彼女を初めて見たのは入学式の日、不機嫌そうに机に頬杖をついてたあの時。三年間の立ち位置が決まってしまうといっても過言ではない、その日に一人だまって座っていた。
 少し茶色の髪の毛が光に当たって綺麗だった。

 元々、あまり他人に関わる質ではない。
 イジメられるわけでもなく、かといって誰にも構われるわけでもない、ふわりと浮いた地位を小学校高学年の頃から手に入れてきていた。
 高校もそうなるのだろう、と思って、顔見知りの子とは多少話したりもしながら、いつものように本を読んでいた。

 昔から本が好きだった。
 高校の目標は、毎日図書室に通うことだった。そうして、図書室の主になるのが夢だ。
 図書室の主というのは、私が勝手に作った言葉だけど。いつも図書室で本を読んでいて、けっして騒がず、目立たず、空気のような存在なのだけれども、いないとなんだか淋しい。そんな人。
 だから、私は入学式当日からせっせと図書室に通っていた。
 彼女、甲斐上総さんも割とちょくちょく図書室に来ていた。
 同じクラスだし、文系同士だったから、授業も被っていたけれども、話す機会はなかった。私も、わざわざ自分から話かけに行くタイプではないし。
 話すきっかけは、ゴールデンウィーク明けのことだった。

 図書室の、誰も来ないような奥の方。そっちの方からぼそぼそと声が聞こえてくる。
 五月蝿くて気になる。首を捻って声の方を向く。
 見えない。
 声が少し高く、大きくなる。
 眉をひそめる。
 すっと視界の端を影がよぎった。
 甲斐さんだった。
 すたすたと、奥に向かって行く。長い髪の毛をなびかせて。
 校則違反のスカート丈と、校則違反の柄物ニーハイ。今日はどくろマークなのか、と思う。昨日は兎だったのに。
 甲斐さんが奥につく前に、一人女の子が棚の影から飛び出して来た。よろけるように、誰かに突き飛ばされたかのように。
「大丈夫?」
 甲斐さんはその子が倒れる前に支える。
 私はもう、完全に気になって本を閉じると体ごと奥に向き直る。
「あのさ」
 甲斐さんが本棚の向こうに向かって声をかける。
「図書室って静かにする場所だって知ってる? 五月蝿い。あと、嫌がらせなのかしらないけど」
 腕を組み、
「低俗」
 一言告げる。
「あんた誰よ」
「人に名前を尋ねるときはまずは自分からでしょう?」
「知るかよっ!」
「あ、知ってる! 生物の時間隣の席だ!」
「えっ」
 固まったのは甲斐さんの方。
「……うそ、隣なの? 授業出てる? 誰?」
 そして空気が固まった。
「ゴールデンウィークも終わったんだから、そろそろ隣の席のやつの顔ぐらい覚えろよっ」
「無理無理だって単位制じゃん、他の授業一緒じゃないでしょ? むーりー」
「意味わかんねー」
「行こう」
 言って、本棚の影から二人組の女子が出てくる。これまた校則違反が歩いているみたいな格好で。
「ちょっと」
 それを甲斐さんが引き止める。
「もうやめなさいよー?」
「うるさい」
 言って右手で彼女を突き飛ばす。甲斐さんは一瞬よろけて本棚に背中をぶつけた。
 二人組が立ち去る。
 甲斐さんが突き飛ばされた方の子に向き直る。
「大丈夫?」
 こっちの子は校則遵守の格好だ。
「余計なことしないでよ、黙っていれば終わったのにっ!」
 彼女は甲斐さんに受かって怒鳴る。
 甲斐さんは一つため息をついて
「別に貴方を助けたとかじゃないから勘違いしないで。五月蝿いから注意しに来ただけ」
 言って小首を傾げる。
「高校生活を誰かに隷属して生きて行くことを選ぶなら、追いかければ? なんだったらあたしを悪者にしても構わないけど?」
 彼女は一度唇を噛むと、そのまま走って図書室を飛び出した。
 結局、みんな大声で喋った挙げ句走ったりして、五月蝿い事この上ないなー。
「大丈夫?」
 椅子に座ったまま、声をかける。
 甲斐さんは振り返る。まるで、ああ人がいたんだ、とでも言いたげに。
「何が?」
「ああいうことして、ハブられたりしない?」
「そういうの別に、気にしてないから」
 そういって甲斐さんは小さく笑った。
 それがなんだか、私に似ている気がして嬉しくなった。
「ええっと、あなた……。よく図書室にいる人よね?」
 彼女はスカートの埃をはたきながら言う。ますます嬉しくなる。
「私、長門亜紀。図書室の主になるのが夢なの!」
「図書室の主?」
「そう、いつも空気みたいにいるんだけど、いないとなんだか淋しい、そんな人。よろしくね、甲斐さん」
 微笑む。
「あれ、あたしの名前……」
 言ったっけ? と首を傾げる。
「同じクラスなの、知らなかった?」
「あー、本当。ごめん、人の名前覚えるの苦手だから」
 クラスって言ったってさ、単位制だしさーとぶつぶつ呟く。可愛いなーと思う。
「ええっと、よろしくね。……主さん」
 言われた言葉にびっくりすると、甲斐さんは笑った。
「渾名」 
 言うと、鞄を取ると立ち上がる。
「それじゃあ、用もあるし帰るから。またね」
 そういって片手をふって帰って行った。
 不思議な人だな、というのが印象。
 でも、一緒にいると楽しそうだなーとも思う。
 私もなにか渾名を考えて勝手につけちゃおう、何がいいだろう。なんか昔児童書で読んだイタズラ好きの魔女っこみたいだから、魔女さんとかにしようかな。主とのバランスもいいし。
 そう思いながらまた本に向き直った。