「まぁったくもう、やってられないっつーの!」
 彼女ががん、っとグラスをテーブルに置く。中身が少しはねた。
「明日も仕事ですよ」
 秘書の仕事の範疇を軽くでているとは思うが、最近ではすっかり慣れっこになってしまったつっこみをする。
「知ってますよー」
 けらけら笑いながら返事をする硯先生は明らかに酔っていた。
「まったくもう、なんなのかしらねー、知らないつーのねー、自分で解決しろー」
「何がですか」
「色々よー、もう知らなーーい。私は離婚裁判したくて弁護士になったんじゃないっつーの」
 ため息をつく。これだからこの人と飲みに来るのは嫌なんだ。それでも、放置しておくわけにはいかないだろう。
「もうやめちゃおうかなー」
 大体、一ヶ月に一回は同じことをしている。酷くへこんだ硯先生が私を飲みに誘って、自分がぐでんぐでんに酔っ払ってもうやめちゃおっかなーとか口走ること。一ヶ月に一回はしている。
 どうせ明日には綺麗さっぱり忘れて、二日酔いで頭いたーいとか言いながら出勤してくるに決まっているんだ。やめられるわけないのに。
 この人から弁護士という仕事をとったら一体何が残るんだろう? 
「弁護士は悪者に味方をするってなんですかー、何が悪者よー、それがいい年した大人の語彙力かよー」
 ぐいっと、グラスを傾ける。顔をしかめた。彼女は絶対に、苦いお酒しか飲まない。これだけ酔っ払いながらも、不愉快そうに顔をしかめて、泣きそうな顔をする自分を見られるのが嫌なんだろう。それはお酒が苦いからだと理由をつけたいからなんだろう。私なんかはもう、大体わかっちゃってるけど。
「悪者の味方ってなんなのよー、だって疑わしきは被告人に利益にだし、有罪確定してないからわかんないしー、だいたいー」
 彼女の講義は続いてく。思いっきりを顔をしかめたまま。

「すみちゃん」
 声をかけられる。店員に案内されて現われたのは渋谷さんだった。
「遅いです」
「ごめんごめん。仕事が長引いちゃって」
 いいながら渋谷さんは、テーブルに突っ伏している硯先生の肩を叩いた。
「茗、帰るぞ」
「やー」
「茗」
 もう一度名前を呼ぶと、硯先生は渋谷さんに思いっきり抱きついた。
「茗」
 静かになる。その後、ぐずぐずと鼻を啜る音が聞こえてきた。
 それはこの飲み会が終わる合図だ。泣き出してしまった彼女の頭を撫でながら、渋谷さんはお財布からお金を取り出し、テーブルに置いた。
「いつも悪いね、すみちゃん」
「いいえ」
「今日もお勘定は頼む」
「はい。明日、ちゃんと仕事はさせてくださいね」
 渋谷さんはにやりと笑った。
「わかってるよ。こいつから仕事をとりあげるような無粋な真似はしないさ」
 そういいながら、ぐすぐすいっている硯先生を立たせた。
「じゃぁ、後はよろしく」
「はい」
 私は微笑んで頷き返した。硯先生は渋谷さんに肩を借りながら、ふらふらと歩いていく。その光景を少しだけ微笑ましく思った。
 でも、酒は楽しく飲む方がいい。カシスオレンジに口をつけながら思った。甘いお酒の方が、いいに決まっている。
 テーブルに少し残された、この苦い酒を私は飲もうとは思わない。


陽気な酒