の言葉で。
 前の方が良かった? でも今だって悪くないでしょう?
「桜子ちゃん、今日の格好も、いい感じだね」
 そう言って笑うのは、新山さん。そう、間違っていない。
 新山さんが肯定してくれるのだから、間違ってなんかいない。
 だって新山さんは私のことをわかってくれている。私に話しかけてくれる。
 躊躇い無く私に話しかけてくれて、優しい言葉をかけてくれるのは、志田君と椿と、新山さんだけなのだ。
 そんな新山さんが、間違っているわけがない。


 私は変わっていく。
 でも、ほんの少し、胸を過る気持ちがある。
 変わるって、こういうことなのだろうか?
「桜、本当服変わったわねー」
 その私の思いを後押しするかのように、椿が言った。
「ん」
 曖昧に頷く。
「すっかり彼好みの女、って感じねー」
 そういう椿の格好は揺らがない。今日も同じふりふりだ。
 食堂の椅子に座って、私はヒールで疲れた足をこっそり回した。
「そんなにいい人なの、その人? 桜を夢中にさせるぐらい」
 にやにやと笑って椿が言う。
「……優しいから」
 小さい声で答えた。
 志田君、椿以外に、私にあんな躊躇わず話しかけてくれる人、他にいなかったから。
「そっかー。まぁ、優しいのは大前提よねー」
「そういう椿は、どこが好きなの?」
「え? あたし? あたしの話もするの?」
 椿は少し、不意をつかれたような顔をして、
「んー、まあ確かにね、すっごい頭悪いし、常識ないし、留年すれすれだし、正直なんで私がこんな人と付き合ってるんだろうって一か月に一回ぐらい思う。でも、あの人は基本的にすごく優しいし、へらへらしている割にはそれとなく自分を持っているし、それにね」
 椿はそこで言葉を切ると、ゆっくりと時間をかけて微笑んだ。
「それに、私のこの服をほめてくれたのはあの人だけなのよ」
 そう言って、無意味に広がったフリルだらけのそのスカートをつまんだ。
「他の人はいい年してやめなさい、とか恥ずかしいから一緒に歩きたくない、とか言ったけど、あの人は違った。あの人だけは、可愛いね、似合うね、って言ってくれた。この状態のを私を好きだって言ってくれた。だから、かな?」
 そういうと、椿は頬を両手で押さえ、わーっと大声をあげる。
「もう、ちょっと桜、何を言わせるの? 恥ずかしいじゃない、あー、もー」
 その様子がとてもとてもかわいらしくて、私は思わず小さく笑った。
「ちょっと、あなたが言わせたんでしょう? 笑わないでよ、もう!」
 ばしばしと肩を叩こうとする椿から慌てて逃げながら、歩きにくいこの9センチのヒールを思った。
 今の私は、ありのままの私、なんだろうか?