「あの、どうかしました?」 かけられた声が、まさか自分に対してだとは思わなかった。 Stray Cat 「大丈夫ですか?」 再び声をかけられる。この場所には自分しかいなくて、その女性の視線は明らかに自分を見ていた。 『あなた、あたしが見えるの?』 恐る恐るマオが紡ぎ出した言葉に、目の前の女性は微笑みながらさも当たり前のように頷いた。 「あたしの名前は大道寺沙耶。貴女は?」 『マオ……』 「そう、マオ。ここだとちょっとあれだから」 そう言って沙耶は視線をちらりと道路にうつす。人の気配はない。 「あたしの部屋に来ない?」 そして、マオが座っていた花壇の真上のマンションを指した。 * 「はい、どうぞ。片付いてなくてごめんなさいね」 『ううん、全然。隆二の……あ、隆二って今あたしが住んでいる家の家主なんだけど、そこより全然綺麗』 「そう、よかった」 テーブルを挟んで向かいあって座る。 「その、隆二と言う人はマオのこと見えるの?」 『じゃないと一緒になんかいないわ。でも驚いた。あたしのこと見える人がいるなんて』 「そうねぇ」 沙耶は両手のひらを広げ、一つずつ指を折り曲げていく。けれども、途中で苦笑しながら顔をあげた。 「結構いるわよ。あたしの周りには、そういう人。まぁ、仕事柄っていうのもあるんだけど」 『仕事?』 「そう、お祓いみたいなことを生業にしているの」 マオが少し後ろにさがった。怯えたような顔。 そのことに気づくと、沙耶は自分の失態を恥じるように顔をしかめ、 「祓うって言っても、あくまで人間に対して害をなすものに対してであって、マオみたいにきちんと自我があるものならば基本的に話し合いで解決するんだけど、でも……」 言い訳を繰り広げ、結局口を閉じた。 「どちらにしろ、あなたに対しては嫌な人かもね」 そして困ったように笑う。そんな顔をされて、今度はマオの方が焦った。普通の人間と普段接しないマオにはこういうときにとればいい態度が思い浮かばず、困ったように視線を動かすことしか出来なかった。 「ねぇ」 再び口を開いたのは沙耶の方で、その言葉にマオは嬉しそうに顔をそちらに向けた。 「隆二って、どんな人?」 沙耶が与えてくれた気まずさの解決の糸口はマオにとっては願ったり叶ったりのものだった。誰かに聞いて欲しくてしょうがなかったのだから。 『ひとでなし!』 机を叩き(気持ちだけでも)ながら大声で言った。 「ひとでなし?」 『そう、ひとでなし。そんでもって無神経で嘘つきで冷たいの! だって、聞いてよ! 隆二ったらね、あたしがお昼寝している間にいなくなっちゃってたの。コーヒーが切れたから買いに行ってた、とかって。だからあたし出てきたの』 「でも、寝てたなら……」 『起こしてって何度も言っているのよ! 起こして、誘ってっていつも言っているのに何度言っても覚えないの! 起きたら一人で寂しかったのに……』 「……そうね、一人は寂しいわね」 沙耶は軽く微笑むと、うつむいたマオの顔を覗き込むようにした。 「でも、それだけ一緒にいるということは、いいところもあるんでしょ?」 『それは……まぁ。確かに隆二はひとでなしで無神経で嘘つきで冷たいけど……、でも、あたしのこと見えるし、放り出さないで居てくれるし、それに……』 「いい人なんだ」 沙耶がにこりと笑う。つられてマオも微笑んだ。 『そう、いい人なの』 それからマオは窓の外に視線をうつした。 『探しにきてくれないのかなぁ……』 * 一海円はいつものようにやる気なさと怠惰さを顔に貼り付けて、エレベーターに乗っていた。階数表示が目的の場所をさすと、迷わずに降りる。 片手にもった紙袋がかさかさと音を立てる。 一番奥の目的の部屋を目指して歩き、その前に立つ男性を見つけた。彼はチャイムを押そうとして片手をあげ、すぐに下ろして腕を組んでチャイムを睨んでいた。 円はその男性をみると一瞬眉をひそめ、けれどもすぐにいつものやる気なさと怠惰さを顔に戻す。そして、少しの笑みを浮かべて声をかけた。 「何か御用ですか?」 * 『まぁ、隆二の話はそれぐらにして沙耶にはいないの、そういう人?』 物悲しそうな顔も何処へやら。にやりと笑いながら、ずいっと身をのりだしてマオが尋ねた。 「そういう人って?」 『もう! あたしにはよくわからないけど、大切な人』 にっこりと出来るだけ微笑みながら沙耶は返す。 「周りにいるひとは皆大切よ」 『そうじゃなくて! もう、わかっていっているでしょう? つまりあたしが言いたいのは』 ピーンポーン 沙耶にしては幸運なことに、マオにしては不幸なことに、その絶妙なタイミングでチャイムがなった。 「ちょっと待ってて」 沙耶はマオに笑いかけると、逃げるようにしてその場を立ち、インターホンの受話器をとりあげる。 マオはぶすっと膨れると、そのまま後ろに倒れこんだ。 「いらっしゃい、円姉」 「ん。あのさ、それよりこの方が」 ドアをあけて向かいいれた沙耶に、円は一歩体を横にずらして、後ろに立っていた男性を紹介した。 「用があるって」 「はい?」 沙耶はその男性をみて、一瞬動きを止める。それで全てを察知した男性は一息ついた。 「見える人?」 端的に問うと沙耶は頷いた。 「よかった、話が早い。ここに幽霊が一匹お邪魔してると思うんですが。マオっていう小憎たらしい猫みたいな奴が」 「ああ、じゃぁあなたが」 沙耶がその顔を見ると、男性は軽く微笑んだ。 「神山隆二、あいつの一応保護者です」 * 「マオ」 声をかけられて、マオは慌てて上体を起こす。そんなことに別段気にした様子はなく、沙耶は笑いながら片手を差し出した。 「きたよ、迎えに。隆二という人が」 『え……』 マオは露骨に怯えたような顔をした。 『怒ってる?』 「さぁ、大丈夫だと思うけど?」 沙耶の片手は差し出されたまま。 「ね、行こう」 その手をすり抜けることなんてわかっていた。それでも、マオはゆっくりと片手を沙耶の手の上に重ねた。 沙耶が微笑んだ。 「ああ、そうそう」 玄関に向かう途中、沙耶が微笑みながら言った。 「確かに彼はひとで“なし”ね」 * 玄関のドアに軽く寄りかかるようにしながら立っていた隆二は、沙耶がマオをつれてきたのを見ると居ずまいを正した。 「勝手にどこそこ行くな。まぁ、今回は俺が悪かったんだけど」 『怒ってない?』 沙耶の影に隠れるようにして、顔だけだしていうマオに呆れてため息をつく。 「怒ってるのはお前の方だろうが。ほら、帰るぞ」 そう言って片手を出す。マオはその手を見つめ、ちらりと沙耶の顔を見た。彼女が微笑んで頷くから、おずおずと片手を差し出す。その手が完全に伸ばされる前にひっぱると、隆二はマオを自分の隣に立たせた。 マオが少しくすぐったそうに笑った。 「触れるんだ」 傍観者に徹していた円が意外そうに呟いた。沙耶も軽く目を見開いてる。 「ええ、まぁ、色々と」 そういって隆二は繋いだ手を軽く持上げて見せた。 『ひとで“なし”だから〜』 楽しそうに言うマオに隆二はもう一度ため息をついた。 「だから、そういうことを簡単に言うなって」 「それじゃぁ、お世話になりました」 「いえいえ、あたしも楽しかったですし。」 頭を下げる隆二に沙耶が片手を振る。 顔を上げ、そんな沙耶を見つめ、ためらいがちに隆二は言葉を紡いだ。 「余計なお世話かも知れないけれども……、それは、その、生まれつき?」 隆二の言っているのが自分に憑いている龍だということはすぐにわかった。 「ええ、まぁ」 肩を握りながら頷く。 「ああ、ならよかった。いや、よくないんだろうけど。人為的にそういうことをする奴らを知っているから気になって」 「それは、はた迷惑な」 ドアに寄りかかったまま、円が呟いた。 そんな円の顔をマオはじっと見つめる。その視線に気づき、円が首を傾げた。 「何かご用かしら、幽霊のお嬢さん?」 『あのね、余計なお世話かもしれないけれども、煙草はやめたほうがいいわ』 その言葉に軽く眉をひそめる。 「私、ここに来てから吸ってないと思うけど」 『うん、でも、会ったころの隆二と同じ匂いがした』 「ああ」 マオの言葉に一人納得したように隆二が頷く。 「マルボロ?」 「え、ええ」 「じゃぁそれだ。こいつと会ったころはそれを吸ってたから。もっとも今はこいつに脅されて禁煙の日々だけど」 そう言って肩をすくめる。マオが満足そうに笑った。 「それじゃぁ、ありがとうございました」 隆二はもう一度頭を下げる。ぼんやり立っているマオの頭もついでに下げさせた。 「あ、いえいえ」 「それでは、失礼します」 微笑むと、階段に向かって歩き出す。 『ばいばーい、沙耶』 マオが楽しそうに片手をふり、隆二の背中にそのまま抱きついた。 「ばいばい」 沙耶もそれに答えて手を振る。 階段をおりたところでもう一度隆二は頭を下げ、マオが手を大きく振った。そのまま曲がり、最後まで見えていたマオの足も見えなくなった。 「おんぶおばけってああいうの言うのかしらねー」 それを見送って円が呟いた。 「で、円姉はどうしたの?」 「ん、ああ」 沙耶に問われて持っていた紙袋を持上げる。 「タルト、焼きすぎたから」 「あ、わーい。ありがとう」 その紙袋を受け取ると、沙耶は家へと入る。円もその後に続く。扉を閉める前にもう一度階段を見た。 「お茶いれるねー」 そう言って台所に向かう沙耶に、後ろ手でカギを閉めながら問い掛ける。 「で、なんだったの? あの子?」 沙耶は台所から顔だけだして微笑んだ。 「迷子の迷子の子猫ちゃんよ」 |