「新人をね、雇おうかっていう話になっているんだけれども」
「はい?」
 ボス弁の言葉に、イソ弁は眉をひそめた。
「新人?」
「お言葉ですが、先生」
 横から口を出す秘書。
「そんな余裕がこの事務所にあるとお思いですか?」
 弁護士二人、事務一人。刑事事件に熱心な、零細事務所。
「ないと思うんですけど」
 秘書に同調し、首をかしげるイソ弁。
 重々しく頷くボス弁。
「私もそう思うんですけど、うえからのご命令で」
 そういって指先を上に向ける。そこに何もないのを知っていながらも、ついつい視線で追ってしまうイソ弁と秘書。
「司法制度改革の影響で、弁護士の就職難はご存知でしょう? それで頼まれちゃって、弁護士会の偉い人に……。弁護士会としても就職浪人出したくないらしいし」
「別に誰もうちの事務所に就活にきてませんけど?」
「不人気なんですよ。国選ばっかりだから儲かってないし」
「それは私も言ったわよ」
 三人そろってため息をつく。
「まぁ、そういうわけだから。そういう可能性があるってことで覚えておいて頂戴。はい、じゃぁ今日もがんばりましょう」
 そういってボス弁は二度手を叩いた。


  **


「へー、新人ねー。茗ちゃんはそれが不満なの?」
「不満っていうわけじゃないけど」
 恋人の言葉にイソ弁は不愉快そうに答えた。
「すみちゃんはなんていっているの?」
「亜由美ちゃんは、別にいいんじゃないかって言ってるけど」
 新人が来れば、もう少し硯先生も真剣になってくれますよね、と笑った秘書の言葉を思い出しながらイソ弁は呟く。
「ふーん、じゃぁ、賛成2、反対1?」
「反対しているわけじゃないけど」
 ソファーに座り、抱えたクッションに顔を埋めながらごにょごにょとしゃべる。恋人はくすりと笑うと、イソ弁の頭を撫でた。
「せっかく三人でうまくやっているのに、壊されたくない?」
 恋人が小さく言った言葉に、小さく小さく頷いた。
「……大丈夫だよ」
「何を根拠に」
「俺は名探偵だぜ」
 嫌に陽気な声にクッションから顔をあげると、恋人は予想通り馬鹿みたいにいい笑顔をしていた。三十路目前男の顔ではない。
「……意味わかんない」
 呟いてまたクッションに顔を埋める。
「変わらないものなんてないけど、上泉さんが茗ちゃんのこと心配していることには変わりないよ」
「ん」
「あの人、優しいから」
「ん。だから偶に……」
「偶に?」
「私いない方が、いいかなぁって思うけど。先生、私がいるせいでいつまでも過去に引きずられている気がするし」
 イソ弁のことばに、恋人は少し眉根をひそめると、もう一度頭を撫でた。
「……茗ちゃん」
 口を開き、閉じ。言葉を捜した挙句恋人は、あっけらかんとした口調で言った。
「っていうか、茗ちゃんが他の事務所でやっていけるわけないじゃん」
「……はぁ?」
 予想外の言葉にクッションから顔をあげ、恋人をにらむ。
「他の事務所じゃ、すみちゃんみたいに崩れまくったスケジュール調整してくれる秘書はいないだろうし、上泉さんみたいに茗ちゃんのやりたいこと優先させてくれるボス弁もいないよ。そりゃ、新人がきたら多少の不便は強いられるかもしれないけど、茗ちゃんだけじゃ出来なかったことも二人なら出来るかもしれないし。茗ちゃんが嫌いな離婚とかその人に任せればいいじゃん」
 にやり、と恋人は笑う。その顔をじっと見た後、イソ弁は少し笑った。
「そうね、それもそうかもね」
「そうそう」
 にやり、と笑ったまま恋人は、イソ弁の頭においていた手を頬に移動させた。
「……シン?」
 恋人の笑みの意味が変わったことに気づく。
「茗ちゃんみたいな猪突猛進の弁護士さんと付き合っていけるの俺ぐらいしかいないから」
「……あのね」
 甘いんだかわからない恋人のたわごとをイソ弁は鼻で笑う。
「あなたみたいなしょうもない探偵さん、私のほかに誰が面倒見てくれると思うの?」
 それだけいうと、抱えていたクッションを近づいてきた恋人の顔に押し付けた。


じゃじゃ馬馴らし