はいできた、と京介はクレープの生地をお皿に移した。 「わー、すっごい! 本当にフライパンでできた!」 ボールを抱えたまま、ここながはしゃだ声を上げる。きつね色の綺麗なちりめん模様をしたそれをうっとりと眺める。 今日はここなが休みなので、京介が少し早くバイトをあがり、約束した一緒にクレープを作る、を絶賛実践中だ。 一緒にって、現状殆ど俺一人でやっているけど、と京介は心の中で思う。 「とりあえずこれ、このまま食べる?」 「え、いいの!?」 「そんな待ち切れない、みたいな顔されちゃあねー」 呆れたように言いながら、軽く折り畳んだそれにお砂糖を少しかけて、京介はここなに手渡した。 「はい」 「わーい、いただきます」 ここなのはしゃいだ声を聞きながら、フライパンに向き直る。とりあえず、次を焼こう。 「んー、おいしー!」 「それはよかった」 ここながあまりにも幸せそうに笑うから、こちらもつられて笑ってしまう。けれども、笑っている場合じゃない。 「ココ、それ食べたらちゃんと生クリーム泡立てて」 ボールを抱え、片手に泡立て器を持ったままのここなに注意する。 「でも疲れたー」 「じゃあ、代わる? ココ、生地焼く?」 「無理」 「でしょ、じゃあちゃんとやって」 「でもぉー」 「ココ」 文句をいいそうなここなを少し強い口調で遮る。 「一緒に作ろうって言ったじゃん」 振り返ってそういうと、ここなは少し黙って、 「……言った」 小さく頷いた。 「俺が一人で全部やってもいいけどさ。一緒にやるのが楽しいんでしょ?」 重ねて言うと、ここなはもう一度頷いた。 「ちゃんとやる」 「はいはい、頑張って泡立てて」 「はーい」 なにか機嫌を直したのか、今度は少し上機嫌にボールに向き直った。一緒に、というのが嬉しいようだ。 まあ、それは、こっちも一緒だけどね。 思いながら、クレープ生地の量産作業に戻った。 焼き上がったクレープ生地と、アイスクリーム。はりきりすぎて少し泡立て過ぎた感のある生クリームに、バナナやベリー系のフルーツたち。チョコレートソースと、何種類かのジャム。それから飲み物として、紅茶。 色々な中身を楽しめるようにクレープ生地は小さめにした。 それらをリビングのローテーブルに並べると、二人でその前に座った。 「さて、食べようか」 「うん」 ここなが弾むように頷くと、クレープ生地を一枚とってお皿に載せる。その上にバナナとアイス、それから生クリームとチョコレートソースを載せ、くるりと生地を巻いた。 「定番だね、チョコバナナ」 「でしょ? いただきまーす」 言って一口。 「ん、おいしー」 「それはよかった」 緩んだ口元に一緒になって微笑み、京介は自分の分を作ろうと生地をとる。 「キョースケは、全部のせね」 「え、いきなりそっち!? そういう系統はもっとあとじゃない?」 最初ぐらい普通に食べたい。 「じゃあ、どうするの?」 「ブルーベリーとストロベリー」 「普通!」 「チョコバナナの人に言われたくありません」 「じゃあ、私がキョースケの分、作ってあげる」 「や、まってココ。なんでキッチンに向かうの? 何をとりにいくの」 「んー、ちょっとー」 「ココ、駄目だよ? 食べ物で遊んじゃ!」 「……はーい」 素直に戻って来る。 「って遊ぶ気だったのかよ、なにいれるつもりだったんだよ!」 「内緒」 「怖いってば」 わいわいやりながらも、クレープを食す。 「あ、そうだ!」 ここながぴょんっとはねるようにソファーから立ち上がると、自室の方に向かう。白いワンピースの裾が一緒に揺れた。 「一緒に見ようと思ってね! DVD借りてきたの! 今、見ていい?」 「うん」 「あったあった」 レンタル店の袋を抱えてここなが戻って来た。テレビの前に腰を下ろすと、かちゃかちゃとなにやら操作している。 「なに?」 「んっとね、ロミオとジュリエット」 「……うわぁー、楽しい気分台無し」 思わず素直な感想が口から漏れた。 なんてここならしいチョイスで、なんて酷いチョイスだ。 「死による永遠化がいかに美しいか、キョースケに勉強してもらおうと思って!」 京介の隣に座り、体を密着させながらここなは可愛らしく笑った。 「ね、いいでしょ? 私と恋仲になって心中」 「しないからね」 もう慣れたものでさっさと遮る。 「もー、キョースケのわからず屋」 言っている間にもテレビでは映画がはじまる。 ベリー系も食べたい、と二つ目のクレープを作りながら、 「ロミオとジュリエットって、あれだよね? シェイクスピア?」 ここなが尋ねてくる。 「そうだね。っていうか、知らないで借りてきたの?」 「シェイクスピアの四代悲劇って言うよね、ロミジュリと、あとなに?」 「つーか、ロミオとジュリエットって四代悲劇に入ってないんじゃないの?」 「えっ!? そうなの!?」 「うん、ええと、リア王、マクベス、ハムレット、……オセロ、かな?」 指を折ながら答えると、 「へー、そうなんだ!」 感心したようにここなが声をあげた。 「キョースケすごいね! 物知り!」 「普通だよ」 「……ん? それ、今バカにしたよね」 「あ、バレた?」 おどけてみせると、もーっとここなにクッションで叩かれた。 「読んだことあるの? 小説」 「ないけど。っていうか、あれって戯曲の台本みたいなのだから、小説とはまた違うんじゃない?」 「へー、そうなんだー」 「ってかほらあれ、曽根崎心中も元は人形浄瑠璃だし」 「あ、そんなこと書いてあったかも! ネットに」 「うん、ネット以外の情報も得ようね、大人なんだから」 「だから今、キョースケから情報を得ているんじゃない」 からかうように言うと、にっこり微笑まれた。そう来たか。 「キョースケ、本読むの?」 「俺はあんまり読まないなー。友人、がまあ本が好きだから、シェイクスピアも持ってたけど」 「えっ、キョースケ、友達居るの!?」 「えっ、なんで驚くの?」 まあ純粋な友達かどうかって言われたら微妙だけど、友達とも言える仲だ。 「女の人?」 「男だよ」 「えー、男の人の友達いるの!? ちょっと意外! 女の人っていうか、おばさんにモテてるのは知ってたけど」 「なんでだよ。いるよ、そりゃあ。……三人だけどさ」 よっぽど苦い顔をしたのだろう、ここなが京介の顔を見て楽しそうに笑った。 などとふざけながら、話半分に映画を見ていると、突然ぷつんっとテレビの電源が切れた。 「えっ」 同時に部屋の電気も消える。 「え、やだ、停電?」 怯えたように辺りを見回すここなの肩を軽く叩き、 「ココ、動かないでね」 「うん」 立ち上がると、ベランダに出て外を見回す。 「あー、この辺一帯停電っぽいね」 辺りに電気がついていない。 「えーなんでー」 「さぁ、そこまでは知らないけど。電気工事ミスったとか?」 カーテンを閉めて元に戻る。 夜だから、真っ暗だ。 「キョースケ」 怯えた声で名前を呼ばれるから、隣に座るとその手を握った。 「特別ね」 小さく付け足す。 「さて、すぐに戻れば良いけど。……懐中電灯かなんか、無いの?」 「んー、キャンドルならある、はず。貰い物の」 「本当? どこにしまってある?」 「多分、テレビのとこの棚。救急箱しまってた」 「ああ」 なんでもそこにしまってるなぁ。 「ちょっとごめんね」 繋いだ手を離して立ち上がろうとすると、 「キョースケ」 手を軽くひっぱられる。 「ん?」 「危ないよ、真っ暗だから」 言われた言葉に一瞬戸惑う。ああ、そうか。普通だと見えないの、か。 「……ほら、俺、割と目いいから」 「だけど……。ちょっと待って」 ここなはテーブルの上に手を伸ばし、手探りで何かを探して、 「あった」 はいこれ、と手渡されたのはケータイ。 「えっと。これでライトつくから」 少し明るくなる。 「ん、ありがと」 素直に受け取る。 「危ないから動いちゃだめだよ」 「わかってるよー」 テレビの横の棚をあさると、いくつかラッピングされたままの箱が出てきた。一応開けた形跡はあるけれども。 「あ、これか」 その中の一つがキャンドルセットのようだった。 ソファーまで戻り、そのキャンドルの箱をあける。三つのキャンドルが入っていた。 「あ、普通にあけちゃったけど」 他人のものなのに、躊躇い無くあけてしまった。 「え、いいよ。置いといても使わないし。なにこれ、アロマキャンドル?」 ここなは一つ持ち上げて香りを嗅ぎ、 「あ、薔薇っぽい。そっちは、ラベンダー?」 「全部つけると匂い混ざるかな?」 「そんなに強くないから平気じゃないかな?」 「じゃ、つけるよ」 ジーンズのポケット、煙草の箱からライターを取り出し、火をつける。 ほんのり部屋が明るくなる。 「はー」 ここなが少し安心したように息を吐いた。 「停電になると、びっくりするねー」 「そうだね」 改めてソファーに座り直した京介の手を、ここながそっと掴む。 「ココ?」 「特別って、さっき言った」 指を絡めるように手を握り、ここなが甘えたような口調で言う。 「……言ったね」 よく聞いてるな、思いながら仕方なく手をそのままにしておく。仕方なく? まあ、仕方なくという体で。 「暗いの、嫌い?」 代わりに少しからかうように尋ねてみる。 「苦手。……怖いわけじゃないから」 「怖くないなら手、離してもいいよね?」 思わずからかうように続けると、 「それはそれ、これはこれ」 軽く睨まれた。怖くないけど。寧ろ、可愛いけど。 ゆらゆらと、オレンジの炎が揺れる。 「……なんか、こういうのもいいよね」 それを眺めながらここなが小さく呟いた。 「蝋燭の火だけっていうのも。なんていうか、ロマンチック?」 「そうだね」 「キャンドルサービス、的な?」 「少ないな、それにしては数が」 「ん、まあ確かに」 炎の揺らぎに合わせて、ここなの顔にかかっている影も少し揺れる。そんな横顔に視線を移す。 「ん?」 視線に気づいたのか、ここながこちらを向いた。 「なぁに?」 「いや、別に」 「見蕩れてたの?」 からかうように言われたので、 「見蕩れてたよ」 真顔で言葉を返してみた。 「へっ?」 予想外の返しだったのか、ここながきょとんとした顔をする。 見蕩れていたよ、本当に。言わないけれども。言えないけれども。 「キョースケも、なかなか返し方がうまくなってきたわね」 むーと眉間に皺を寄せてここなが呟く。 「ショーパンの長さで慌ていたころのキョースケが懐かしいわ」 「ああ、あったね」 思い出して苦笑する。最初から、からかわれていたもんだ。 ここなはワンピースの、スカートの中で膝を抱えるようにして座り直した。 白い洋服。キャンドルサービス。クレープと沢山のフルーツ達。 「……華燭の宴」 考えた言葉が思わずぽろりと口からこぼれ落ちる。 「え、なに?」 ここなが首を傾げる。 「なんでもないよ」 微笑みながら言葉を返す。 聞こえなかったならいいんだ。聞こえない方が、いいんだ。 「聞こえたけど意味わかんなかったー」 「そっちかよ! なんでもないってば」 炎が揺らぐ。それと同じぐらい、儚い夢だ。 ここなはふーんと小さく呟いて、蝋燭に視線を移した。京介もそれにならう。 お互い何も言わない。ついさっきまで、この場所でクレープを作ってはしゃいでいたのが嘘のような、静けさ。 隣にいるのに、いないような。 「……ココ」 「なぁに?」 思わず名前を呼ぶと、返事はすぐにかえってきた。 「呼んでみただけ」 「へー、キョースケもそういうことするんだ」 ふふっと隣でここなが笑う。 「そういう気分」 「ふーん」 ここながちょっと距離をつめてくる。肩と肩がくっつく。普段なら距離を取り直すのだが、なんだかそういう気分になれなかった。 「……あれ、特別仕様は続いているの?」 意外そうにここなが言う。 「そんなとこ」 「へー、じゃあ、いつも停電ならいいのに」 ここながはしゃいだように言う。 炎が揺れる。 「……催眠術とかかけるときに」 「うん?」 ここなは頷きながら、キョースケを見上げる。 「準備行為として蝋燭の炎じっと見ることがあるんだって。催眠をかけやすくするために」 「ああ、五円玉揺らす的な? なぁに、キョースケ、催眠かかっちゃったの?」 「そうかも」 「……やだ、本当にかかっちゃったの?」 素直に頷くと、少し心配そうな声で言われた。 「なんか変だよ、大丈夫?」 不安そうに歪められた眉。 普段距離をつめてくるのはそちらのくせに、こっちが距離をつめると怯えるのか。こっちがどんな思いで、距離を縮めるのを耐えているのか、知らない癖に。 知らなくていいんだけど。知って欲しくないんだけど。 軽く頭を振って息を吐く。 まったく、どうかしている。いつもと違う部屋の感じとか、キャンドルの香りとか。なにかが自分を揺さぶっている。 クレープを作るのが楽しいとか、それぐらいの日々でいい。それぐらいの日々でなくてはいけない。それ以上、近づいてはいけない。 近づいては、いけないけど。 「ココ」 「ん?」 「俺は、ロミオもジュリエットも、お初も徳兵衛も愚かだと思うよ」 ここなの表情が強張った。 それがよく見える。見えてしまう。蝋燭の火でもおかまいなしに。 「死んだらそこで終わりだ」 「終わりで良いのだと、言っているじゃない! 終わりにしたいのだと!」 噛み付くようにここなが言う。 「幸せのうちに終わりにしたいとココはいうけど、それじゃあどこで幸せの絶頂だと判断する?」 怯えたようにここなが身をひこうとするのを、握った手をひっぱって阻止する。 「最高潮の幸せだと、どこで判断するの? どうやって判断するの? もっと、それよりも大きな幸せがあるかもしれないのに」 「ないかもしれない、じゃない」 「可能性があれば十分じゃないか。幸せが壊れないままずっと続くことだってあり得るのに」 「あり得ない」 睨まれる。 「そんなことあり得ない。人の気持ちは揺らぐんだもの。ずっと一緒なんてあり得ない」 「あり得るよ」 「ない。あり得ない。永遠なんて、絶対ない」 「……あるよ」 あるんだよ、ココ。永遠はすぐそこに。君の目の前に。 「ココ、もしも永遠があるとしたならば。俺がそれを証明したら」 睨みつけてくる瞳を真っすぐ捉える。 「そしたら心中するの、やめてくれる?」 ここなは何かを探るかのように京介を見返す。それから、やや躊躇いがちに頷いた。 「そんなものがあるなんて、本当に証明してくれるなら」 「うん」 小さく微笑む。 俺は証明できるよ。永遠があることを。俺自身をもって、証明することができる。 「ココ」 じっとこちらを見つめてくる瞳に柔らかく微笑む。 「俺はね」 証明してみせよう。ここにある永遠を。 「本当は」 京介が告げようとした、そのとき。 ぱっと、明かりがついた。 「あ」 ここなと二人して天井を見つめる。 「停電、直った」 あっけにとられたようにここなが呟く。 「……よかった」 「そうだね」 頷いて京介はそっと握っていた手を離した。 「あっ」 それに気づいてここなが声をあげる。 「特別仕様も終わり」 「えー」 ぷぅっと頬をふくらませた。 「そんな顔をしてもだめ」 つけたままだった蝋燭を消す。 「……キョースケ」 背中に躊躇いがちに声をかけられる。さっき言いかけたのは、なに? きっとそう問いたいんだろう。 だけれども、ここなはきっと問いかけてこない。さっきみたいに京介が自分の考えを否定するのが嫌だから。誰よりも永遠に憧れるくせに、永遠が見えるのが怖いから。 「ココ」 だから京介は努めて明るく言った。 「クレープ、食べちゃわないと。アイス、溶けそう」 関係ないことを告げる。 「えっ」 ここなが慌てたようにテーブルに視線をやった。 「とりあえず、あと一個ずつ食べられるよ」 「うん」 頷いたここなの意識はクレープに向いた。少なくとも、そう見えるように彼女はした。それで十分だ。 「お茶、いれなおしてくるね」 立ち上がる。 言わなくてよかった。言えなくてよかった。空気に飲まれるところだった。 キッチンで作業しながらそう思う。 永遠があることを彼女に告げるということは、自身が化け物であるということを告げることだ。そんなことできない。それは怖い。 ここなに嫌われるかもしれないことが、怖い。 自身の考えに苦笑する。 まったく、お互い似たようなことを考えている。恐がり同士でどうするつもりなのだろう、これから。 いつだって宴が終わるときは、どこか寂しいものだ。 それでも今は。 「はい、どうぞ」 「ありがとー」 新しい紅茶を持っていくと、ここなが綺麗に微笑んだ。 今はこれでいい。ほんの少し楽しいことを続けていければ。 問題の先延ばしだとしても。 そう、思った。 |