「あ、あれ巫女姫様じゃん?」 三限目の自習時間。そうそうにプリントを解くことを放棄した俺たちは、自習監督が居ないのをいいことに適当に空欄を埋めながら、しゃべっていた。一人が、窓の外、校庭を見ながら言う。校庭では、何処かのクラスが体育の授業中だった。 「巫女姫様?」 聞き覚えの無い固有名詞に問い掛ける。 「あれ、知らん? 1組の大道寺沙耶。なんかいろいろ変な噂があってさ」 「そうそう。ええっと、実はあの大道寺財閥の令嬢だとか」 「化け物が憑いていて勘当されたとかっていうのもあるよな?」 「幽霊が見えるとか」 のりのりで言い合う三人を見つめながら、一言、呟く 「……嘘くさ」 途端に目の前の三人は白けた顔をした。 「……賢治、おまえのりが悪いぞ」 「別に普通だろ。で、なんで巫女姫様なんだよ」 「巫女っぽいだろ、姫っぽいだろうが。噂が」 「……あー、さよけ。で、どれ」 くだらないとは思いつつも、そんなに知れ渡ってる人の顔がわからないのも悔しい。開いている窓から身を乗り出すようにして外を見る。 「ほれ、あの髪の長いの」 「こっからじゃ見えないけど、可愛いんだぜ、なぁ」 「ああ、顔は」 「……うん、顔は。愛想はないんだよなぁ。だから巫女姫様なんだが」 「ふーん」 髪が長いことしか認識できなかったが、その髪の長さが 「まぁ、確かに巫女っぽいわな」 俺にそういう感想を抱かせた。 これが一番初め。 * 実際に顔を確認したのは、それから二週間ぐらい後のことだった。 彼女のいる1組と、俺たちの8組とでは教室の階がそもそも違う。合同授業があるわけでもない。 その間にも彼女に関する噂はそれなりに耳に入ってきていた。曰く、彼女が何も無い空間と話しているのをみた。曰く、彼女は今、謎の美女と二人暮しらしい。曰く、その美女の実家は名のある名家だ。などなど。よくもまぁ、そこまでまことしやかに流れていると思ったものだ。 体が弱いとかで学校を休みがち。それと噂のせいも、あって、クラスにはなじめていないらしい。そんな噂なんて気にしないでつきあってやれよ、とその時俺は思っていた。 5階から見下ろした状態ではなく、ちゃんと顔が見える場所で会うまで。 彼女の顔を確認する機会を得たのは、図書室だった。 勿論というかなんというか、大半の学生と同じように、俺はレポートを書く資料を探すためだけに図書室に来ていた。毎日大量の本を借りていく人間なんて、俺には信じられない。 全クラス、ほぼいっせいに課されたレポートだから、遅れた俺に残されていた資料は何も無かった。そのまま帰るのも癪なので、適当に雑誌でも読もうかとあたりをみまわしていると、彼女は入ってきた。 たった一度、遠くから見ただけなのに彼女と認識できたのは、あの長い黒髪もあったけれども、それよりもなによりも、彼女の存在感とかオーラとか、そういうものだった。 彼女が入ってきた瞬間、一瞬、空気が凍った。そう思った。 彼女は部屋の中を気にかけることなく、カウンターに向かい、本の返却手続きをしていた。司書の先生と談笑してはいるものの、なんていったらいいか、彼女はどこか近寄りがたい雰囲気だった。 一人で借りる本を選びはじめたとき、特にそれが顕著になった。まるで睨むようにして本棚の上で視線を動かす。特にこれといって表情が浮かんでいないのに、どこか怒っているかのように感じさせる空気を持っていた。 確かにこれでは、彼女を疎ましく思うクラスの連中の気持ちもわかる。彼女から近づけないようにしているのでは、近づこうとも思えない。 なんだか居づらくなって、結局逃げるようにして図書室をでた。 階段を下りながら思う。 でも確かに、噂どおり顔はとても可愛かった、と。 でもすぐに、頭はレポートをどうするかに切り替わった。 * その後、彼女とは廊下ですれ違うことがニ、三度あった。 そのときも近寄りがたい空気をだしていて、あいつらではないが顔は可愛いのに……とか思った。 決定的になったのは、最初に彼女の事を知ってから一ヵ月後ぐらいだった。 * 人もまばらになった放課後。部活が終わった後に、忘れていた荷物を教室にとりに行き、その後階段を下りていたときだ。 四階まで降りたところで、前を長い黒髪の女の子が歩いていた。 後姿でも彼女だとわかった。 巫女姫様は、どこかふらついているように感じられて、少し目が離せなかった。あぶなっかしいなぁとは思いつつ、でも近づきたくは無くて少し距離を置いていた。 「あ」 小さい声が聞こえたかと思ったら、視界から黒髪が消えた。 どんっ、 何かが地面に落下する音に、事態を悟り、慌てて視線をうつす。視界から消えた黒髪は、階段の一番下にいた。ふらついているなとは思ったが、どうやら階段から落ちたらしい。 「うわっ、だいじょ……うわわっ!」 そのときの俺は、間抜けとしか言いようが無い。 駆け寄ろうと、慌てて階段を下りて、その……自分も階段から落ちたからだ。しかも、巫女姫様はまだ滑り落ちたというか、可愛げのある落ち方だったが、俺のはもう、思いっきり転がり落ちたという表現がぴったりだったからだ。思いっきり床に背中を打った。下に居た巫女姫様にぶつからなかったのは幸いといえる。 「……え。……あの、大丈夫ですか?」 巫女姫様が恐る恐るといった様子で声をかけてきた。 「え、ああ……うん、大丈夫」 起き上がりながら片手を振る。本当は背中がとても痛かったが、まぁ男の意地というやつだ。 「びっくりさせたよね、あははは、ごめん」 馬鹿みたいに笑ってその場を切り抜けようとする。 「……そうですか、よかった」 巫女姫様は俺をじっとみていたが、そう言った。そう言って、 笑った 「…………。あ、ええっと、みこ……大道寺さんは?」 見惚れていたことに気付き、慌てて声をかける。 慌てすぎていた。巫女姫様と呼びそうになったことは、大失態だった。 彼女はすぐにその笑顔を引っ込めて、いつもの無表情に戻った。 「……。大丈夫です」 そういって鞄を拾い、立ち上がってスカートのひだをなおすと、 「それじゃぁ、お騒がせしました」 そういって立ち去ろうとする。 「え、ちょっとまって。顔色悪いけど大丈夫?」 慌てて聞いても 「問題ありません」 彼女はこちらを見ることもなく答えた。 「でも」 「放っておいてください」 そこまで言って彼女は肩越しにこちらを一瞥した。 「あなたのためにも、私のためにも」 そう言って再び歩き出した。 今度は引き止めることが出来なかった。 最後の彼女の言葉にものすごく深い意味が込められていたこととか、流れていた噂が、なんとなく違うものの大体あっていたこととか、そういうことを俺が知るのはもっと後になる。 けれども、これが最初だった。 あのときの笑みに魅せられた。 あんなに最初は仏頂面だったのに、最後に 「あんな風に笑うなんて反則だ」 階段の踊り場で、ぼけっと座りながら俺は呟いた。 |