帰宅したのは、日付変更間近だった。
 明日を休みにしたいがために、強引に仕事を詰め込んだからだけど。
 そう思って小さくため息。
 明日は映画を見に行く約束だった。ただ、約束の相手ともう二週間も連絡がとれない。ちょっと長期の仕事になるかも、とペットを私に預けて慌ただしく出て行った。
 約束、覚えているのかしら?
 もう一度ため息をつきながら、玄関のドアをあける。
 1人暮らしの部屋。
 ただ、そこには明らかに私のものではない、それでも見慣れたくたびれたスニーカーが脱ぎ散らかされていた。
 苦笑ともため息ともつかないものが口から漏れる。
 自分の靴と一緒にそれをきちんと揃えると、部屋に入る。
 部屋には人の気配はなく、ただダイニングの灯だけは小さくついてた。
 テーブルの上には小さめに作られたおにぎりが置いてある。
「オカエリナサイ」
「ただいま」
 彼が置いて行った九官鳥が出迎えてくれる。
「貴方のご主人様はどこ? キューちゃん」
 ふざけて問いかけながら、おにぎりを一つ頬張る。
「ゴンベイ! ゴンベイ!」
 キューちゃんはたまに呟く謎の言葉を言う。
 おにぎりを食べながら、寝室の方に向かう。相変わらず、絶妙の塩加減と力加減で作られたおにぎりですこと。最後の一口を飲み込む。
 寝室のベッドの上には、泥のように眠る彼の姿があった。二週間も音沙汰もなく、どこで何をやっていたのか。額と、腕に傷がある。
 ベッドの端に腰掛けて、その髪を撫でる。かろうじてシャワーは浴びたようだけど、濡れたままで、きっと明日の朝はすごい髪型になっているのだろう。
「……茗ちゃん?」
 うっすらと目をあけて、一瞬驚くぐらいかすれた声で呟かれた。
「ん。おにぎり、ありがとう」
「ん……」
 目は眠そうなまま。左手で手を握られる。
「……大丈夫?」
 色々聞きたいけど、それだけ告げる。
「うん」
 彼は微笑んでそれだけ言い、また目を閉じた。すとん、と左手が布団の上に落ちる。
 掛け布団を直し、その場を後にする。
 また傷を作って帰ってきて。
「駄目なご主人様ね」
 キューちゃんに笑いかける。夜だから布をかぶせて寝かせてあげる。
「おやすみ」
「オヤスミ」
 残ったおにぎりにラップをかけて、冷蔵庫にしまう。冷蔵庫を開けて、息をのんだ。
 冷蔵庫にはきんぴらごぼうと、鮭の塩焼きと、冷や奴が用意されていた。
 ああ、もう……。
 おにぎりをしまうと、やや乱暴に扉をしめる。
 どこの世界に、二週間も連絡せず、帰ってきたと思ったら怪我をしていて、それも自分の家ではなく恋人の家に来て、怪我をしているくせに料理をする馬鹿がいるんだ。ここにいるけど。
 きっとおにぎりは、私の帰りが遅くなった時点で夜食用に切り替えたんだろう。どういう細やかな気配りだ。
 本当にどうしようもない人だけど、気遣いだけは出来るんだから。
 思わず舌打ち。
 連絡してくれれば、はやく帰ってきたのに。
「仕様の無い人……」
 言いながらも少しだけ口元が緩むのが自分でわかった。
 コンタクトを外して、化粧を落として、シャワーを浴びて。軽く髪を乾かして。日付はとうに変わっている。
 映画は、なくてもいいかな、と思う。
 休みだからゆっくり起きればいい。朝ご飯には、用意してもらった料理を二人でわけあって食べればいい。お昼にはなにか美味しいものを食べよう。
 何があったのかはわからないけど、一人で抱えないで頼ってきてくれたのは嬉しい。
 目覚まし時計をいつもより遅い時間にセットする。
 セミダブルのベッドいっぱいをつかって彼が寝ているから、一瞬ためらったものの、ちょっとつっつくとすぐに避けてくれた。
 隙間にそっと滑り込む。
 よく見たら、背中にも湿布が貼ってある。
 何があったのか知らないけど、心配させるな、ということだけは明日怒ってやろう。それぐらいの権利、私にだってあるはずだ。
 彼の手が、私の右手を掴んだ。
「……おやすみ……」
 起きているんだか寝ているんだかわからないけど、そういわれて苦笑する。
「うん、おやすみ」
 右手をそっと握り返して、目を閉じた。
 そして八時間後にまた会いましょう。



八時間後にまた会いましょう