新條栖唯利には嫌いなものがある。
 合法でも正当でもないことだ。どちらか一つでもかけただけで、彼女は嫌がる。
 特に嫌いなのがナンパと風俗の勧誘だ。
「ねぇねぇ今」
「とても忙しいです」
 最後まで言わせず、侮蔑の表情で一瞥する。
 基本的に、仕事中でもデート中でも無い彼女は恐ろしくテンションが低い。
 大抵それでナンパは引き下がるし、後ろでぐちぐちこちらにたいして文句を言っていても彼女は気にしない。そんなものに割いている時間が勿体無いのだから。

「お姉さん可愛いね、バイトしな」
「しません」
 ナンパはまだしも風俗の勧誘なんぞ、彼女は軽視していた。
 そんなに安い女に見えるというのか?
 法の下の平等だの、職業に貴賎はないだの、建前でしかないこと、さすがに彼女だって知っている。

 コレが営業中だとがらりと変わる。
 セクハラまがいの発言をしてくる酔っ払いの客をも笑顔で交わす。それをいつもやればいいのに、とはホーセイの言葉。
 変なところで守銭奴でリアリストな彼女は、金銭が発生しない人間関係に、そんな無駄な努力をする気はさらさらなかった。


 あるとき、バイトからの帰りの夜道、後ろから見知らぬ男に抱きつかれた。
 探偵なんていうヤクザで社会不適応な人間を恋人に持ち、さらにその上にその仕事手伝って何度か危ない目にあっている彼女は慌てず騒がず、鞄の中からあるものをとりだした。
 鞄の中は学校に行ったままだった。
 彼女は普段はポケット六法を使っているが、その日に限って判例六法という指定が有る授業だったので有斐閣の判例六法(平成17年度版 3400円)をもっていた。
 彼女はそれをとりだし、思いっきり振りかぶり、その男の後頭部になんのためらいもなく振り下ろした。
 変態が離れた隙に、さらにもう一度。
 そして、そのまま逃走した。
 走りながら、頭の片隅で二回も殴るなんて過剰防衛だろうか、なんてことが過ぎった。
 明るい大通りまで出てくると、警察とついでにホーセイに電話した。


 警察が現場にいったときには、その変態はのびていたらしい。


「さすがね、有斐閣!」
 迎えにきたホーセイのバイクの後ろに乗りながら、スイリは笑った。
「誰も六法がそんな使い方されるとは思ってなかっただろうよ」
「だって分厚いじゃない」
「辞書なら聞くけどな」
「私の辞書は電子辞書だから殴れないもの」
「そうじゃねぇだろ」
 信号で止まる。
「……心配した?」
「当たり前だ……馬鹿が」
 小さく吐きすてられた言葉が嬉しくて、
「ん、ごめんね」
 小さく呟くと、腰に回した腕に力をこめた。
 本当は怖かったなんて、言う代わりに、しっかりとしがみついた。