テーブルの上に置いていた、ケータイが震えた。 「ソータさん、鳴ってますよー」 神崎颯太は声をかけられてそれを確認する。着信表示が意外な人物からで首をひねりながらも、 「ちょっと、ごめん」 周りに声をかけて、賑やかなその席をそっと抜け出す。 「もしもし? エミリさん?」 電話に出ながら問いかけると、 『神崎さん、こんばんは。今、大丈夫ですか?』 「うん」 『……あの』 電話の向こうの声は、躊躇いがちに言葉を紡いだ。珍しい、と思う。彼女がこんなに戸惑ったような話し方をするなんて。 『神野さんの、ことなんですけれども』 「……ああ」 思わず苦笑が漏れる。 「あいつ、結局やらかした?」 こちらから問いかけると、 『ご存知だったんですか?』 少し驚いたような声が返ってきた。 「うん、相談されていたからね」 壁に寄りかかり、軽く目を閉じる。 急にふらりと現れた同族は、終わりにしたいのだ、と切り出した。もう疲れてしまったのだと、永遠が憎いと。だけれども、彼が相談してきたのはそのこと自体じゃない。 「隆二が?」 『え、ええ』 「ああ、そうなんだ」 それを別の同族に押し付けてもいいのか、ということ。頼んだら、潰れてしまわないか、ということ。 「隆二、平気そう?」 彼が自分に相談してきたのは、そのことだけだ。 『それは、……そうですね、はい』 「ふーん、意外」 自分の答えは、半年ぐらいは使い物にならないだろうね、だった。自分や英輔ならばきっと平気だけれども、隆二は無理だよ、だった。彼はそうだよね、と困ったような顔をしていた。だから、隆二に押し付けるのはやめたのだと思っていた。 「隆二、なんか変わったの?」 それを押し付けたということは、そして電話の向こうの彼女が平気そうだと判断したということは、なにか人間性に変化があったのだろう。 『……多分、ですけど』 「うん」 『実験体の幽霊と生活を共にしていること、が原因だと思います』 「ああ、そういえば、そんなことも言っていたね」 懲りないね、あいつは、と呟く。また大切なものを作ったのか。だけどそうか、それが隆二をしっかりさせたのか。 「じゃあきっと、随分としっかりしてるんだね、その幽霊」 『……それは、どうでしょう?』 「あれ、違う?」 『彼女は、子どもです。幼いです。出来たばかりですから。自由気ままで。だけど、そうですね』 ほんの少し、電話の向こうの彼女が笑った気がした。 『とても前向きで、そこはとても強いと思います』 「……そっか」 後ろ向きな隆二にはぴったりなのかもしれない。 そしてほんの少し、この電話の向こうの少女も、何かが変わった気がした。こんな風に、実験体を人間のように評価するのをはじめてきいた。 「うん、まあ、隆二が平気ならいいや」 わざわざありがとね、と言うと、 『……本当に、いいんですか?』 小声で尋ねられた。 「なにが?」 『神野さんのこと』 「ああ、だってあいつが選んだことだから」 寂しくないといったら嘘になる。さすがに寂しい。同族がいなくなるのは。だけれども、 「十分長く生きたんだからさ、あいつがそれでいいと思ったなら、いいんだよ」 自分はまだまだやりたいことがある。だから生きていこうと思う。だけれども、彼は違ったのだろう。それはそれで、理解できる。 『……そうですか』 「うん、だからエミリさん」 優しく名前を呼ぶ。 「気にしなくていいんだよ」 瞬間、電話の向こうで息を呑んだような音がする。 ああ、やっぱり、気に病んでいたか。 「少なくとも、俺に対して気にしなくていいよ」 『……はい』 たっぷりの間のあと、小さく返事が聞こえた。 そのまま二三言葉を交わすと、通話を終える。 思わず口から溜息が漏れた。それがどういう意味なのかは、自分でもよくわからなかった。 「ソータさん」 横から声をかけられる。 「電話長いですぅ」 若い女に唇を尖らせて言われる。 「ああ、ごめん」 苦笑した。酔ってるな、かなり。 今日はネットの宇宙好き仲間とのオフ会なのだ。もっとも、今はもうただの宴会だが。 「カノジョ?」 「親戚の子」 「えーホントに?」 「ホントだって」 答えながらケータイをポケットにしまい、席に戻る。いつの間にかがっちり右腕が組まれているけれども。 「あ、ソータさん。何か飲みますかー?」 隣の席に男がメニューを掲げている。 「……オールド・パル」 「え?」 「いや、なんでもない」 こんな居酒屋には置いてないだろうな、と思い直す。そうだな、せめて、 「なにかウイスキーあるかな」 言いながら、さりげなく組まれた腕をほどき、席に着いた。 ** ポケットの中のケータイが震えた。 神坂英輔は馴染みのバーテンに目で合図すると、それを持ったまま外に出る。 「もしもしー、エミリちゃん、どうしたのー?」 軽い口調で問いかける。 『神坂さん、今平気ですか?』 「うん、全然平気」 『……あの、お話があって』 「なぁに?」 彼女の口調はいつもどおり重たい。自分と話す時はいつもこうだ。彼女が自分のこのテンションを苦手としているのは知っている。だけれども、今日はちょっといつもと違う気もする。 『神野さんの、ことなんですけど』 突然出された同族の名前にきょとんとする。 それから、 「ああ、消えたの?」 あっけらかんと尋ねた。あまりにあっけらかんと尋ねたからか、電話の向こうの空気が戸惑いを帯びる。 「いや、なんかあいつそんなこと言ってたから」 『……はい、そうです』 「そっか。バカだなぁ、あいつ」 久しぶりに会いに来たと思ったら、そんなバカみたいな別れの挨拶をされたのだ。ああ、あいつは本当にバカだ。生きていれば甘いもの食べ放題だし、やりたい放題なのに。好きな女なんか作って、消えることを選ぶなんて。大バカだ。だけれども、自分には絶対出来ない生き方で、それはそれで羨ましいと思う部分もある。 「隆二はこのこと知ってるの?」 『というか、その、神山さんが』 「……ああ、押しつけられたのか。そっか、名前のこともあるしね。隆二、平気?」 仲間内で一番弱いから気にかける。 『……神崎さんもそれを気にしていらっしゃいましたが、平気だと思います。今は、神山さん一人じゃないですから』 「あ、なんだっけ、幽霊の子? 言ってたね」 『ええ』 「そっかー」 一人じゃないから平気だというのは、つまり一人だと駄目だということだ。自分は一人でも甘いものさえあればなんでも平気だし、寧ろ誰かと一緒に居たいとは思わない。颯太もきっと一人で平気だろう。だから、やっぱり、神山隆二が一番弱い、と思う。けれども、自分も颯太も誰かが一緒にいてもこれ以上強くなれるわけじゃなくて、そういう意味では隆二の方が強いのだろう。 自分とはまったく違う生き方だ。 「うん、わかった。わざわざ連絡してくれてありがとね」 『……あの』 「京介のことなら、エミリちゃんが気にすることじゃないよー」 何か言いかけた声を遮ってそういうと、電話の向こうは完全に沈黙した。 「あいつは自分の人生を自分で選んだだけなんだから。その人の人生好きにした結果を、エミリちゃんがどうこう言ったらいけないよ」 俺も好き勝手するしーと戯けて続ける。 電話の向こうはしばらく沈黙していたが、 『はい』 小さく言葉が返って来た。 そのまま適当に会話して、電話を切る。ケータイをしまうと、バーの席に戻った。 「ごめんねー」 「いいえ」 バーテンは英輔のグラスを一瞥すると、 「何かお飲みになりますか?」 尋ねてくる。 「そうだね。オールド・パルを」 言うと、バーテンが一瞬動きを止めた。 「……甘くありませんよ?」 小さく尋ねられる。それに思わず吹き出す。 すっかり好みが把握されている。 「うん、わかってる」 甘くないものを摂取するのは英輔の主義に反するが、 「今回は特別」 「かしこまりました」 今日ぐらいは、友の死を悼もう。そういう日が、自分にだってあったっていいさ。そう思って、小さく微笑んだ。 |
up date=2013 |
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